<迷宮>



「右?…。」

角を手探りで曲がった途端、足に何かが当たる。
涼子はぴくりと歩みをとめた。

足で輪郭をなどってみる。
固い。木箱か何かのようだ。

ほっと肩で息をつくと、涼子は暗闇の中を再び進み始めた。



「岸本!早くしろ!」
「そ、そんなこと言われても…あ、あれ?ど、どこまでいったっけ…。」

泉田は、踏み込んだマッドサイエンティストの屋敷の地下で、ボディガードという名のならず者たちを相手に応戦していた。
銃声が響き渡る泉田の背後5M程のところで、
涼子に巻き込まれ、ここまで連れてこられた岸本が、コンソール(出入力装置)を前に脂汗をにじませている。



――物証はこの地下通路のどこかにあるわ。それまでここを食い止めて!――

そう言って涼子は1時間ほど前、この扉から飛び込んで行った…と同時にがくんと涼子の足元の床が外れた。

――警視!!――

泉田が叫んだと同時に、扉がバタンと音を立てて完全に2人を隔てた。

――警視…薬師寺警視!――

カシャカシャというキーロックの音に不吉な予感を抱きながら、泉田は扉を思い切り引っ張り、次いで迷わず体当たりした。
が、体は無情に廊下へはじき返され、扉の影に隠されていたコンソールが不気味に点滅し始めたのだった。





「うわーっ!」

泉田の目の前の敵が崩れた。
角から由紀子が飛び出し、横から敵を突き崩してくれる。

「泉田警部補!」
「あーっ!警視〜っ、助けてください〜、無理です〜僕には無理ですよ〜!」

「あ、バカ!岸本お前!」

コンソールの前から逃げ出し上司の元へ走る岸本を横目に、泉田はちっと舌打ちをするとディスプレイの前に立った。

画面の上部には岸本がトライしている扉鍵解除パスワードの画面が、下部には暗く地下の通路図が映し出されている。
その中で動いているかすかな光。おそらくはこれが涼子の今の位置だ。

突然闇の中に落されて、方向感覚を失っているのであろう。光はゆっくりと移動を続けている。

「薬師寺警視は!?」

息を切らした由紀子が同じディスプレイを覗き込む。

「これなの・・・・?」
「はい。」

頷いた泉田を由紀子が厳しい眼差しで見つめる。

「まぜ待てなかったの?あなたたちが出たあとすぐに、捜査令状が出て、もう外には警官隊が待機しているわ。」
「薬師寺警視が、この地下迷路では未知のものが量産されていて、正面から踏み込めばそれらが外部に被害を及ぼす可能性がある…と。」

「未知のもの?何、それは?」
「私にも詳しいことはわかりかねます。…申し訳ありません、止められませんでした。」

泉田は画面を見つめぎゅっと唇を噛んだ。
何をどう判断しているのか、光は着実にこの扉へと近づくべく、思考錯誤を繰り返している。

「責めていてもしかたないわね…岸本警部補、私が操作します。力を貸して、やりましょう。」
「は、はいっ。」

コンソールに向き直った2人に背を向け、泉田は拳銃を構えた。
何としてもここは守らねばならない。





「こっちじゃないの?!」

涼子は湿っぽいもわっとした空気を振り払うように、頭を振った。
熱さは判断を鈍らせる。

扉を入った時、一瞬目の前に広がった迷路のような通路、そしてもう一つ下の層へと落された時に見た通路。
それらを頭の中で組み合わせて、なんとか上の層まではすぐ戻ることができた。

しかし、行き止まり、行き止まりの壁は、徐々に方向感覚を蝕む。

「大丈夫。もう一度右。」

涼子はまた集中し、自身の信じる方向へと確実に踏み出し始めた。

そして。



「…これか。」

涼子がたどり着いたのは小さな部屋。その中に無数の飼育ケースが入り込んでいる。

「泉田クンが嫌いなタイプではなさそうね。足も羽もちゃんとあるわ。」

ケースの中で蠢く虫たちは、いつか見た音波を出す虫に似ている。

「何を考えていたのか知らないけど、なるほどねえ、まだあんたたちはある程度保護の下でしか生きられないってことか。」

小さなうなりは、おそらく飼育ケースの中の温度や湿度を保つための仕組みとして流れている電気音。
涼子はケースからつながっている電気線を目でたどり、小さな機械にたどりついた。

「じゃあ飼い主さんがあなたたちを逃がしにこないうちに。さようなら。」

拳銃が火を吹く。機械が涼子の目の前で破片になって飛び散った。





「何!これ。」

由紀子が叫ぶ。泉田と岸本が横から画面を覗き込むと、一瞬にして通路は全面が赤く点滅し始めている。
中でも何か非常事態が起こった場所なのだろうか。画面ほぼ真ん中に、ひときわ濃い赤のエリアがある。
そして…その中に、白い光が点滅している。

3人の隣でカシャカシャと再び扉が音を立て始めた。

「別のロックに組み換わるんでしょうか…何か非常事態が起きた時の為のより強固な…。」

泉田はホルスターから拳銃を取り出した。
もう迷っている暇はない。

「室町警視、どいて下さい!岸本!どけっ!」

「うわわっ。」
「何をするの!?泉田警部補!」

泉田は、扉に向かって立て続けに3発銃を撃ち込んだ。

撃たれた部分から煙が上がる。
扉が音を立てるのを止めて煙を上げ。そして。

キーッ。

「あ、開いた…。」
「嘘…無茶苦茶だわ…。」

茫然と見つめる由紀子と岸本を振り返ると、
泉田は一礼して一枚目の板を踏まぬよう、扉の中へ体ごと飛び込んだ。

由紀子はコンソールの画面に目を移した。
赤く点滅する画面の中、一つの白い光が素早い動きで移動していく。
中央にいるもう一つの光目指して。

由紀子はやれやれとため息をひとつつくと、突入してくるであろう警官隊に向けての指示の為に立ち上がった。





通路は非常灯が煌煌と付いていた。
柱はギリシャ風の文様で彩られ、迷路というよりはまるでちょっとした迷宮のような。

その柱と壁の間を抜けて、泉田は走る。

「薬師寺警視!どこですか!?」





涼子は動きをとめていく虫たちを確認して、小さな部屋を後にした。
非常灯のおかげで、もう完全に出口までの道は理解できる。

その時。
耳に飛び込んできたのは、忠実な臣下の声。
あせっていることがすぐわかる必死の声。

「年上の余裕が台無しね。」

涼子は肩をすくめてクスリと微笑むと、その声に応えた。

「あたしはここよ、助手A!」





ひときわ大きな柱を曲がったところで、泉田は涼子に思い切りぶつかった。

「痛いっ!!」
「あ、ああ、すみません。大丈夫ですか!?」

「大丈夫じゃないわよ、まったくもうっ!」

涼子は腰に手をあて、泉田を睨みつけると、突然その胸の中へ飛び込んだ。

「うわあっ!」

泉田がその体をかろうじて受け止める。涼子の手が泉田の背中にまわり、ぎゅっと背広を握りしめた。

「暑かったあ…なんかカビくさいし、疲れた。」
「・・・お疲れ様でした。」

泉田は涼子の背中をぽんぽんとたたく。
涼子はふと思った、まるで子供か猫をあやしているみたいじゃないかと。失礼な。

でもなぜかその手がとても気持ちいい。きっと猫も、こんな気持ちなのかもしれないと思った。

「警視、目的のものは見つかったんですか?」
「うん。もう片付けた。あとは科捜研あたりがうまくやってくれるでしょ。」
「お手柄でした。しかしよく暗闇であれだけ正確に動けましたね。」

「見えてたの?」
「扉は完全にロックされていたのですが、横のコンソールに通路図が出ていて、そこに警視の位置が表示されていたんです。」

「ふ〜ん、そりゃあ見ていておもしろかったでしょうね。」

少しふてくされて言うと、一瞬はっと体を動かした泉田は強く涼子を抱きしめた。

「ちょ、ちょっと!」
「おもしろくなんか…ありませんよ。勘弁して下さい。」

絞り出すような声。鼓動が速い大きな胸。
そして抱きしめてくれる腕の強さが、その言葉に嘘がないことを教えてくれる。

涼子はぎゅっと泉田の背中を抱き返してそしてつぶやいた。

「あたしが出られない迷宮なんてないの。だからキミは言われたとおり、敵を防いで待っていればいいのよ。」
「…待つのはいやですね。」

「仕方ないわねぇ、じゃあ。」

涼子は顔を上げた。そしてじっと涼子を見つめている深い瞳に、にっこりと強く微笑みかけた。

「どこまでもついておいで!」





誰もいなくなった入口のコンソールには、2つの光が1つになって静かに点滅を続けていた。


<END>



*や、やっと載せられた…。去年も全く同じ時期に壊れたPC、発火しそうなほど熱を持って、うんともすんとも言わなくなり、
大変ご迷惑をおかけいたしました。とりあえず実家に戻り、なんとか別PCでアップまでこぎつけました。
まずはメールや拍手でご心配を頂いた皆さまに深く感謝とお詫びをいたします。キリ番のお礼も言えていなくて大変申し訳ありません。
詳細は週半ばにPCが戻ってきたらまた掲載いたしまする。