何回目のため息だろう。
・・・あたしは、なぜため息をついているんだろう。
退屈だから。
そう、退屈だからなんだけれど。
なんだろう、この喪失感は。
<会えない時間>
「今頃、泉田警部補、どうしていますかね。」
「賭けてもいいが、家で洗濯と掃除だね。」
「丸岡警部、夢がなさすぎです。」
「私も独身時代はそうだったからね。でもまあ3日もあるんだ、明日からは遊びに行けるんじゃないか?」
「だといいですね。」
貝塚巡査は、丸岡警部のお湯のみにお茶を注いだ。
「おお、いい香りだね、ありがとう。」
丸岡警部は、お茶を一口すすると、幸せそうにほっと息をつき、
今日はまだ誰かを呼びつける声が響いていない、机の上のスピーカーを見上げた。
「女王陛下も静かにしていてくれると、いいんだがな。」
泉田は洗濯を終え、大きく空に向かってのびをした。久しぶりにゆっくり眠れたせいか、体が軽い。
先週はずっと捜査に駆り出され、始末書を3通仕上げて・・・平均何時間寝ただろう。
官舎のベランダの手すりにもたれると、ふと、自分と同じ時間しか睡眠をとっていない上司の顔が浮かぶ。
――どこから来るんだろうな、あのエネルギーは。――
意識がどんどんそちらに向いていくのに気づき、泉田はぶんぶんと首を振った。
せっかくの3日連続の休暇だ。今は忘れていよう。
そういえば日比谷図書館から、予約していたミステリーが入ったと連絡が来ていた。
昼からのんびりと取りに出かけるか。
干した布団をパンパンと叩くと、泉田は部屋に入り、掃除の続きにとりかかった。
「ちょっと出かけてくる。」
参事官室のメンバーたちにそう告げると、涼子は部屋を出た。
庁舎の外に出ると、ちょうど昼休みが終わったところで、賑やかに戻ってくる大勢の公務員たちとすれ違う。
日差しが眩しい。
行き先を決めているわけではない。
ただ、一人であの部屋にいると、息がつまりそうだった。
――タイミングよく、何もかも片付いちゃったからなぁ。――
昨夜、
『本当に明日から3日間も休暇を頂いてよろしいのですか?』
とたずねる泉田に、妙に苛立って、
『ずいぶんな自信じゃない?あんたがいなきゃあたしは何も出来ないと思ってるの?』
と、憎まれ口を叩いたのは、ほかならぬ涼子自身である。
はぁ、とまたため息をつく。
ショッピングの気分でも、ランチの気分でもない。
――図書館にでも行こうかな。――
警視庁から、比較的近い大きな図書館は2箇所ある。
国会図書館と日比谷図書館。
涼子は緑の多い日比谷図書館へと足を向けた。
「本当にミステリーがお好きなんですね。はい、どうぞ。」
「そうですね、勉強もしなくちゃいけないんですが。」
「あら?会社に入っても大変なんですね。」
「ええ、まあ、私の場合は。」
なんせ、上司が博学多才、傍若無人なものですから。
後半はこの際あまり関係ないが、泉田は、そう心の中でつぶやき、
すっかり顔なじみになった予約カウンターの女性が、手続きをしてくれるのを待った。
頭の隅に押しやった、眉目秀麗、才色兼備、完全無欠の上司の姿がまた浮かぶ。
わがままで丸岡さんを困らせていないだろうか。
退屈に任せて、とてつもないところに首を突っ込んでいないだろうか。
いや、それより何より、疲れてはいないだろうか。
休暇を取ったことを、後悔している・・・泉田はもはやそのことを認めざるを得なかった。
「まだ入ってきていない巻がありますが、次のご予約はどうされますか?」
カウンターの女性の声で、はっと我に帰る。
「ああ、じゃあお願いします。」
涼子は、図書館に着くとまっすぐ2階に上がった。
自然科学のコーナーへ向かおうとして、ふと、カウンターに見慣れた後ろ姿を見つける。
その後ろ姿は、カウンターの女性と額を寄せ合って画面を覗き込み、何やら話している。
楽しい話であることは、カウンターの女性の表情でわかる。
そこにあるのは、親愛の情を示し、共通の話題に胸を躍らせる、高揚した、恋をするものの笑顔。
「何やってんのよ・・・。」
休みの日までこんなところにくるか?、とか、
鼻の下のばしてんじゃないわよ(見えないけど絶対そう!)、とか、色々な言葉がめぐりめぐるけれど。
今は休暇だから。
「勝手にしなさいっ。」
そうつぶやくと、涼子は奥の書架へと向き直り、歩き始めた。
図書館を出てしばらく歩き、涼子は噴水近くのベンチに腰を下ろした。
苛立ちに任せて借りてきた本は重く、今更ながらに一人で出てきたことを後悔する。
うららかな日差しに、体まで重くなる。
時間が進まない。
・・・まだあと2日と半日もあるわ、壊れてるんじゃないの、この時計。
その時、ふいに小さな振動とともに呼び出し音が耳に響いた。
自分のものと、すぐ近くからもう一つ。
「薬師寺警視!・・・どうなさったんですか?こんなところで。」
端末を止めて手に持ったまま、泉田がベンチに駆け寄ってきた。
涼子はバックからまだ鳴っている端末を取り出し、止めて、泉田を見上げた。
「本店からの呼び出しのようですね。すぐに戻りましょう。あ、荷物をお持ちします。」
泉田は、涼子の膝に置かれた本をひょいと取り上げると、肩にかけていた袋に入れた。
「タクシーをつかまえますか?」
涼子は、手の中の端末に目を落とし、もう一度、半日会わなかった背の高い忠臣の顔を見上げた。
そしてにっこりと、微笑んだ。
「よしっ、誰かは知らないけれど、今日の犯罪者はまずは誉めてつかわすっ!」
「は?」
「タクシー?何軟弱なこと言ってんのよ、泉田クン、走るわよ!」
「え、ええっ!?」
泉田は戸惑う暇もなく、ヒールスプリンターの後を追う。
いつものように。
そして、ほっとしている自分に気づく。
そんな泉田を振り向いて、涼子が叫んだ。
「泉田クン、気の毒だけど休暇は終わりよ。」
「公務とあらば、いたし方ありません!」
休暇を返上することに何のためらいもない理由は、それだけではないけれど。
そのほかの理由は、うまく言えないから、まだ上司殿には言わない。
「やっぱり天はあたしの、正義の味方なのよ。」
「はいはいっ。」
公園を抜けて、検察庁の脇をつっききって、本庁に着くまで。
それは自分の気持ちを確認するには、多分十分な時間。
休暇は終わり。
もうしばらくは、いらない。
(END)
<おまけ>
「泉田クンは図書館の予約カウンターの女性にまで知り合いがいるのね。」
「・・・?なぜそれをご存知なんですか?」
「・・・隠したかったの?」
「・・・???おっしゃる意味がわかりません。」
涼子はふうっとため息をつくと、手をひらひらとドアの方へ向けた。
「結構、行ってよし。」
「はい、失礼致します。」
ばたんと扉が閉まる音。
――鈍い・・・鈍すぎる・・・――
この苛立ちをどうしてくれよう。
涼子は、あの日借りてきた本へと手を伸ばした。そして薄い笑みを浮かべる。
まあいいや。とりあえずは、彼と一緒にまずこの本を返しに行こう。あのカウンターへ。
*泉田×お涼、初書きでございます。
「薬師寺涼子の怪奇事件簿」はめったに二次創作のサイトが無いことに加え、
存在するサイトさま全てがあまりに良質で、私みたいなのが加わり、申し訳ない限りです。
どうか皆さまが失望されていませんように。どうしても書きたいので、引き続き努力精進致します!