<DOUX>


酔いつぶれて机にうつ伏してしまった涼子を何とか立たせると、支えながらソファーに寝かせる。
まだ何か言いたそうな涼子にパサリと上着をかけると、
泉田はネクタイをゆるめてテーブルに戻り、グラスに残った赤ワインをあおった。

いくら彼女が強いとはいえ、今日の飲み方は荒すぎる。
なぜこんなにごきげんが悪いのか。

泉田は、空になったグラスを置くと、一本だけあまり減っていないシャンパンのボトルを見つめた。


『甘すぎませんか?』


原因はおそらくこれだ。

勧められた時に、美味しいと思うより早く甘さを感じてしまった。
そうまるで気恥ずかしくなるほどに。

照れてなんとなく発してしまった言葉に、涼子は『やっぱりね』とつぶやいた。
おそらくあれはなかなか本音を見せない男への、彼女らしい皮肉。

「そう言われてもな。」

泉田は濃い緑のボトルの輪郭をそっと指でなぞった。
そして意を決して、引きよせ栓を抜く。
ポンと軽い音がする。シャンパン独特のいい香りだ。

テーブルに伏せてあったフルートグラスに注ぐと、細かな泡が美しく舞う。
泉田は、しばらくその泡を堪能し、グラスに口をつけた。


「あれ?意外と・・・。」

一口目に飲んだ時よりはるかにさわやかだ。

慣れ・・・か?いや、舌のせいだろう。
単に酔って味覚が鈍くなっているだけかもしれないが、これは飲める。

あっと言う間に飲みほして二杯目を注いだ時に、後ろで衣擦れの音がした。

「まだ・・・飲むからね。」

ふらりと涼子が起きあがって、床に座り込む。
焦点がぼんやりしているところをみると、まだ完全に目が覚めているわけではなさそうだ。

泉田はシャンパンをもう一つグラスに注ぐと立ち上がり、座り込んでいる涼子に差しだした。

「おいしいですね、これ。食後酒としてはとてもいい。さっきは飲むのが早すぎたんですよ。」

涼子は両頬をふくらませて拗ねた。

「・・・さっきは甘すぎるって言った癖に、機嫌なんてとっていらないっ。なによ、年寄りぶって。」

あまりろれつの回っていない涼子の言葉に、泉田は苦笑いを浮かべる。

「・・・せめて年上ぶってになりませんか?年寄りはひどいでしょう。」
「30すぎれば年寄りよ。」
「その論理でいきますと、あと3年たてばあなたも年寄りですが、よろしいのですか?」
「あたしが年寄りになる日は永遠にこないわ。」

…酔った頭でも妙に納得できる。薬師寺涼子の周りだけ年月の流れ方が違うのだ、きっと。



涼子は、グラスをシャンデリアの明かりに揺らしてみせた。

「きれいねえ、水の中に入っている泡って。ね、昔どうやってこの泡が出来たのか不思議じゃなかった?」

泉田は首をかしげた。
昔どころか、今も炭酸水の仕組みについて説明せよと言われたら怪しいものだ。

しかし光の中に煌めく気泡は本当にきれいで、泉田も涼子のグラスを眺めるうちに、
いつの間にか一緒に床に座り込んでいた。

やがて涼子は光にかざしていたグラスをおろすと、一口シャンパンを含み、満足げに溜息をついた。

「おいしい・・・一番甘いのなの。」
「これが?」

「うん。douxっていう種類なんだけどね。」
「甘いのお好きでしたっけ?」
「たまにはいいかなって思って。」

「いいですね、確かに。」
「なのにどこかの誰かさんは、一口飲んだとたんに・・・。」
「すみません。」

泉田は、まだ拗ねる涼子の頬にかかる髪をかきあげて耳にかけてやった。
なんとなくそのまま頭をなでてやっていると、涼子がその手にもたれかかってきた。

「泉田クン、甘いの嫌いだからさ。」

上目遣いにすねたように言ってまぶたを閉じる涼子の額に、泉田はひとつ唇を落とす。


「大人の男の甘いは難しいんですよ。軟弱にも思えるし、わざとらしい気がして・・・照れますしね。
強気でいきたい気持ちとどうしてもうらはらになる。」


泉田は、涼子の頬を両手で包み込んで深く唇を合わせた。
グラスを右手に持ったままの涼子の左手が、大きな泉田の背中に回る。

長い長いキスの後、
泉田は片手で軽々と涼子を抱き寄せると、反対の手で涼子のグラスをゆっくりと取り上げ、たずねた。


「キスはちゃんと甘かったですか?」

「また年寄りぶって。」
「年上ぶって、でしょ?覚えて下さい。」

泉田は、残ったシャンパンを飲み干すと、手を伸ばしてグラスを離れた場所に置いた。

「あなたの唇はとっても甘いですよね。」

息がふれるほど近くで見つめ合いながら、涼子の紅く色づいた頬にふれる。
そして。

「肌もとても甘そうだ…。」

次のキスは、泡のような肌理の首に、そして肩に。




甘い甘い夜の始まりに、甘く美しい美酒を。


*Doux…1リットル当たりの当分の含有量が50g以上のシャンパンのこと。
甘さだけではなく華やかな爽快感が感じられるものが多い。


(END)





*糖度は極めて高め、書いたものの中では生涯で最初で最後の甘さかもしれません。
絶対砂糖50g以上、入っています。
慣れないので途中何度も挫折しかかりましたが、とにかくなんとか最後まで書けてよかったです。
「大人な2人が見たい」「泉田クンの歯の浮く台詞が聞きたい」「酔っ払ったjかわいい涼子サンが見たい」の皆様、
力不足ご容赦。少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。多分もう二度と書けません(泣)。