縁側に腰掛けた泉田は、重たげに頭を垂れる雨の中の紫陽花を見つめていた。
その向こうには、濡れた瓦を黒く光らせた天守閣。




<ふたりでお茶を>



――絶対、口実だ。


『終わったら勤務に戻るので、オトモしなさい。』

そう言われてやむなくついて来た、
重要文化財の中の、さらに国宝級の茶室で行われる薬師寺家ゆかりの茶事。

隣にあるお城の御殿だったその建物は何とも奥ゆかしく、
そこへぞろぞろと政財界の大物が入っていくさまは、
いかにこの一族が権力を有しているかがよくわかる。


『泉田さんもお入りになって下さいな。』

絹子さんの丁寧な勧めがあったが、泉田は固辞した。当然だ。

あの集団の中で、一族でも何でもない作法もうろ覚えな自分が、何とかなるとはとても思えない。


そう言えば着物が多い中、
我が上司はいつもの(まあ、超高級ではあるが)スーツだったが、あれはあれでいいのだろうか?


もんわりした空気の中にも、この場所はかすかに風が通る。
縁側の中は八畳ほどの質素な部屋だ。
昔のお供たちの待機場所だったと、さっき入り口の案内図に書いてあった。


――今の参事官室執務室のようなもんだな、きっと。

武家姿の丸岡警部、阿部や貝塚を想像して泉田は一人笑った。
紫陽花が雨に揺れる。


しかし静寂はそこまでだった。






部屋の中からごそごそという音が聞こえる。
泉田が反射的に振り返るのと、床の間の掛け軸がめくれ上がって、
中から涼子が飛び出してくるのは、同時だった。

「え、えっ!?」
「何を呆けた顔をしてるの!行くわよ!」

忍者屋敷のように、涼子が現れた掛け軸の後ろ穴がぱたんと戻る。

「あそこに抜け穴があるのは、忠臣蔵以来のお約束なのよ!ぼけっとしない!早く!」

そういう言いながら、涼子は泉田の背中に乗る。

「なっ!?警視!」
「靴、持ってきてないのよ!早く、庭をつっききって右!」

「しかし雨が・・・。」
「庭を出りゃすぐよ!素直に走れ!」


これ以上の口答えは無駄。
泉田はそう判断すると、涼子をおぶって雨の中を走り出した。
庭を抜け右に出ると、正面は石垣だ。


「左へ走って、突き当たった石垣を登る!」


登るっ!?

石垣沿いを左へ走ると、確かに正面も石垣になっており、行き止まりだ。
泉田は石垣を見上げた。

手を伸ばしてもちょうどぎりぎり届かないくらいのところに、
1M四方くらいの、木枠木蓋の窓がある。

「あれは木枠の右上2回叩いて、左下3回叩いたら開く。だから登ってあそこから入って。」
「なんでそんなこと・・・。」

「小さい頃から何回も使ってんのよ。
石垣もちゃんと上れるように微妙に石を削ってあるから。
今は非常用通路っていう無粋な名前だけど、古城なのよ、隠し扉や隠し通路くらいあって当たりまえでしょう。」

「そういうところから無断で入る人を、くせ者とか不法侵入者と言うのではないですか?」
「うるさいわよ!」

泉田は憎まれ口を叩きながらも、足場を探した。
なるほど石垣はうまく足が置けるようになっているが、
いかんせん雨で滑る中、人一人おぶっているのだ、なかなか大変な作業だ。

「ん〜もう一息!」

涼子が手を伸ばして窓枠を決められた回数叩くと、木蓋がからんと内側に外れた。


「よし!早く入って!」


倒れ込むようにして2人は城の中に転がり込んだ。

下はひんやりした板の間だ。
一般公開はされていないはずだが、よく手入れされているのだろう。
かびくささやほこりっぽさはなかった。

薄暗い室内はさほど広くはなく、壁の上部にある明かり取りの小さな穴には、近代的にちゃんとガラスが張ってある。
涼子がぱたぱたとふくのほこりをはらったので、泉田もとりあえず靴を脱いでそれに習った。

「さ、登りましょうか。」
「え?」
「天守閣。」

そう言うと、涼子はすたすたと梯子のような、急な階段を登っていく。

あまりすぐ後ろをあがるのも不躾な気がして、泉田は少し遅れて階段を上がる。

小さな頃遠足で来て以来、あまりお城になど来たことがない。
こんなに静寂な、それでいて堅固な印象だったかと思い返していると、上の階がぱっと明るくなった。


「着いたわよ、てっぺん。」


涼子が天守閣の窓の木蓋を外していく。
雨は小止みになっており、泉田の目の前には、雄大な眺めが広がっていた。


「うわぁ・・・。」
「気持ちいい?昔の殿様もこうやって見たのかしらね、自分の領地。」

「今はあなたのものでなくて残念ですか?」
「あら、あたしはいつも飛行機から見下ろして思っているわよ。この世界はあたしのものだって。」


・・・スケールが違う。
このお城のお殿様も生きていれば一緒に驚いてくれただろうと、泉田は思った。


「落城はしなかったお城なのよ。ご一新(明治維新)で官軍に明け渡したから、きれいに残ったらしいわ。」


「・・・歴史のお勉強だけはきちんと覚えておいてくださったようですね、お嬢様。」


涼子に応える突然の声に辺りを見回す。どうやら下の階からのようだ。
泉田は声に思い当たらず少なからず驚いたが、涼子は小さく肩をすくめた。


「絹子さまからお茶をお持ちするように言われて参りました。」
「・・・上がってきていいわよ。」


とんとんと軽い足取りで、顔なじみのJACESの秘書室次長が上がってくる。
手にしたお盆には、2つの茶器と和菓子。

あわてて泉田が受け取ると、次長はにっこりと微笑んだ。


「どうぞごゆっくり。お嬢様、正面をお開けして、お靴を回しておきました。お帰りはそちらからどうぞ。」
「・・・ありがとう。」


少しふくれた声で、それでも涼子はしぶしぶ礼を言った。
次長は深々とお辞儀をすると、急な階段を足取り軽く下りていった。


「おいしそうですね、いただきましょう。」

妹のやることなど、姉はお見通しだったようだ。
かなり拗ねた涼子を前に、泉田は茶碗を手に取った。


「確かこうして、茶碗を半周回すんでしたよね。」
「・・・そうじゃないわ。貸して。っていうか、それより先に、お菓子、頂きましょう。それがお作法なの。」
「なるほど。」


さっきまで見ていた紫陽花に似た涼しげな和菓子を、切って口に運ぶとほんのりした甘さが広がる。
楊枝をくわえながら、涼子がため息をつく。


「さすがにおいしいなあ・・・ま、いっか。どこかでお茶して帰るつもりだったからさ。」
「だとしたら、最高のティータイムですね。警視と一緒でなければ、こんな機会は一生ありません。」
「あら?ご機嫌は少し治ったの?朝の車の中では『またろくてもないお供か』って顔に書いて仏頂面していたくせに。」
「すみません。」


苦笑いを浮かべる泉田に、涼子が鮮やかに微笑み返し、また視線を広がる景色へと向ける。

雨は上がり、雲間から光が漏れ、町も森も川も、遠くに見える海も輝いている。
朝の不機嫌もどこへやら、泉田はすっかり非日常のお茶の時間を楽しんだのだった。

TEA FOR TWO(2人でお茶を)


(END)





〜おまけ

「ところで今日、うちの父親が来ていたんだけど。」
「そうなんですか?」

「しないの?勝負。」
「・・・なんのですか?」

「・・・いい、忘れて。」
「はい。」


(ほんとにEND)



*@薬師寺涼子の怪奇事件簿で時代劇・・・をやってみたいなと思った
A丸岡・阿部・貝塚の時代劇コスプレを脳内妄想してしまった
Bお涼サマを背負って城壁を登る泉田クンが書きたかった
C天守閣でお涼サマにお茶して頂きたかった(お似合いですよね)
・・・という管理人のごちゃごちゃの作品です。甘甘にもならず、中途半端で申し訳ありません。
ちなみにモデルは掛川城(構造は全然違います、あくまでもイメージ)。
おまけは、お涼サマ、家族の集まりに泉田クンを連れてきて、何か期待があったんじゃないかな、と。
でもきっと泉田クンは全く気づいていません。がんばれ、お涼サマ。
JACESの秘書室次長は、最新刊でも小さく登場しています(P158)隠れファンなので、嬉しいです。

*6・30 拍手でご指摘を頂いて変えました。水菓子→和菓子。ありがとうございました。