<中華風御伽噺>
「中国のお化けは、とにかく美女が多いです。」
「へえ。」
「しかも現実的。お化けなのに、人間から金品をもらっちゃったりするんですよ。」
「まあ、死んでからもそれくらいの根性がある方がいいわよね。」
「そんな根性、出さないでください・・・。」
昼下がりのチャイニーズレストラン。
食後の桃饅頭をほおばりながら、貝塚さとみ巡査が笑う。ジャスミンティーの香りを堪能しながら、涼子が笑う。
休日。
貝塚を隣に、涼子を正面に、なぜこんなところにいるのか。泉田はほっとため息をついた。
映画はお決まりのラブストーリーだったが、アクションもふんだんに取り込まれており意外に楽しかった。
女性主人公は幽霊。それも絶世の美女・・・で、映画回顧から冒頭の会話につながっているわけだが。
もともとは涼子が、貝塚の為に取り寄せた香港映画の横浜試写会チケット。
なぜか枚数は3枚だった。
「行きたくない?かわいい部下が行きたいと言っているのよ。君が行かなくてどうするの。」
黙って目を逸らした丸山警部に難を振りかけることは出来ない。「わかりました」と言わざるを得なかった中間管理職の悲哀。
そんな泉田の隣で、貝塚は目を輝かせて話を続けている。
「根性のあるお化け?あれ、妖怪?といえば、キョンシーですよね。」
「生きた死体ってやつね。」
「ぴょん、ぴょんって手を前に突き出して足首で跳ねて動くんですよね。
体が固いっていう設定なんです。結構リアルに死後硬直が表現されているんですよ。
それでもまたこれが獲物を追っかけると、結構速かったりして。」
「たしかに霞か煙かってオモムキの日本の幽霊とは違うわね。」
「でしょ。中国のお化けってなんかみんな生命力があふれてて元気です。」
死んでいるからお化け。生きていないからお化け。なのに生命力があふれていて元気って、おーい、どういう矛盾だ。
心で突っ込みながらも、なんとなく貝塚の言っていることも分かる気がして、
泉田は2人の会話を黙って微笑みながら聞いていた。
ふと貝塚の頬に桃饅頭の皮のかけらがついているのに気づく。指でひょいと取ってやる。
「あ、ありがとうございますぅ。」
貝塚が満面の笑みを向ける。笑うと一層表情が幼くなって、とても20歳を過ぎているようには見えない。
今日のダッフルコートにニットのワンピーススタイルでは、まるきり中学生だ。
「泉田警部補、お兄さんみたいですぅ。」
「あら、お父さんでしょ?」
ぐっ。
泉田は涼子の言葉に飲みかけのジャスミンティーを噴出しかけたが、かろうじてこらえた。
「けほっ・・・お父さんはひどいんじゃないでしょうか、警視。」
「だって、ぱっと見たら年の差20歳以上よ。」
「パパって呼びましょうか?」
「そうね、違和感はないわ。」
勝手にしてくれ。泉田は、またため息をついてお茶の続きを口にした。
「じゃあ今日は本当にありがとうございました。警視、そして泉田警部補・・・ちがった、パパ!」
「本当に怒るぞ。」
泉田は笑いながら軽く片手でファイティングポーズを取ってみせた。
きゃあと言いながら、貝塚は笑って手を振った。
「失礼します。」
「気をつけてね。」
泉田と涼子は、夕暮れの中華街の人ごみの中に紛れていく貝塚の背中を見送った。
貝塚はこれから近くで、香港の俳優のファンが集まる『会合』があるそうだ。
「警部、今日は電車でしたね。駅までご一緒しましょうか。」
「ん〜そうね。せっかく久しぶりに来たから、お店でものぞきながらちょっと歩きたいな。」
涼子は泉田の顔を覗き込んだ。
「・・・早く帰りたい?」
出た、必殺の上目遣い。
今日は珍しくロングコートだが、一目で上質のカシミヤと分かる漆黒。
襟元に錫のふくろうのブローチがついているのはご愛嬌だが、道行く人が、美しさへの驚嘆と羨望の眼差しで見て通る。
何も知らなければその反応も当然だ。
泉田も彼らを責める気にはなれなかったが、自分の身の不運は大いに嘆きたかった。
「・・・もちろん、あなたが見たいとおっしゃるのであれば、お供いたします。」
途端に涼子の顔がぱっと輝いた。
「やったあ!じゃあ行こっ!」
泉田の左腕に涼子の右腕が絡められた。
「これ、おもしろい。買う。待ってて。」
「はいはい。」
泉田は表でワゴンに積まれた、龍をかたどったストラップやキーホルダーを見ていた。
一説に龍は恐竜の化石や伝承をたどって作られた伝説上の動物だと言う。
そう考えると、龍=怒り狂った涼子=ティラノザウルスと言えなくもない。
そんなことを思いながら色々な形の龍を見ていると、涼子が店の中から出てきた。
「お待たせ。」
「いいえ。荷物をこちらへ。」
何やら小物がいろいろ入った買い物袋を持ち、泉田と涼子が歩き始めた時。
どん。
「痛いなあ。オネエちゃんが前を見て歩かないからケガをしたじゃないか。」
「慰謝料払ってもらおうか。」
突然涼子の前へ出てきたお面をかぶった3人連れ。
お面と言っても中華街独特の頭からすっぽりかぶるタイプのもので、坊主とマダム、そして猿のお面だ。
ネオンに映えて不気味ではある。
口にきき方から考えるといわゆる準構成員、つまりチンピラとも思えない。たちの悪い高校生のカツアゲだろうか。
涼子はまさに獲物を捕らえた龍もかくやという顔でにっこりと笑うと、バッグに手を伸ばした。泉田は慌ててその手を押さえた。
「いけません!」
「正当防衛よ、こんなチャンスはめったにないわ!」
確かに明らかにお涼に非がない状況は珍しいかもしれないが、
こんなところで彼女の趣味である派手な大騒ぎを楽しませるわけにいかない。
「走りますよ!こっちへ!」
泉田は涼子の手を引いて、大通りを走り出した。
「あ、待て!」
こんなにすばやく逃げられるとは思わなかったのだろう。3人は面を被ったまま追ってくる。
「なんであたしが走らなきゃいけないの!」
「あんなところで発砲するわけにいかないでしょう!?」
「関係のない人間に当てるほど下手じゃないわよ!失礼ね!」
「そんなことは言っていません!ちっ、しつこいな、まだ来るか。」
3人はまだ後ろを走ってくる。このままでは埒が明かない。
泉田は店と店の間の細い路地を曲がって、涼子を後ろ手にかばい荷物を渡した。
「おとなしくしていてくださいよ。」
先頭で追ってきたマダムの面を被った男が、泉田の胸倉を掴んだ。その手をぐっと逆手にねじあげ、そのまま地面に叩きつける。
「こっちも身を守らなきゃいけないからな、悪く思うな。」
続いて殴りかかってきた2人目を投げ飛ばし、3人目に蹴りを入れて転がす。
あっという間だった。
涼子がうめいている男たちの胸倉を掴んで、上を向かせ何やらお面の額に貼り付けている。
「あの・・・警視、何を?」
「あ、これね。キョンシーを操るためのお札。さっきの店にあったの。」
「・・・まあいいでしょう。所轄に連絡しますか?」
「そうね、あんたたち、警察へ行きたい?」
3人がひっという声を出しながら、ずるずると這って涼子から離れようとする。
「連絡するのも面倒だから見逃してやってもいいけれど、今度見たら許さないわよ。
あたしは警視庁刑事部参事官薬師寺涼子。今日のその額のお札を見たら、懺悔の念を思い起こすのよ、いいわねっ!」
3人はこくこくと頷きながら、痛む体を引きずって路地の奥に消えていった。
涼子は荷物の中にせっせとお札をしまっている。泉田はおかしくなった。
「警視、なんだか妖怪退治みたいですね。」
「そうね。まるで中国のおとぎ話ね。」
涼子もくすくす笑いながら荷物を泉田に渡し、また腕を絡めた。
「妖怪と戦う英雄ね、泉田クンは。」
「あなたさえおとなしくしていてくださればね。」
「なんで、そんな憎まれ口叩くかなあ。」
泉田にとっては、憎まれ口ではなく真実だった。
どんなに助けたいと思っていても、先に立って飛び出していってしまう人。その為に何度もどかしい思いをしたか。
涼子が少し拗ねて泉田を見上げる。
泉田は苦笑しながら、その思いを伝えるように涼子の瞳をじっと見つめ返した。
涼子がその視線を受け止めて、腕を解いて、指を絡めてねだる。
「ねえ、港まで歩きたいな。海が見たい。」
「いいですよ。もう妖怪が出てこないといいですね。」
「出てきてもやっつけてくれるでしょ?今日はあたしはお札で加勢するわ。」
「そうですね。」
妖怪やお化けからお姫さまを守る英雄・・・か。上司に守られる部下、よりはその方がよさそうだ。
泉田は少し胸を張った。我ながら単純だと自嘲しながら。
風が潮の香りを運んでくる。
「このお札、部長と総監のおでこに貼ったら、操れるようにならないかしら。」
「あの2人もある意味妖怪かもしれませんが・・・。」
2人は大賑わいの中華街大通りを、海に向ってまたゆっくりと歩き始めた。
・・・おとぎ話の終わりは、甘いロマンスでありますように。
(END)
*本当に刑事部長のおでこにはっつけなきゃいいんですが。