<The Silvery Moon>
暗闇で目が覚めた。
手元の時計は、午前4時を少し過ぎたところ。
昨夜は、室町警視と上司の夕食会(本来は事情聴取?引継ぎ?)が行われ、
軽井沢、薬師寺家別荘に戻ったのが21時を回ったころ。
ここへ来てからの過労か、はたまた溜まった疲労か、
上司に先に部屋に戻る旨を告げた時には、もうまぶたが閉じかかっていた。
そのあとシャワーを浴びてからの記憶はない。
倒れこむように眠ってしまったのだろう。
しんとした闇。
少し肌寒い夜明け前独特の冷気。
目が慣れてくると少しずつ木組みの壁、そして天井が見えてくる。
私はゆっくりと起き上がった。
体が、まだ打撲は完治していないと微かに痛んで訴える。、
少し喉が渇いていたが、
部屋置きのミネラルウォーターは空になっていた。
キッチンに行けばあるだろうか。
私はスリッパをはいてガウンを羽織ると、部屋の外に出た。
階段にはほの暗いフットランプが灯っている。
足音をしのばせながら、私はゆっくりと階下に下りた。
大きな広間だ。
部屋の中心にあるのは暖炉。
その前にカウチソファーセットが置かれていて、
テーブルの上には寝る前に誰かが飲んだのか、
ブランデーとアイスボックス、そして水差しが置きっぱなしになっている。
ラッキー、これを頂いていこう。
そう思って近づいて、私はびくっと動きを止めた。
すぐ隣のカウチの上、大きなクッションに埋もれるように、人が横たわっている。
短い茶色の髪、暗がりでもわかる整った顔立ち。
私の上司。
本を読んでいて眠くなってしまったのだろうか。
カウチの下には、ペーパーバックとスタンドのリモコンが落ちている。
起きた時につまづくと危ない。
私はそっとそれを拾い上げてテーブルに置いた。
ふと見えたペーパーバックのタイトルは、読みたかったミステリーだ。
次に貸してもらおう。
そんなことを思いながら、起こさなかったかとカウチの方を見るが、ぴくりともしない。
警視庁刑事部参事官、薬師寺涼子警視。
そんな肩書きが似合わないほど、
涼子は眠っている時だけはいつも無邪気だ。
ふんわりとした大きなクッションに顔を半分うずめて、
うつ伏せ寝の体に薄いシルクの上掛けがかけられている。
しかし顔の横できゅっと握り締められている左手が彼女らしくて、
私は苦笑いしながら、肩からずれていた上掛けをそっと直した。
ふと、庭に面した窓、カーテンの向こうがぼんやりと明るくなっているのに気づいた。
すいよせられるように、そちらへ歩み寄って、のぞいてみる。
いつの間にか霧は晴れて、
木立の向こうで濃い闇の空が少しずつ明るくなろうとしている。
その空に、まばゆいばかりの光を放つ大きな銀の月。
あまりの美しさに私は魅せられ、その光景を見つめた。
ことん。
背後で小さな音がした。
振り返ると、涼子が起き上がって、ふらふらとこっちに歩いてくる。
明らかに寝ぼけているその歩き方に微笑を誘われる。
「何してるの?」
「警視。ほら、月がきれいですよ。」
「・・・うわぁ。」
カーテンを少し持ち上げると、涼子が感嘆の声を上げて微笑む。
左腕に、慣れた柔らかな温もりが寄せられる。
涼子は、私の肩にもたれて空を見上げた。
私をさんざんに振り回し、困惑させ・・・しかし今、誰よりも近くにいる人。
彼女は月を見るのが多分好きなのだろうと思う。
夜遅くまで一緒に仕事をしている時にも、色々な月の話をする。
時にパトカーの中から。
時に閉じ込められたビルから。
もういったいいくつ一緒に色々な月を見ただろう。
そしてこれからいくつ見るのだろう。
そんなことを考えながら、私は彼女の横顔を無意識にじっと見ていたらしい。
涼子の小さなあくびで、私は我に帰った。
「起こしてしまいましたか?すみません。」
「いいの。こんなきれいな銀のお月さまだもの。」
「もう一眠りされますか?」
「そうね。泉田クンはどうするの?」
「そうですね・・・結構よく寝ましたので、警視が読んでいたあのミステリー、貸していただけますか?
朝食の時間まで本を読んでいます。」
「読んじゃったからいいわよ。その代わり、ここで読んで。」
「え?」
「膝枕でもう一眠りする。」
はあ。
思わずため息がもれる。
そのため息に、女王様が美しい唇を尖らせる。
「いいじゃない、別に。お休みなんだしぃ。
それにね、このカウチすっごくすわり心地いいのよ、絶対気に入るから。」
「はいはい。じゃあそうしましょう。」
「やったあ!」
そう微笑んだ涼子につられて、仕方なく笑う。
まあいい。
ひどい目にあった不本意ながらの休暇でも、
自腹を切って連れてきてくれた上司に感謝することで、神様に善人であることをアピールしよう。
その時、ふと気づいた。
そして私は固まった。
「・・・何?」
その様子に、涼子が怪訝そうな目を向ける。
「いえ・・・。」
涼子が着ているのが白。私が着ているのが紺。
色こそ違えどパジャマの形は全く一緒。
これは俗に言うペアでは?
私の視線で概略を悟った鋭い上司はにやりと笑って言った。
「何?あたしとお揃いがそんなにいや?」
「いや、そういうわけではなく。」
「でも心配しないで、これ、あたしたち二人だけがお揃いってわけじゃないから。」
「は?」
「ジャッキーのも一緒に買ったの。ちなみにそっちはピンク。」
「ピンク!?」
よかった、そっちを着せられなくて。
私はかろうじて微笑んだのであった。
座り心地のいい革張りのカウチ。
お気に入りのミステリー。
テーブルには、ブランデーの残り香がするグラスに
なみなみと注がれたミネラルウォーター。
窓の外が少しずつ明るくなっていく。
私はそっと膝の上の柔らかな茶色の髪をなでた。
今度こそ心安らかな休暇になりますように。
(END)
*そろそろシリーズの続きが読みたいです(泣)。田中先生、お願いします〜。