<Eternally>
泉田は上着を脱いでソファにほおり投げた。
そして引きちぎるような勢いで、ネクタイを外して床に落とす。
疲れた。
今度という今度は許せない。
そのままベッドに仰向けになる。
部屋の照明に照らされた無機質な官舎の白い天井が、徹夜明けの目にやけに眩しい。
『警視なら会議場所にもう一度戻るとおっしゃって、今またお出かけになりましたよぉ?』
泉田をこきつかって山のような資料を捌き、下調べを十分に重ね臨んだ会議で、
今日、涼子はどうやら、狙っていた政治絡みの事件の担当となることに見事成功したらしい。
そのあと夕方泉田が少し席を外した間に、参事官室に戻るや否やまた出て行ってしまったと、貝塚から聞いた。
本格的な捜査がいつ始まるのか聞こうと、
泉田はそれから夜まで他の仕事を片付けながらじっと待機していた。
挙句、さっき帰ってきた涼子は、泉田を見るなりこう言ってぷいと顔を背けた。
『まだいたの?キミの資料、ほんとに使えなかったわ。捜査?明日からよ。帰って寝れば?』
いかな忠誠心の厚い泉田といえども、どっと疲労に押しつぶされかけた。
どうやって帰ってきたのかも思い出せないほどの怒りと、苛立ちがまだ治まらない。
所詮はわがままな上司。
そんなことはわかっている。しかしあれはひどいだろう。
目を閉じてみる。
眠いはずなのに、頭の中がざわざわしてじっとしていられない。
泉田は起き上がると、バスルーム・・・もとい、風呂場へ行って、とにかく熱いシャワーを浴びた。
少しずつ考えがはっきりとしてくる。気持ちが静まってくる。
ローブをはおってタオルで髪を拭きながら冷蔵庫を開けるころには、ずいぶんと落ち着いてきた。
もう今日は何も考えずに寝てしまおう。
涼子はまだ仕事をしているのかもしれないが、帰って寝ろと言われたのだからいいだろう。
そう整理をつけ、ビール缶のプルトップに手をかけたところで、携帯が鳴った。
ディスプレイの文字は、『ドラよけお涼』。
出るべきか、出ないべきか。
公式の呼び出しの方は鳴っていないので、緊急事態ではないのかもしれない。
しかし。
整理をつけた頭の中が、また気だるいざわめきでいっぱいになる。
泉田は結局携帯を手に取った。
「はい、泉田です。」
極力無感情な声を出したつもりだが、やはり不機嫌は隠せない。
それくらいは仕方ないだろうと泉田は開き直った。
「・・・もう家?」
電話の向こうから、一拍置いて涼子の声が聞こえてくる。
周囲の音から察すると外のようだ。
「はい。」
「じゃあいい。おやすみ。・・・この電話のことは忘れて。」
プチッ。
携帯の切断音。
「・・・・何なんだ?」
泉田は切れた携帯を握り締めて、不審げに首をかしげた。
同時に思わせぶりかつ理不尽な電話に、おさまりかけていた苛立ちがよみがえってくる。
「知るか。」
泉田はそのままベッドに寝転がった。
心地よくお湯で温められた体は、今度はたやすく泉田を眠りに引き込んだ。
どれくらい眠っていたのだろう。
少し肌寒く感じて、泉田は目を覚ました。
時計は11時前を指している。
眠ってしまったのは1時間ほどのようだ。
床に落ちている携帯を拾い上げて、泉田は眠り込んでしまう前の涼子の電話を思い出した。
涼子は、思わせぶりなことは大嫌いだ。
女性として手練手管でそういった方法を用いる性格ではない。
何か言いたかったのだろうか。
折り返しの電話をしようとしている自分に、泉田は苦笑した。
眠ったらもう今日の怒りは忘れてしまえたらしい。
長く官僚をやっていると便利な性格になるものだ。
呼び出し音に続いて、涼子の声が聞こえる。
「何?」
ひどい風の音だ。
「警視、外ですか?」
「そうよ、何?」
「先ほどは失礼しました。何かご指示でも?」
しばらく沈黙が続いて、ぽつりと涼子がつぶやいた言葉に泉田は混乱した。
「・・・諸行無常、色即是空。形あるものは必ず滅し、この世に残るのはただ真理のみ。」
「・・・あの、警視?」
「そうなのよ、そうなんだけどね・・・。」
涼子の言葉が風の音に吸い込まれていく。
泉田は、やむなく口を切った。
「警視、あの、とにかくそちらに向いましょうか?」
しばらくの間。
そして涼子がぽつりと言った。
「そっちに行く。」
ぷちっ。
再び電話は切れた。
泉田はまた首をかしげ、今度は本当に怒りも忘れいぶかしげにつぶやいた。
「何なんだ、いったい・・・。」
20分ほどで呼び鈴が鳴った。
ドアを開けると、涼子が立っている。
その容姿は夜の中でも変わらぬ美しさだが、いつもの生気はない。
泉田は、とにかく涼子を中に入れると食卓に座らせ、入れておいたコーヒーを差し出した。
涼子は無言のまま、そのコーヒーをため息をつきながら飲み始める。
「警視、どうなさったんですか?」
涼子はマグカップを両手で持って、目を閉じるとつぶやいた。
「いないの。」
「は?」
「フクロウ。」
フクロウ?
泉田ははっと気づいて、涼子の胸元に目をやった。
今日はペンダントとして胸に下がっていた錫のフクロウがない。
「今朝はありましたよね?」
「会議まではあった。会議の間もずっと触ってたから、多分執務室に帰るまでの間。」
会議は隣の建物で行われていた。参事官室に入ってすぐ、ないことに気づいたらしい。
「今まで探していらしたんですか?」
泉田の驚きを含んだ問いかけに、涼子がきっと顔を上げた。
「そうよ、悪い?」
涼子がきゅっと唇を噛んだ。さっと頬に血が上る。
「なくなるなんて、許さない。絶対に探し出すんだから。」
泉田はさっき涼子がつぶやいていた意味不明の言葉を思い出した。
諸行無常、色即是空。形あるものは必ず滅し・・・か。
仏教経典の執着を否定する言葉を自分に言い聞かせてまで、探すのをあきらめようとしていたのか。
しかし今の台詞を聞く限り、それも効き目はなかったらしい。
「わかりました。でも風が強くなったし、時間も遅いです。明日私も一緒に探しますから、もう休みましょう。
警視も昨夜あまり寝ていらっしゃらないのでしょう?お送りしま・・・」
「やだっ!!」
涼子がばんと机を叩いて立ち上がった。
「警視。」
「い・や・だっ!やっぱり探す!地面を全部掘り返してでも探す!」
そのまま部屋を出て行こうとする涼子の手を、泉田が掴む。
「警視、おちついてください。」
「やだっ!」
泉田は涼子を抱きとめた。
涼子は腕の中からのがれようと、泉田を睨みつける。
「警視。私も明日一緒に探しますから。今日はもうやめましょう。明日の朝早くに・・・。」
「・・・あれはあたしの手の中に永遠にあるべきものなの!!」
叫んだ涼子の瞳が揺れる。
泉田は、蒼白の肌の中で昂然と光を放つその瞳に魅入られ、ただじっと涼子を見つめた。
「いやだ・・・なくなるなんて絶対に許さない。あれは・・・あたしのものなんだから。」
しばらくして絞り出すようにそう言って、ふいっとうつむいてしまった涼子を、
泉田はもう一度優しく、あやすように抱き寄せた。
「会議から帰ってからご機嫌が悪かったのは、そのせいですか?」
「・・・資料の出来が悪かったのは本当よ。」
「はいはい。でもなぜ私が退庁する前に言わないんですか。そうすれば一緒に探せたのに。」
「・・・すぐ見つかると思ったの。だから言いたくなかったの。
それにプレゼントしたものを失くされるって、あまり気分のいいものじゃないでしょう?」
「・・・あんな安物の装飾品とあなたの体と、どちらが大切かわかっているでしょう?
明日から楽しみにしていた捜査ですよ。欲しかったらまた買ってあげますから、今日はもう休みましょう。」
泉田の腕の中で、涼子が首を横に振る。
「見つけたい・・・比喩じゃなく、本当に喪失感で胸が痛いの。苦しいのっ!」
涼子の思いが伝わってくる・・・泉田は強い声で繰り返す涼子の、かすかに震える体を強く抱きとめ、目を閉じた。
「わかりました。じゃあ、今からもう一度一緒に・・・ん?」
泉田は言いかけた言葉を止めた。
今何か胸元で光ったような?
泉田はもう一度上から見下ろす形の涼子の胸元を確認し、頬を紅潮させ、慎み深く横を向いた。
その上で、これまでの雰囲気とは場違いな、動揺した、やや間の抜けた声で告げた。
「警視、お探しのペンダントは・・・その・・・多分警視の下着にひっかかっています。」
涼子がぴくりと動きを止め、そして泉田から離れると、
自分のカットソーの胸元をもぞもぞとのぞき込む。
その谷間に、鎖につながったフクロウがひっかかっていた。
「・・・あった!」
思い切り胸元を広げてフクロウを取り出す涼子から、礼儀正しく目をそらしていた泉田は、
ほっと息をついて笑顔に戻った。
その腕の中に、柔らかな体が飛び込んできた。
「見つかってよかったですね。」
「うん。」
涼子が泉田を見上げる。
その瞳も頬も、美しい生命のエネルギーに溢れていて。
「もう絶対に離さない!」
「はいはい。そうしてください。」
涼子は安堵した表情で、じっと泉田を見つめた。
泉田も笑いを止めて、真剣に涼子を見つめる。
・・・唇がどちらからともなく重なる頃、
窓の外を、強い風に煽られて、たくさんの花びらが舞い飛んでいった。
それはいつもの仲直りとは少し違う。
見つかった想いは、幸せで、だからこそ苦しくて切なくて胸が痛いほど大切なもの。
お互いが今ここにいることに真摯に感謝を捧げたくなるほど、厳粛なひと時。
永遠を望むあなたに、この心をあげる。
私の命が尽きる日が来ても、心はあなたの側であなたを包み込めるように。
それが私の望みだから。
いつまでも、共にいよう。
(END)
*遅くなってしまって申し訳ありません。しかも予告と順番まで変えてしまった・・・重ねてお詫びいたします。
スタチャのお涼さまアニメ予告のサイトのイラストでも、胸元にフクロウくんが揺れています。素敵です。
お涼さまの『好き』は決して軽いものではないと思います。
泉田クンはあんな性格だから、愛する人を裏切ることはないだろうし、
意外と『永遠』という重い言葉が、似合う2人なのかもしれません。
つたない作品ではありますが、これからもずっとずっとこんな風に一緒にいてくれればいいなという祈りをこめて。