<Gold Sash>


いい天気である。
まだ春浅い日曜日、泉田は都会の真ん中には珍しい茂った木々の間から
薄青の空を見上げていた。
玉砂利の駐車場の向こうの神社の本殿からは、古式ゆかしい音楽が流れてくる。

涼子のお供に呼び出されて、運転手としてついてきた結婚式。
今回はいつぞやのような政略的閨閥結婚ではなく、涼子曰く「物好き同士が惚れあった」結果の挙式らしい。
それなら死体が降って来ることもないだろう。
いや、涼子のいるところ、いつ何が起こるかわからないが。

注連縄で結界された神社の中は、空気まで清浄な気がする。
泉田は大きく深呼吸して、賑やかな声がする神殿の方へと目をやった。

ちょうど式を終えた新郎新婦とともに、参列者が出てくる。
白無垢に身を包んだ新婦を、女友達が手にカメラや携帯を持って取り囲んでいる。

その輪から少し外れたところに立っている、嫌がおうにも人目を引く着物姿の涼子に、
新婦が衣装も重そうによろよろと駆け寄っていった。
涼子は涙ぐんでいる新婦を微笑んで抱きとめると、笑いながら何か声をかけている。

――来てくれてありがとう、おめでとう、ってところかな。――

泉田は煙草に火をつけながら、微笑ましく思った。
涼子にはここぞというときの面倒見の良さがあり、ジャッキーは特別にしても、
近寄りがたいその壁を越えて、彼女を慕う友人はきっと多いと泉田は思っている。

泉田は新郎新婦の未来とともに、涼子を理解しその祝福を望んでくれる友人の存在を祝いたい気分だった。



「よかったですね。」
「何が?」

「喜んでくれていたんじゃないですか?花嫁。あなたが来てくれて。」
「そうかしら?・・・そうね。めったに式って出ないから。感動して泣くなんてこと出来ないし、苦手。」

苦手・・・それは変に注目されるから?
泉田は黙ってしまった涼子を横目にハンドルを握りながら、話題の方向を変えた。

「きれいな花嫁さんでしたね。」
「白無垢って誰でもきれいに見えるのよ。」

「そうですか?遠くから見ていたらふわふわの綿菓子の固まりのように見えました。」
「ふ〜ん、泉田クンは和装が好みなんだ?」

「そうですね。日本人ですから、やっぱり着物がいいんじゃないでしょうか。」

今日の涼子は少しグレーがかったピンク(灰桜色というらしい)に扇の地模様が入った着物姿で、あでやかそのもの。
涼子の着物姿は初めて見たが、着ると不思議と落ち着いた印象になる。
ま、いつもの格好が刺激的過ぎるわけだが。

こほん。
泉田の考えを測ったように涼子が一つ咳払いをしたので、泉田も言わざるを得なかった。

「今日の警視の装いは、本当にお美しいです。」
「・・・ヒネリも何もないけれど、よろしい、まあ合格。」

涼子がフフンと笑う。
泉田は苦笑で、混んだ通りを涼子のマンションへと車を走らせた。



「疲れた〜、マリ、リュー・・・・」

マンションに入るなり、涼子は出てきた二人のメイドにフランス語でなにやら言うと、そのまま奥に入っていった。
リュシエンヌが泉田に一礼すると、その手から涼子の荷物を受け取り、中へと誘う。

「コーヒーヲ、イレマス。」

片言の日本語にせいいっぱいの好意を感じて、泉田はその言葉に甘えることにした。

「じゃごちそうになろうかな。」


中に入ると、リビングのど真ん中で涼子が着物を脱ごうとしていて、泉田は慌てて回れ右をする。

「あ〜、いいから、いいから泉田クン。この下、下着ってわけじゃないし。」
「しっ、しかしっ。」

「ん、もう相変わらず融通の利かないこと。まあいいわ。シャワー浴びてくる。
マリもリューも着物の構造はよくわかっていないから、片付けるの手伝ってやってね。」

しばらく衣擦れの音と、フランス語の会話が続いた後、バタンと浴室のドアが閉じる音がした。
そして泉田の背中を、ちょんちょんとつつく感触。

「イズミダサン、オシエテクダサイ。」

ふりむくと、マリアンヌとリュシエンヌが珍しく困惑した表情で、女主人から渡された着物と帯を手に立っている。
泉田は、リビングの隅に設置された衣桁に目をやると、2人から着物を受け取ってやった。

「2人には、確かにあまり馴染みのないものだからね。」

田舎の祖母の家にはいつも着物をかけてあったので、衣桁は何度か見たことがある。
泉田は傷をつけぬよう注意を払いつつも、その絹のひんやりした手心地を楽しみながら、
着物を丁重に衣桁にかけていった。

「これはこっち、ここを結んで。そうそう。」

手まねで教えながら、次は帯を帯び掛けにかける。

「出来た。」

衣桁にかかった着物と帯は、やはり華やかで見事なものだった。
マリアンヌとリュシエンヌもしばし見とれている。

「キレイデスネ。」
「本当だね。」

リュシエンヌがにっこりと微笑むと、一礼して台所へ向った。
マリアンヌはパタパタと涼子の寝室へと向う。着替えを準備するのだろう。

泉田は上着を脱いでコートハンガーに掛けると、ネクタイを緩めてリビングのソファーに座った。
午後の日差しが、バルコニーを明るく照らしている。

ふと泉田は、テーブルの上に載っている見慣れない書籍に気づいた。
アルバムだ。
ぱさりと開くと、しおりが挟んであり、
そこには、制服を着た二人の婦人警官が、楽しそうにこちらを向いて笑っている。
一人は研修時代の涼子だ。もう一人は・・・。

――あ、これ、今日の花嫁・・・。――



「こ〜ら〜・・・。」

後ろから聞こえてきたぐるるるといううなり声に、泉田はびくっとアルバムを閉じた。
薄手のワンピースに部屋着のカーディガンを羽織った涼子が、それを取り上げる。

「まったく。油断も隙もないんだから。」

その顔が心なしか赤くなっていることに泉田は気づいた。
そして話を向けてみた。

「仲がよかったんですね、今日の新婦とは。同期だったんですか?」

「そうよ、彼女はノンキャリアだったけどたまたま研修が一緒で、向こうも武芸全般の有段者だったから
話が合ったの。でも研修が終わって以来連絡もなかったのよ。
今回の結婚と退職の知らせは本当に突然で、まさか呼ばれるなんて思ってなかったくらい。」

「・・・きっと忘れられない思い出だったんですね。2人ともかわいいじゃないですか、制服姿。」

ぱしっ。
風を切って飛んできた平手を、すんでのところで泉田は止めた。
避けきれてよかった。手がしびれている。

涼子はそっぽむいた。
リュシエンヌがコーヒーを運んできてくれる。

「メルシー。」

泉田はその香りを楽しみながら、ほおっとため息をつき、衣桁を指差した。

「さすがに見事な着物ですね。」

「ああ、掛けてくれてありがとう。昨日実家から取り寄せて、今朝もばたばたで着たからね。
マリとリューに教えてやる時間がなかったんだ。泉田クン、着物のことはわかるんだ?」

「自慢ではありませんが、全く。」
「でも着物の方が好きだって、言ってたじゃない?」

「日本人なら着物の式の方がいいんじゃないかという、単純な発想です。」

「なるほどね。でもあたし、警察官が新郎の結婚式に白無垢はどうかと思うのよね。」
「なぜですか?」

泉田は心底不思議そうに首をかしげた。

「ほら、たいてい新郎が儀仗服、つまり正装制服着るじゃない。
あれの隣に白無垢の花嫁さんって・・・なんだか戦時中の出征兵士っぽくない?」

「言われてみれば・・・。」

泉田にも思い当たる節がある。
警察官の結婚式には、正装の制服が貸与される。
格式のある『これぞ制服』のスタイルで凛々しく、大人気だ。

しかし確かにあの正装制服は軍服っぽい。
もちろんもともと軍服がモデルなので当然なのだが。

「そういえば同僚の結婚式でも、披露宴のウェディングドレスの隣で、
新郎が正装制服を着ていることが圧倒的に多いですよね。1回か2回、和装でも見たかな。」

「決まりごとはないみたいだし、考えようによっては、レトロでそれなりに趣があっていいけど。」

涼子の話を聞きながら、泉田はふと思い出した。
そういえば、服装のことに関しては、前に軽井沢でジャッキーに指導されたような。
確かこういう時には、涼子にも尋ねるんだった。

泉田はその教えを忠実に実行に移した。



「あなたは結婚式には何を着たいんですか?」

涼子は軽く目を見張ると、次の瞬間ニヤリと笑った。

「あたし?決まってるじゃない?正装制服よ。」

げっ。泉田は、息をのんだ。怖い。
研修時代ならともかく、数段パワーアップした今の『ドラよけお涼』の制服姿。
想像するだけで、めちゃめちゃ似合いそうなところがさらに怖い。

「山のように階級章をつけて、金紐を煌かせて。きっと凛々しいわよ、ホホホホホ。」

結婚式に新婦に求められるものは凛々しさだろうか?
泉田はおそるおそる進言してみた。

「お似合いだと思います、思いますが・・・警視にはドレスの方がいいんじゃないでしょうか。」
「・・・そう?」

泉田は、こくこくと頷いた。
誰が隣に立つのかはともかくとしても、この人の正装制服は怖すぎる。何か言わねば。

「例えば、あ〜シンプルなものがいいですね。誰かが着ていたなあ、ええっと。」

「泉田クンのことだから、どうせ古い映画の女優さんでしょ。
多分肩の空いた、レースの飾りもなにもないタイプのもの、いわゆるローブデコルテね。」

「た、多分・・・。」

泉田は懸命に記憶をたどり、おぼろげな残像にいきあたった。

「あれです、多分、ローマの休日。オードリー・ヘップバーン!」

「・・・やっぱり。キミってほんとわかりやすいわよね。
ん〜、でも、そうねえ。ローブデコルテなら、勲章も付けてよさそうだし、おまけに金のサシェでもつけるか。」

「サシェ?」
「直訳だと帯?」
「金の帯・・・ですか。あんな感じの?」

泉田は衣桁の隣に掛けてある、金襴緞子の帯を指差した。

「まあ、あれも金のサシェの一種だわね。材質は色々あるけど、ドレスに使うのはほんとに金糸だけの織布。
肩から斜めに掛けるパターンもあるし、腰に剣を巻きつける為のものもあるんだから。」

ますます結婚式ではなくなってきたような気がする。
花嫁に武器はいらんだろう。

これ以上この話を続けると、あまりいい展開になりそうにない。
泉田は無理やり話を収束させることにした。

「警視、朝が早かったのでお疲れなのでは?少しお休みになってください。私はもう失礼しましょう。」

涼子は泉田の意図を覚って、大きくため息をついて額を手で押さえた。

「わかったわよ。キミに何かを慮って(おもんばかって)もらおうなんて思ってないんだからね。」

涼子はテーブルの下のマガジンラックから一冊の洋書を引っ張り出して、泉田に渡した。

「はい、これ読みたがっていたミステリーの新刊。」
「え!本当に?!・・・早いですねえ、すごいなあ、インターネット注文ですか?」

涼子はパラパラとページをめくる泉田の膝を枕に、大きなソファにころんと横になった。

「それ読んでていいから、キミは今から1時間、枕ね。」
「・・・はい。」

リュシエンヌが、コーヒーのお代わりを入れてくれる。
マリアンヌが涼子の体に、薄い綿毛布をかける。

帰ることをあきらめた泉田は、涼子の頭を動かさないように静かにソファにもたれなおし、ミステリーを読み始めた。

その泉田が小さく歌っている鼻歌に気づいて、眠りに引き込まれかけていた涼子はきゅっと泉田のワイシャツの裾を握った。
泉田が涼子の髪をそっとなでながら、メロディーラインを繰り返す。

――♪金襴緞子の帯しめながら 花嫁御料はなぜ泣くのだろう♪――


衣桁にかかった着物と帯が、おだやかな午後の日差しに包まれていた。


(END)



ローブデコルテは、ご存知のとおり、超一級礼装。当然その隣には、正装の男性が並びます。
もちろん、警察官の正装制服の隣にも、最高に似合うと思います。
お涼サマはそう言いたかったんだと思うし、泉田クンもわかっているといいなと思って最後の歌をくっつけました。
もちろん文金島田に白無垢のお涼サマもきれい。2人とも制服でもいいかもね。
そんな日が早く来ることを、心からお祈りしております・・・。

なお「金襴緞子」は金糸が織り込んであるというだけで、金色だとは限りません。
あくまでもgold sashの一種であり、これがいつも正しい英語表現だとは限りません、ご了承をば。