<硝子の城>



泉田は呼び出された部長室で、コートを手にじりじりしながら立っていた。
部長は泉田の目の前で電話中である。


「いや、しかしだね、薬師寺くん・・・」
「物事には順序と段取りというものが・・・」
「それはやりすぎ、いや、ちょっと待ちたま・・・」


言葉は聞き取れないが、
泉田の耳にもかすかに、受話器の向こうで相当語気を荒めている上司の様子が見て取れる。

突然部長が声をひそめ始めた。
どうやら、いよいよ段階は恫喝・・・いや、別件取引に入ったようだ。

「いや、それはこの件とは関係ないだろう」
「あれは県警のあいつがだなあ・・・。」
「それは困る、困るよ。」

泉田は痛々しくて聞くに耐えず、目を背けた。
どうやら魔女はまたその情報網をフル活用して相手の弱みを突き、自身のやりたいことを押し通すべく絶好調のようだ。


「わかった・・・わかった!指示をすればいいのだろう。ただし出来るのは、パトカーまでだ!
ヘリは自前を使ってくれたまえよ。警備部にも公安にも声はかけんからな。
・・・ああ?目の前におるよ、行けと言えばいいんだろ、行け!と。だから例の件は頼むぞ・・・わかった。」


刑事部長は受話器を持ったまま、泉田に向かって『行け!』と叫ぶと、右手で半円を描くようにドアを指さした。
泉田は直立不動で敬礼すると、勢いよく飛び出した。

ドアの外には、阿部をはじめ何人かの男たちが立っている。あらかじめ出動の連絡を入れておいた各部署からの応援だ。
泉田は歩きつつコートをはおりながら、指示を飛ばした。


「部長のご指示が出た。パトカーは至急予定の地点へ向かってくれ。阿部くんたちは一帯の封鎖と避難誘導後、待機。」
「了解!」


散っていく男たちを見送り、泉田は階段を駆け降りた。
泉田には近くのホテルのヘリポートで、メイド2人が操縦するへりに乗り込む仕事が待っているのだ。





『硝子の城にて妖精と戦闘中』

この涼子からの第一報を受けた時、泉田は不覚にもほのぼのとメルヘンだなと思ってしまったが、
上司は至って普通通りに、
その妖精とは、最近多発している原因不明の夜間ビル襲撃や、首都高速道路のハロゲンライト破壊の真犯人である、とのたまった。

さらに上司は電話の向こうから、応援依頼部署と応援者を指定すると、
それらに連絡を入れた上で10分後に部長室行け、その後はヘリに乗ってこっちに来いとご指示あそばされた。

実行がかなり困難であることを除けば、極めて明確かつ簡潔な命令である。


しかし泉田も慣れたものだった。
各部署へ『上司からの至急の指示がございまして…』と詳細説明は省いた連絡を入れ、
言外に断ると後が怖いと匂わせて協力をとりつけると、定刻に部長室のドアをノックした。
・・・そして冒頭に至る。





泉田を乗せたヘリは、涼子の指定するビルの上空に到着した。

通称『硝子の城』。
全面ほぼ窓の某海外企業の日本本社だ。

建設当時は耐震性や自然環境への影響が取りざたされたが、ある時を境にふっつりとその論議は止んだ。

『口封じの金ね、いくら出したのやら。』と涼子が吐き捨てるようにつぶやいていたのを、泉田は覚えている。
なぜ、彼女はここを決戦場所に選んだのかがわかった気がして、
泉田は背筋が寒くなると同時に、その異様なビル内部の設計に目を見張った。

「なんだ?このビルは・・・。」

32階建て、普段外から見上げる時にはガラスの反射も手伝って中は全く見えない為、
ぎっしりと部屋のつまったオフィスビルに見えていた。

が、上から見ると最上階3階分くらいは、外のガラスだけが下の階と全く同じように存在し、完全に吹き抜けになっている。

よく見ると、雨天用なのか一応ドーム屋根のように天井は開閉する仕組みになっているようだが、
上空が開いている今は、ビルの屋上にちょこんとガラスケースが乗っているような状態だ。

吹き抜けの中には、お城の庭園よろしく、きれいに木や花が植えられている。

「そりゃこれだけガラスに囲まれていれば、温度は上がるに決まっているよな・・・。」

泉田はぽつりとつぶやいた。まるで屋上の温室だ。

背の高い植物にさえぎられて、涼子の姿が探しきれない。ゆえに戦闘している様子も見えないのだから、降りるしかない。

「マリ。」

メイドを呼んでロープをたぐる真似をすると、マリアンヌは心得たようにうなずき、するするとロープを降ろしてくれる。

泉田は涼子から支給されているJACES特製グローブをはめ、ビルの中へと降下した。





加速がついた体は、最終的に大きなシダの上にたたきつけられるように着地した。

「うぐっ・・・。」
「騒がしいわね。しっかりしなさい、来るわよ!」

泉田はぐいと腕を引かれた。
涼子がシルバーメタルのボディースーツに身を包んで立っている。

「警視!ご無事で!!」
「見りゃわかるでしょ。いいわね?呼び寄せるわよ。」

涼子は高々と指笛を鳴らした。
あらかじめビルの管理室と打ち合わせが出来ていたのか、一斉に吹き抜け内の照明が点り、目がくらみそうな眩しさに包まれる。
マリとリューが乗ったヘリからもスポットライトのように、強力なサーチライトが当てられた。


「彼女は光が好きなのよ。それが生きるエネルギー元みたい。だから光るものにちょっかいを出すの。」


は?
泉田が理解するより先に、すざまじい風が、ガラスに囲まれた吹き抜け内を吹き荒れた。

涼子を背中にかばいながら銃を構えた泉田の前に、何かが現れた。





大きなコウモリのような羽は透き通って白く輝き、
短い銀の髪と表情のない整った真っ白な顔があるが、その下の体は白く眩しく光ってよく見えない。
足はないようで宙に浮いている。

人とも蝶ともつかぬ美しい生き物。
・・・しかし背丈も幅も泉田の軽く3・4倍はある!


「よ、妖精っていったら普通ティンカーベルサイズでしょう!?」
「誰が決めたのよ、そんなこと!相手が聞いたら怒るわよ!」
「・・・もう十分怒っているみたいですが。」


その生物は、じっと燃えるような赤い目でこっちを見ている。
羽がものすごいスピードで細かく動いて音を立てている。

初めは小さな羽音だったのが、だんだんあたりのガラスが共鳴し、ビーンという音が振動となって伝わってきた。
泉田たちの耳にはあまり影響のない周波数なのか、音そのものはうるさくないのだが、建物全体にはかなり影響しているようだ。

しかもよく見るとその美しい羽には、ところどころ何かにひっかかれたかのように傷が入っている。


「君に連絡する前にはうまくおびきよせたのよ、、相手も油断していたから、
捕まえようと思って絡めたムチも一瞬届いたし。なのに結局、空へ逃げられちゃって。もう一回は無理ね、これ。」


ムチでぐるぐる巻きにしようとされれば、そりゃ妖精だって、怒るはずである。


「で、どうするんですか?撃っていいんですか?これ。」
「どうだろ?」
「どうだろって言われても…。」
「…まずは器物破損で任意同行とか?」


首を傾げる涼子に見つめられ、泉田は妖精に向きなおって、
自分よりかなり高いところにある顔に向かって思い切って叫んだ。


「・・・器物破損の疑いでご同行願います!!」


ビビビビビビビビ。
ガラスの振動が一層激しくなった。まるで建物全体がうなっているようである。
言語が理解できたかどうかは定かではないが、明らかに同意は取れなかった様子だ。


「こりゃイヤだって言っているわよね〜。」
「任意同行は無理です!」


怒鳴り合う2人の上をびゅっと何かがかすめた。まわりの植木がなぎ倒される。
妖精が思い切り首を振り回したのだ。見上げると、顔の下半分一面に開いた口に、するどい牙がある。
高速道路のハロゲンランプを引き倒すということは、あの口で噛みついて・・・。


「危険です!警視。」
「しょうがないなあ。わかった、まずは首都の安全を守ることに注力しよう。」


涼子は携帯電話を取り出し、フランス語で何かを指示した。その間にもどんどん羽音の共鳴はひどくなる。

そして。


ビビビビビビビビビビ。

カシャーン!!
ザーッ。


とうとう周囲の幾百ものガラスが一斉に、細かく細かく砕けた。
キラキラと輝きながら、粉雪のように降り注ぐ。


泉田は涼子を横抱きにかばうと、自分も身を伏せた。
ビルの下には阿部たちが待機し、付近を通行止めにしてくれている。
一般市民が巻き添えになることはないだろうが、一瞬にして崩壊する硝子の城の中で、ライトもまた砕けて光を失っていく。

暗くなった泉田たちの上空で、少し離れていたヘリコプターのサーチライトが、再び接近し明るくぐるぐると旋回を始めた。
妖精がじっとそれを見つめている。
やがて、暗くなった庭園から、妖精はふわりと浮き上がった。

「C'est maintenant!(今よ!)」

涼子の指示とともに、ヘリが動き始める。妖精がその後を追う。
涼子と泉田はその姿を見送っていたが、やがてヘリの光は、遠く闇の向こうに消えていった。





「どこへ行くんですか?あれ。」
「とりあえずどっか山奥?海の上までひっぱれれば、船についていってくれるって可能性もあるわね。
そこは2人が考えてくれるでしょう。」

解決ではないが、とりあえず危機は去った。
あとはかわいくないあの妖精が出来るだけ遠くへ行ってくれることを願うばかりである。


「…まあ ビルごと壊れなくてよかった。」
「何?キミはあたしがそんな無茶をすると思っているワケ?」


もちろん思っている。
しかし官僚として鍛えられた泉田の口は、不本意ながらこの時この場における正解を紡ぎだした。


「そのようなことは決して思っておりません。ただガラスというのは壊れやすいものですから。」
「そうね、ほんと壊れやすいわね。壊れやすいものなら、いっそ建てないか、壊しちゃえばいいのにね。」


涼子があでやかに笑い、泉田の首に両手を回す。
それは、こんなところを歩くのは嫌だから、抱いて連れて行け、の指示。

泉田は涼子を抱き上げると、大きなため息をついて、
今や吹きっさらしとなり、ガラスの粉が月光にキラキラと煌めき舞飛ぶく天空の庭園を歩きはじめた。

こんな迷惑な建物を二度とこの魔女の手の届くところに作ってくれるな!と心で叫びながら。




(END)


*『泉田クン、巨大生物と相対するの図』。ゴジラかモスラ級にしようと思ったのですが、あまり大きなものにすると、
相当人里離れたところに行かないと、いかなお涼さまといえども世間の口が封じられないだろう、と考えると、
これが限界のサイズかなと思いました。今回は2人とも全然戦っていませんが、ご勘弁下さい(汗)。
なお為念、これは未知の生物との対決なので、簡単に粉々にガラスを割りましたが、最近のビルでは設計上もガラスの品質上もまず割れないです。
そして固有振動数にもよるでしょうがガラスが割れるくらいの音なら、普通は中にいたら鼓膜が破れるかも…そこはフィクションにつきご理解下さいませ。
泉田クンは腕っぷしもさることながら、あのお涼さまの腹心(本人は不本意な呼称でしょうが)ですから、
庁内の交渉も徐々に鍛えられ、出来るようになっていると思います。仕事の出来る男って感じ?

ところで最新刊のお手手つなぎに萌えたのはわたしだけですかね(^^;)。垣野内先生、うまいっ!