<The Christmas Song>
泉田は、警視庁近くの喫茶店『パステル』のツリーを眺めた。白を基調にして、天井からのリボンの装飾とよく合っている。
「もうそんな時期なんだな。」
ぽつんとつぶやいた泉田に、阿部が不思議そうな顔を向ける。
「何がでありますか?」
「ああ、クリスマスだよ。お前はミサの手伝いやらで忙しいんだろう?」
「はい。炊き出しもありまして、本当は奉仕のチャンスでありますが、
ここ2年間くらいは仕事で手伝えておりません。本官の不徳の致すところです。」
生真面目な阿部の答えに、泉田は笑いながら答えた。
「そうだよな。犯罪は待ってくれないもんな。無理なものは無理だ。」
「はっ。」
泉田は煙草に火をつけながら、苦笑いを浮かべた。
――仕事なのはわかるわよ。でもどうして一本電話を入れてくれないの!?こんな日に待ちぼうけは嫌よ!――
――・・・ごめん。待たせたことはあやまる。でも何時に帰れるかもわからないのに、電話は入れられなくて。――
事前に、「仕事があるから会えないだろう」と言っておいたはずだった。
「でも少しでも時間が取れたら、電話をちょうだい」
・・・そう、彼女は待っていたのだ。電話ではなく、泉田が時間を取ってくれるのを。
無理だと伝えたつもりだったのに、伝わらなかった。許してはもらえなかった。
『だってクリスマスなのよ!』
もはや理屈ではなく、感情の問題だ。
どちらにしても一緒にはいられなかった。職務上、彼女の価値観に合わせることはできなかった。
泉田は、遠い記憶を振り払うように、額に手をあて、軽く頭を振った。
「男2人でしんみりしてるのね。なあに?疲れてるの?」
突然天から響いてきた麗しい声に、泉田は額の手を外し、さっと立ち上がった。
さすがに外なので敬礼はしないが、阿部も同様に立ち上がっている。
「阿部クン、例の件だけど、後は警備部に報告をして・・・。」
涼子は阿部に指示を出す。どうやら捜査のメドはたったようだ。
「了解いたしました。それでは自分は行ってまいります。」
「ご苦労さま。あ、ここは払っておくわ。」
「そ、それはいけません。自分は・・・。」
「たまには上司にいい顔をさせなさい。頼んだわよ。」
「はいっ。」
阿部は一礼すると、大股に出口へ向った。店の客がなんとなくその後姿を追う。
さてどんな風に映っているのか。ヤクザかマフィアの女ボスとその手下たちかなあ、やっぱり。
そんなことを思いながら、泉田は軽く手を上げてウェイターを呼んだ。
「お昼は召し上がったんですか?」
「食べたわ。刑事部長とおいしくもないランチをね。」
そりゃあ部長の方こそ、食べた気がしなかっただろう。
「ではコーヒーを?」
「そうね。」
オーダーを済ませると、涼子はツリーの方へ目を向けた。
「ちょっと早くない?」
「でももう今日から12月ですから。」
「そっか。もうそんな時期なのね。」
涼子の表情が少し華やいだ。泉田は、しばしその横顔を見つめた。
時々しか見られない柔らかな涼子の表情。それはまるで何かを夢見るような。
泉田はその顔が嫌いではなかった。
「クリスマスには、トナカイが本当に飛び方を知っているか、のぞき見なくちゃいけないのよ。」
コーヒーカップ片手の涼子の言葉に、泉田は首をかしげた。
「・・・何かの物語ですか?」
「あれ?泉田クン、この歌知らない?日本でも何人かがカバーして歌っていたと思ったけど。」
歌詞?
泉田は頭の中で色々なクリスマスソングを思い浮かべた。
「ナット・キング・コールが歌っている、正統派だけどな。『The Christmas Song』。泉田クンにはとっても似合うと思うよ。」
「聞いてみたいですね。」
「今日帰り、早かったら銀座の山野楽器で探してみる?あったかいイメージでね。あたしはクリスマスソングの中ではあの歌が一番好きだな。」
涼子が小さく歌を口ずさむ。はっきりは聞き取れないが、穏やかなメロディーだ。
泉田は目を閉じた。
そして歌が終わってゆっくりと目を開くと、そこにはツリーを見つめている涼子がいる。
こんな静かな日の方が珍しい、本当にスリルとサスペンスに満ちた毎日。
わがままに振り回され、時に何が正しいのかもわからないほど理不尽な命令に従い、死にかかったこともこの1年、2度や3度ではない。
なのになぜ、今、こんなにも満たされていると感じるのだろう。
「いい歌ですね。ぜひ買って帰りたいです。」
「それはいいけど。泉田クン、さっき別れた彼女のこと、思い出していたでしょう?」
ふいに涼子がいたずらっぽい表情で、泉田の顔をのぞき込む。
この人は、やっぱり魔女か。
「・・・思い出していましたよ。それが何か?」
こうなれば泉田も開き直るしかない。
「一緒に過ごした楽しい思い出ってわけではなさそうね。」
「そうですね。私は言い訳ばかり、彼女に怒られてばかりでしたから。まともなクリスマスは結局一度もなかったような気がします。
そう考えれば、愛想をつかされて当然ですね。」
「そういう仕事なんだから、仕方ないじゃない。」
「でも・・・別れてからは少しほっとしています。言い訳の電話もかけなくていい、もう責められなくてもいい・・・
それを楽だと思ってしまう私は、やはり彼女のことを一番には考えていなかったのかもしれません。」
ふうん。
涼子はそうつぶやくと、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ今の君の一番は誰?」
誰って・・・そりゃ。
「・・・あなたです。薬師寺警視。」
それ以外の答えなどありえない。
心情的にはあれこれ言いたいことは山のようにあるが、今、泉田の行動に関して一番の決定権と影響力があるのは、間違いなく彼女だ。
「じゃあ、クリスマスにあたしが君といようと思えば、こんな簡単なことはないわね。」
泉田は一瞬ぞっとした。そのとおりだ。
泉田がもし帰りたいと言ったとしても、涼子が一緒にいたいと思ったなら・・・。
「その時には、一言おっしゃっていただければお側にいます。
お願いですから、事件をでっちあげるとか、自分から事件に首を突っ込んでいくとか、そういうことはしないでいただきたい。」
ちっ。
涼子が舌打ちした。やるつもりだったんだな!?
泉田は、諌めるように涼子を見ると、冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
「泉田クンは仕事が大事。仕事が命。そんな男が仕事より自分を優先させてくれるわけがない。
彼女は始めから戦略を間違えているわ。」
涼子は続ける。
「泉田クンをクリスマスにそばにいさせようと思ったら、泉田クンのいたい所に自分も行くしかないの。
それが出来ない人は、泉田クンの恋人になる資格なし。そうでしょ?」
いや、そうでしょ?と言われても。
泉田は思いもかけない弁護に少し心が軽くなったが、それでも苦笑いしながら答えた。
「それはあまりにわがままです。彼女にだけ悲しい想いをさせるのは、やはり卑怯だ。」
ふいに泉田の頬がぐにゅっとひっぱられた。
「い、いらいれふ・・・警視・・・。」
「そんなに自分を責めていると、次の恋に踏み出せなくて、一生孤独な独身者のままで終わるわよ。
いい?彼女はあなたを手に入れるゲームから降りたの!逃げたのは彼女の方なのよ。さっさと忘れなさいっ。」
涼子は、頬をひっぱっていた手を離すと、ぷいと横を向いた。
「・・・そうですね。いつまでもこだわっているのはみっともないですね。忘れます。」
しばらくの沈黙の後、泉田はそう言って、涼子の方を向いた。
涼子の瞳に、大きなツリーが映っている。
「・・・この席が一番きれいにツリーが見えますね。」
「うん。」
涼子が冷めたコーヒーに口をつけ、またツリーを見つめる。時間が穏やかに流れていく。
泉田は、涼子の横顔をじっと眺めて、そして言った。
「クリスマスまで、毎日見に来られるといいですね、このツリー。」
「うん。」
「今日早く帰れたら、そのクリスマスソングのCDの買い物につきあってくださいね。」
「うん。」
涼子の顔が、少しずつ泉田の好きな柔らかな表情に変わっていく。
「・・・クリスマスには、トナカイが本当に飛び方を知っているか、一緒に見届けないといけませんね。」
涼子が顔を上げた。泉田は、せいいっぱい微笑んだ。
次の瞬間、涼子は花がほころぶように笑った。
なぜ今が満たされていると思うのだろう。
なぜこの人を、守りたいと思うのだろう。
以下、その夜、一緒に買って帰ったCDを聞きながら泉田が出した結論。
わからないから、今はこの人のそばにいるしかない。
それはちょうど自分の流されている方向と、幸運にも(不運にも?)一致しているようだし。
これも運命だと思って、あきらめて楽しんでみよう。
・・・Merry Christmas to you, Jyunichiro & Ryoko !
一番大切な夜は、一番信頼できるあなたと。
(END)
*クリスマス!ということで、パステルにもツリーを飾ってみました。
泉田は絶対にクリスマスの仕事も買って出てしまう仕事中毒だと思います。お涼さまにはよくわかっているのでしょう。
しかしお涼さまはいざ自分と違うところの仕事が入ったら、問答無用で拉致ってしまいそうですが・・・。
2人にとって、すべての恋人たちにとって、幸せなクリスマスでありますように。
このSSのタイトルでもある『The christmas song』は、下記のURLで聞くことができるようです。
興味のある方は、遊びに行かれるのもいいのではないでしょうか。
ナット・キング・コールの歌声にうっとりです。
http://www.worldfolksong.com/xmas/pops/chestnuts.htm