<CON GAME>
「引っ越すんです。」
「・・・ほぅ。」
泉田は一瞬言葉に詰まった。
警視庁の廊下で偶然会った岸本は、相変わらず血色良く満面の笑顔だ。
「いやだなあ、泉田さん。どこへ?とかなぜ?とか聞いてくださいよ。気が利かないなあ。」
「お前さんに言われたくない。」
「新しい官舎が出来るらしいんです。強力な後押しでなんとか入れそうなんですよね。」
「・・・初耳だな。」
この財政難の折に新しい官舎?風当たりもきつかろうに。
そんなことを考えていた一瞬の間に、岸本はどんどんしゃべる。
「いやあ、遺跡みたいな官舎を建て壊した後に出来るそうですが、やっとBSも完備するし、
通信網も充実するんですって。僕はかねがね、時代の先端を走るべき警視庁職員が、
僕のところのような旧態依然とした官舎に住んで、任務が果たせるのかと疑問に思っていたわけです。
そもそもリアルな犯罪の志向というのはですね・・・。」
泉田は、岸本の口を強引に手のひらでふさぎ、反対の手で頭を押さえた。
もごごという声とともに、おしゃべりが見事に止まる。
「俺は今警備部の書類を取って来いというお涼の命令遂行中だ。
話はまたな。夢のお城が完成したら写真でも送ってくれ。」
「送ります、でも入れてあげませんよ、僕のお城ですから。」
「誰が入るか。」
泉田はくるりと背を向けると、目的地の方へ歩き出した。
「遅い!どこで道草してたの!」
「・・・申し訳ありません。」
涼子は泉田の持ってきた書類を受け取ると、早速に目を通し始めた。
それを女王さまの『下がってよし』の合図と受け止め、退室しようとした泉田の目に、
デスクの端にある間取り図が目に入った。
泉田はそれをつまみあげた。
「あ、こら、勝手に見るな。」
涼子があわてて立ち上がってひったくろうとするが、泉田はひょいとそれを持ち上げて見た。
2LDKくらいのマンションだろうか、間取り図が一番上についている。
その後ろにはさらに、詳細な建築関係の図面が何枚か付いている。
「何かの捜査資料ですか?」
「・・・キミには関係ないものよ。」
泉田の頭の隅を何かが掠めた。とりあえずそれを口に出してみる。
「・・・新しく出来る官舎に関係があるものですか?」
「・・・官舎?」
冷静を装った涼子の眉がぴくりと動いたのを、泉田は見逃さなかった。
「まさかと思いますが、警務部から私のところに来た案内ではないでしょうね。」
涼子は一瞬間を置いた後、ぷいと横を向いて椅子に腰掛けた。
「・・・ずいぶんと耳聡いじゃないの。」
高々と脚を組み、涼子は逆に泉田の目をのぞきこんできた。
こういう口数の少ない時の涼子は、要注意だ。
たたみかけると、こちらが逆に言わなくていいことをしゃべらされかねない。
この駆け引きに深追いは禁物と心得た泉田は、ふいと目を逸らし図面を机の上に返した。
「失礼いたしました。」
軽く敬礼をして退室しようと背を向けた途端、その背中に音もなくふわりと涼子がはりついた。
「怒ってる?」
「なっ!?」
耳元で囁きかけられて、泉田は硬直した。
「本当はね、ここに入ってほしいとも思っているのよ。でもなんだか複雑で・・・。」
「は、はあ?」
「そうするととっても近くなるのよ、あたしの家から泉田クンの家まで。駅3つくらいかな。
あたし、泉田クンの家まで押しかけたいって理性を抑えられるかどうか・・・。」
「そ、それは抑えて頂きたいですが。」
場所はまたえらく都心の便利なところだ。
それに岸本が言っていた最新設備が付くなら悪くない。
泉田は頭をめぐらせた。
ここはこの背中に取り付いている魔女を味方につけておかねばなるまい。
「今までどおりお送りするのであれば、
近くなったらもう少しゆっくりおつきあいできる・・・かもしれません。」
「・・・それは嬉しいかもね。」
ふふっと涼子が耳元で笑う。泉田はぞくぞくする背中の感触を首を振りつつ追い払って、
肩にかけられた手を柔らかく払い、涼子の体を離した。
「入居できそうなら、警視の方からも後押しをぜひお願いいたします。」
「わかったわ、かわいい部下のためだもの。」
涼子は元のデスクに戻ると、にっこりと泉田に笑って見せた。
「下がってよし。先に食事をすませて。昼からは出かけるわよ。」
「かしこまりました、失礼致します。」
颯爽とドアから泉田が出て行く。
涼子は瞬時に表情をゆがめ、ちっと舌打ちした。
「鍛えすぎたかな。ま、まだまだだけどね。」
涼子はにやりと笑うと、ダーツの矢を閉じられたドアの的に向って思い切り投げた。
泉田は昼食をとりに外に出た。
心なしか日差しもうららかに明るく思える。
新しい官舎に移るなら、まず容量オーバーの本棚を新しくしよう。
並べているプランターも持っていけるように、次もベランダのあるところならいい。
いや、次はバルコニーかな。
涼子を送っていった後、帰る道のりもぐんと楽になる。
本当に少し夜遅くまでつきあっても大丈夫かもしれない。
マリアンヌとリュシエンヌの手料理を、心ゆくまで食べて飲んでも、3駅くらいなら歩いてでも帰れるだろう。
「なんだか楽しそう、泉田警部補。」
ふと顔を上げると、苦笑いを浮かべた室町由紀子が立っている。
「も、申し訳ありません。気づきませんで。」
泉田は慌てて敬礼の姿勢を取りかけたが、周囲の目に気づいて軽く目礼に切り替える。
「めずらしいわね。どうしたの?」
由紀子の穏やかな問いかけに、泉田は新築の官舎の話を伝えた。
由紀子は小さく首をかしげた。
「そんな話があるのね。全然知らなかったわ。」
マンションを所有している涼子と同じく、
警察OBの家である自宅からの通勤者である由紀子には、無関係な話なのかもしれない。
しかし岸本は話していないのか?
何か釈然としないものが残ったが、時計を見た由紀子に引き止めた詫びを言うと、
泉田は昼食を取るためにファーストフードの店に飛び込んだ。
道を行き交う人を見ながらハンバーガーをかじり、
泉田はいくつかの事柄が断片的に、頭の片隅に引っかかっていることに気づいた。
あの時、岸本は何と言っていた?
『新しい官舎が出来るらしいんです。強力な後押しでなんとか入れそうなんですよね。』
上司の室町警視が知らない話だ。では強力な後押しとは誰だ?
『・・・官舎?』
泉田の言葉にかすかに眉をしかめた涼子の顔が甦る。考えればあの表情は何か変だ。
黙っていたことを部下に見つけられたいつもの涼子の表情とは、明らかに違う。
そしていくつもの詳細な設計図がついていたあの図面の束。
泉田は席を立つと、警視庁に向って歩き始めた。知らずに足が早くなる。
何かがおかしい、何かが。
建物に戻り、エレベーターを待つのももどかしく階段を駆け上がる。
泉田は、涼子のいる執務室をノックすると、返事を待たずにドアを開けた。
ヒユッ。
頬を矢がかすめる。
泉田は目の端で廊下に転がった矢の行方を追いドアを閉めると、カツカツと涼子のデスクに歩み寄った。
「・・・新官舎の話は嘘ですね?」
涼子は何も答えずに、薄笑みを浮かべて泉田を見上げている。
「何が狙いですか?」
「・・・なんだと思う?」
泉田はデスクに両手をついて、きっと涼子をにらみつけた。
「おお、怖い。上司を睨みつけるなんて怖い部下だこと。」
涼子は言葉とは裏腹に不敵に笑ってみせた。口元が魅力的にきゅっと引きあがる。
「さっき私が『官舎』と言った時、あなたは一瞬反応が遅れた。その時気づくべきだったんです。
あれは新官舎の図面などではない。別の建築物なのでしょう?
ただそうだとしたら、あなたは嘘の新官舎の話に詳しすぎる。
ここから導き出される推論は、あなたが岸本に嘘の新官舎の話をし、後押しをしてやると約束までした・・・
そういうことになります。」
泉田の探るような目をじっと見返し、涼子は動じもせず、その表情からは何も読み取れない。
「・・・しかし目的がわからない。なぜそうまでして岸本や私を騙す必要があるのか?・・・。」
クックックッ。
涼子が小さく笑った。
「動機なし、物証なし、このゲームはキミの負けね。」
バンと泉田が机を叩いた。
「警視、タチが悪いですよ。人の心を弄ぶような嘘は最低です。」
涼子は肩をすくめ、本気で怒っている様子の泉田にしぶしぶ口を開いた。
「騙されるほうが悪いのよ。そもそもあたしは泉田クンにはなにも嘘は言っていないもん。
そっちが勝手にこの図面を官舎だと勘違いしたんでしょ?」
涼子が図面を引っ張り出す。泉田は受け取って改めてそれを見た。
前に見た時には気づかなかったが、束の隅に書かれているこのマークには見覚えがある。
「JACES・・・。」
「そう、このマンション、古い官舎跡にJACESが建てるマンションなのよ。今購入者募集中。」
「はあっ!?・・・あ・・・。」
泉田の中で、全てがつながった。
「まさか岸本を騙して、このマンションを買わせようって言うんじゃ・・・。」
「あいつのことだから、最新設備で一回釣れば、実は官舎じゃなかったって言っても買うわよ。
もう今の部屋はルンちゃんグッズとコスプレでぎっしりらしいからね。
それくらいの資産余力はあるでしょうし、釣り上げるのにちょっと夢を持たせただけじゃない。
そんなに悪いことしてないわよ。」
「あのねえ・・・私だって一瞬楽しみにしたんですよ。」
真相がわかってしまえば徐々に怒る気も失せて、泉田は大きくため息をついた。
「あたしだって傷ついたわよ。
後押しを得るために、しゃあしゃあと『近くなったらもう少しゆっくりおつきあいできるかも』なんて言って!
まさにそっちこそ結婚詐欺師まがいの台詞じゃないの!」
「なっ!?」
涼子が耳まで赤くなってぷいと横を向く。
泉田は気まずさを隠すように、カリカリと頬をかき、そっとデスクの反対側に回った。
「あの・・・嘘ではなく、近くなれば本当にいいと思いました。」
「それはゆっくりつきあいたいからじゃなくて、帰りが近いからでしょ!」
「それも確かにそうですが・・・それだけでもありません。本当です。」
「本当?」
「誓って。」
涼子はまだ少し頬を赤くしながら、図面を持ち上げてぴんと指ではじいた。
「それなら、惜しいな。警視庁に売りつけて官舎にしちゃえばよかった。」
「えっ!?ええっ!!」
「でもだめなのよ。もういくつかは一般人に売れてしまっているからね。
そうそう、昨日葉山江里の入居手続きが終わったって言ってたから、
岸本の入居はもう騙さなくても決まったも同然ね。」
泉田は再びため息をついた。葉山江里・・・ルンちゃん役の声優だ。
岸本なら騙されたとわかっても、一生分の給料をつぎ込んでも買いかねない。
やれやれ、とんだCON GAME(詐欺)の終着駅だ。
涼子は立ち上がると手早くデスクの上を片付け、鞄を持って泉田の隣に立った。
「今夜は軽くフレンチの気分なの。昼からの仕事、さっさと片付けるから車を回しなさい。」
「了解いたしました。」
敬礼する泉田の頬に涼子が軽く口づけながら囁いた。
「キミになら、たまには騙されるのも悪くないわね。思わずうっとりしちゃったわ。」
岸本の夢のお城の写真が、泉田の手元に送られてくるのも、もうまもなくかもしれない。
(END)
*遅れに遅れて申し訳ありません。岸本の夢のお城のお話でした(違)。
お涼さまと泉田クンの騙し騙されが書きたかっただけです。
お涼さま同様、泉田クンになら騙されてみたいファンも多いのではと思っております。もちろん私も。