<Blue Moon>



「本来は、2回目の満月のことよ。」
「ひと月に2回満月…ああ、あるかもしれないですねえ。例えば月初一日目が満月から始まったら、もう一度巡りますぅ。」

「なかなかないんだけどね。だから、『めったにないもの』なんて言う訳もあるくらいよ。」
「へえ。」

涼子はピンと書類を弾いた。

「いずれにせよ、やっかいなダイイング・メッセージね。」



参事官室の面々は、会議室で事件の資料を見ながら、捜査方法の検討中だ。

都内で起きた密室殺人。
被害者は何と薬品のようなもので皮膚溶けかかっていたところを、悲鳴を聞きつけた家族に発見された。
絶命前の言葉、所謂ダイイング・メッセージが『ブルー・ムーン』だ。

貝塚はすごい勢いで、端末を使って検索をかけていた。


「なるほど、色んな意味があるんですねえ。あ、今年はブルー・ムーンの当たり年だって書いてある!」
「もう終わっているでしょ?月に2回満月も珍しいけれど、それが年に2回ってのは確かに珍しいかもね。」


「正味、青い月って意味はないのかね?ほら、歌にもあるだろう、月がとっても…。」
「月が物理的に青く見える状況ですかあ?・・・ああ、火山灰の影響で青く見えることがあるって書いてあります。」


「あれじゃないでしょうか?ほらアイスランドの噴火。」
「被害者と関係がありそうには思えないがなあ…海外旅行に行く予定でもあったのか?
しかしそれならアイスランドと言いそうな…。」

泉田は書類をぱらぱらとめくって、ふと気がついた。


「宝飾店の請求書?」


被害者の財布の中に入っていた、何の変哲もない宝飾店の請求書。値段は5万円。


「奥さんが、来月の私の誕生日のものかもしれないって泣き崩れていたわよ。別の女に渡すものかもしれないのにね。」


意地悪を言う涼子をスルーし、泉田は貝塚を見た。


「この宝飾店を検索してくれないか?」
「はぁい。」


貝塚が検索を始める。あらゆる角度から、すごいスピードで。しかし。


「…該当、ないようですねえ。」
「住所は書いていないから、これ以上探しようがない、か。被害者の通勤路を歩いてあたってみるしかないかもな。」


ため息をついた泉田の隣で阿部が首をひねっていた。


「この店の名前…どこかで…。」
「阿部巡査、覚えがあるのかね?」


みんなの視線が阿部に集まる。
阿部は、落ち着きのないクマのごとく、ぐるぐる頭をまわし、そしてぽんと手を打った。

「そうだ、先週応援に駆り出された失踪事件の被害者のPCのメールにあった!」





泉田は、涼子を隣に乗せて被害者の通勤路を何度も走ってみたが、宝飾店はない。
道路わきに車を止め、状況を整理してみる。


「同じ宝飾店から何かを手に入れた人間が、失踪、殺害ねえ。」
「まるでホープダイヤの呪いですね。しかし・・・購入したのは、やはり宝石なんでしょうか?」


涼子は少し開けた窓から夜風に髪をなびかせ、答える。


「宝飾店に他に売っているもの…時計?高級なステイショナリー?でも、どれもブルー・ムーンにはふさわしくないでしょう?」


あっ、と小さく叫んで泉田は涼子をちらりと見た。


「あのダイイング・メッセージと関係があると?」
「そう考えてもいいじゃない?」


涼子は空を見上げる。
ブルー・ムーンではないが、満月だ。


「さて、何かしらね・・・月に例える宝石…ムーンストーンじゃひねりがなさすぎね、ならダイヤ?それとも…。」


「真珠…はどうですか?」


泉田はハンドルにもたれ、フロントガラス越しに輝く月を見て、そうつぶやいた。

涼子がヒュッと口笛を鳴らす。


「確かにね。領収書の値段的にダイヤじゃ安すぎる。真珠の、しかも色つきならそれくらいの値段のものもあるわ。
泉田クン、冴えてるじゃない?」
「どうも。」


褒められて少し得意げな泉田の頬を、涼子がぐにっと引っ張る。


「…誰に貢いでいるの?値段にまで詳しくなるほど、どこの女に貢いだのよ?」
「ひ、ひひゅいへいはへん(貢いでいません)!」


「まあ、いいわ。それ、調べてもらいましょう。」

涼子は泉田の頬から手を離すと、貝塚に連絡を入れた。





「ああ、そのキーワードならヒットが出ますぅ。」

携帯の向こうから響いてくる貝塚の声に、
涼子はトントンと車の窓枠を指で叩きながら、にやりと笑う。


「・・・おそらくそれね。・・・ええ・・・販路は・・・。関連していると思われる人に緊急告知を・・・。」


泉田はハンドルにもたれて、町ゆく人を眺めていた。
推理が当たっていれば、その真珠を手にした人は、今回の被害者のように溶けて消えてしまうのか?
休日の平和な風景とはあまりにもかけ離れた情景だ。

携帯を切った涼子が、泉田の方を向き直る。


「・・・浮かない顔ね。」
「本当にあるんでしょうかね、宝石が人を溶かしてしまうなんてことが。」


「今検索でヒットしているキーワードは、『真珠は願いを叶える』だそうよ。」
「願い、ですか?」
「ネットの噂では、願いを叶える為には、『ブルー・ムーンという』青い真珠を買うといいらしい。
ある宝飾店にメールを送ると、選ばれた人のところにだけ返信メールか電話連絡が返って来るんだって。」

「はあ。」

「で、それが送られてくると、取り込まれてしまう。・・・ちなみに泉田くんなら願いは何?」
「・・・日本の平和と安全と、自身の心の平安でしょうか。」


涼子は額を押さえると、やれやれと言った風にため息をついた。


「前半部分はあたしが居れば大丈夫、後半部分はそのうち買ってあげるから邪念は捨てなさいね。」


泉田は黙って目を閉じた。
どちらも最大の発生不安要因は、目の前の上司である。
しかし鍛えられた口は、とりあえず感情抜きに妥当な言葉をつぶやく。


「努力いたします。」

涼子の携帯が鳴った。貝塚からだ。


「注文した人に連絡がついたの!?都内!?今、箱が届けられてるって!?」


涼子が電話越しに復唱する住所へ急行すべく、泉田はエンジンをかけハンドルを切った。





涼子と泉田がマンションの玄関先でインターホンを鳴らした時には、
既に相手は絶叫していた。


「助けてくれー!!」


開いたオートロックのドアへ飛び込み、現場へ急行する。
中から転がり出てきた男の指先には、火傷したような跡があった。


「怖いから動かそうとしたら、いきなり中から蒸気みたいなものが上がって・・・。」


泉田は、男を玄関に座らせると、涼子をかばうように前に立った。

部屋の真ん中に、ノートパソコンほどの段ボールがあり、それがみるみるうちに蒸気に包まれ、跡も残さず溶けてゆく。
これまでの失踪者は、こんな風に溶けてしまったのだろうか。

その蒸気にゆらりと揺れながら、小さなビー玉ほどの球体が浮いている。
青白く輝く真珠だ。


「あれが・・・ブルームーン・・・?」


泉田がゆっくりと近づく。
その時、泉田の頭の中に穏やかな、それでいて力強い女性の声が響いた。


『あなたの願いは何?私と一つになれば、いつか時と力が満ちたら、それが叶う。言って、あなたの願いを。』


さっき涼子に問われた時と同じように、日本の・・・と思考が走った途端、目の前がぐらりと揺れた。


「泉田クン!しっかりしなさい!」


涼子の声が遠くに聞こえる。


『あなたの願いは何?』


繰り返される頼もしげなささやき。しかし。
次の瞬間、泉田は現実に耳をぐっと摑まれた。


「願いならあたしが全部叶えてやるって言ってるでしょ!そんな現実不可能の名を持つ奴に惑わされるな!」


こういう時には品性の欠片も感じられない聞きなれた罵声が、まさに耳元で響き渡り、泉田を正気に引き戻す。


そうだ、ブルームーンの意味は『ありえないこと』。
それに対して、この世で現実味があるのは、真珠より、願いより、薬師寺涼子だ。


「おまえに頼むことなど・・・何もない!」


泉田が蒸気の中に手を入れ、真珠の玉をつかみ取る。
しかし掴んだと思った瞬間、それは指をするりとぬけてふわりと空中に浮かんだ。


「あちっ!ああっ!?」
「ああっ、ドア!」


真珠の玉は、そのまま開けっ放しだったドアを抜け、外へ向かって飛び出した。
涼子と泉田は、外へ飛び出し廊下の手すりまで追ったが、玉はそのまま空へと舞い上がり、すぐに見えなくなった。


「ああああ・・・。」
「逃げられた・・・。」


2人は夜空を見上げた。
そこにはいつもと変わらず穏やかな月が人界を照らしていた。





受取人の男からは、インターネットの噂を見た後、送られてきたメールに返信をし、入金をしたら、
品物が届けられてきたという、貝塚の調べどおりの証言しか得られなかった。

その場から送り先へ連絡を取ったが、全くの架空住所。明日朝から入金口座も調査に入るが、
青い真珠の出所は、謎のままとなりそうだ。


「黒星か・・・。」
「逃げられやしないわ、また捕まえてやるわよ、必ず。」

捜査員たちが引き上げていくと、車のボンネットにもたれながら、2人は空を見上げた。
夜明けが近い。


「・・・
O, swear not by the moon, th' inconstant moon,
That monthly changes in her circled orb,
Lest that thy love prove likewise variable.」

「形を変えゆく不実な月になど、愛を誓わないで・・・か。ロミオとジュリエットですよね。」」

涼子がつぶやいた台詞に、小さなあくびをしながら、泉田が言葉を添える。

「さすが英文学科。そうよ。月に何かを誓ったり願ったりは、どうかと思うわ。」

涼子が月に手をかざす。
心なしか真夜中より大きくなった月は、白く眩しいほどだ。


「吸い込まれそうな光ですね。」
「やめてよ、今日はもう仕事はしないからね。それに、」


涼子が腕を絡めて泉田の視線を捉える。


「願いならあたしが・・・。」
「叶えてあげる、でしょ?よろしくお願いします。」

涼子はにっこりと満足げに微笑むと、また空を見上げた。

そして泉田はその横顔に、しばしの平安を祈ったのだった。


(END)



*自身の体調やらパソコンの不調やらで大変遅くなりまして、申し訳ありません。
たくさんの励ましのメール、本当にありがとうございました。
ぼちぼちでも続けていければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

なんとなくこのサイトの「嘘は罪」に設定が似ちゃったことをお詫びします(ネット風評・最後のシーン)。
私、この2人がボンネットに並んでもたれる図、とても好きなんだな、きっと。
なんだか気温の乱高下を繰り返す毎日、皆様もご自愛ください。