『昨日もそのネクタイだったわよね。よっぽど気に入っているの?理由がないならみっともないわよ。』


また、やってしまった・・・。
憮然と、それでもきちんと詫びて(これがまた憎たらしいのだが)、一礼して退室する彼の後姿を見送る。
ここまで言っても、あたしが怒っている理由は絶対にわからないのよ、あの男は!



また、やってしまった・・・。
・・・どうせヤボですよ。悪かったな。
仕事上のことなら何でも反省するけれど、
何だって朝っぱらから同じネクタイを2日締めてきたくらいで嫌味を言われにゃならんのだ!





<Happy Birthday>



昼過ぎ、参事官室の主である薬師寺涼子の執務室の扉が開いた。

「食事に出てくるわ。」

「いってらっしゃい。」
「お疲れ様です。」

部下たちはその声に応え、そして女王様の後ろ姿が廊下に消えるなり、その視線は泉田に集中する。

「いいのかい?一人で行かせて。」
「ご指名がなかったんだからいいでしょう。」

丸岡の半分からかうような問いかけに、泉田は溜息まじりに答えた。

「・・・何かあったのでありますか?」
「知らないよ。」

心配そうに言う阿部にも普段と同じように答えを返すと、貝塚が無邪気に泉田の顔をのぞきこんでくる。

「ケンカしたんですか?」

泉田は苦笑をしながら、貝塚の頭をくしゃりとなでた。

「あのな、上司と部下に『ケンカ』はないんだ。何か知らないうちにご機嫌を損ねたんだろうさ。」

貝塚は髪を直しながらため息をついて、憐れむような瞳で泉田を見上げた。

「・・・つくづく不器用ですね、泉田警部補。」
「余計な御世話だ。丸岡さん、俺も外メシ行ってきます。」

泉田は立ち上がり、椅子の背の上着を取った。

「おう、行ってこい行ってこい。束の間の自由を楽しんでこいよ。」
「いってらっしゃい。」
「いってらっしゃぁい。」

にぎやかな声に送られて、泉田は背を向けたまま手を振ると歩きだした。





駅前のバーガーショップで立ち食いをすると、泉田はパステルの窓側の席に座った。

まだまだ時間がある昼休み、手持無沙汰に手帳を開いてみる。
明後日の週末は久しぶりに休みが取れるだろうか?取れたら何をしようか?

いや、まだ涼子が持っている未解決の事件がひとつある。
鑑識からの結果待ちだが、それが戻ってくれば次の手に進めるだろう。
涼子は何を特定しようとしているのか、集めておかねばならない次の情報はなんだろうか?
資料室に行ってそろえておいた方がいいものがある。あれも、これも…。

いつの間にか完全に仕事モードに切り替わっていた思考に気づき、泉田はコーヒーを片手に一人苦笑した。
これではこのままここにいても、休憩にもならない。早めに戻って資料室に行こう。

立ち上がって精算を済ませて外に出たところで、泉田の少し前にタクシーがついた。
見慣れた美女が降りてくる。

手には銀座高級店の包み。

――お昼休みに銀座でお買い物か。優雅なもんだな。――

まだ顔を合わせたくないような気がして、泉田は足を止めた。
しかし涼子の方は、ふと歩みを止めると泉田の方を振り返った。
相変わらず気配には野生動物並み、いやそれ以上に鋭い。

泉田はやむなくばつの悪い動きで、軽く敬礼し一礼した。
ところが。

ふん。
涼子はまるきり子供のしぐさでそっぽを向くと、そのまますたすたと建物の中に入って行った。


おい。
おいおいおいおい。

それはあまりに大人げないだろう。
泉田はぎりりと歯を食いしばった。

がまんだ。

そりゃ甘い会話もしてきた。あれこれ甘い時間も過ごしてきた。
とはいえ、ドラよけお涼は上司なのだ。

泉田はしばらくその場に立ち、なんとか心を静めることに成功すると、資料室へと急いだ。





エレベーターのドアが開いた。
地下から乗っていたのであろう男性が一人、ヒッと喉を引きつらせてあわてて飛び降りる。

――何よ、人を妖怪みたいに。失礼かつ小心なヤカラだこと。――

涼子は貸切になったエレベーターに乗り込んだ。執務室の階を押す。ドアが閉まる。
思わず大きなため息が出た。

あの態度は大人げないと自分でも思う。でも彼のタイミングも悪すぎる。

――どこまでも不運で不器用なんだから。――

涼子は額に手をやってもう一つ溜息をつくと、開いたエレベータを降りて参事官室に戻った。

「おかえりなさい、警視。」

貝塚が走り寄って出迎える。

「ただいま、買ってきたわよ。例のものは出来ている?」
「はあい、参事官室のものはこれで全部揃いました。」

「よろしい。じゃあこっちで集めた分と一緒に包装して明日マリに届けさせるから、渡しちゃって。」
「明日ですかあ?1日早くなっちゃいますね。」
「当日が土曜日だからしょうがないわ。」

「でも明日は警視、一日ご出張ですよね?
せっかくだから警視から渡された方がいいんじゃないでしょうかぁ?」

涼子は微笑んで、首をかしげる貝塚の頭をくしゃりとなでた。

「いいのよ、みんなからのプレゼントなんだから誰が渡したって。丸岡警部、渡す?」
「いやいや、こういう役目は女性の方がよろしいかと。」

「じゃあさとみちゃんに決まりね。頼んだわよ。」
「警視ぃ…。」

もう一度貝塚の頭を軽くなでると、涼子は執務室へと入った。



翌日、涼子は予定通り出張に出向き、参事官室には静かな時間が流れた。

「我ながら貧乏性だと思うが、こう毎日毎日平和だとこれでいいのかと落ち着かないね。」
「本当ですね。」

夕方、そんな会話から、定時に退社をして飲みに行こうと丸岡と泉田が相談をしているところに、
貝塚がきれいな包みを持って泉田のところにやってきた。
阿部もそれを見て、立ち上がって泉田のそばにやってくる。

「おっ、いよいよ贈呈だな。」

「はぁい。泉田警部補、お誕生日おめでとうございます!」

「え?お誕生日?ああ。」

泉田は突然差し出された包みを、あわてて立ち上がって受け取った。
丸岡と阿部が拍手を添える。

「警視と参事官室みんなからです。1日早いですけれど、警視のご指示で今日渡すことにしました。」

「うわ…なんか照れるな、ありがとうございます。」
「開けてみてくれよ、まだ見ていないんだ。最後は警視が買ってくる役だったからな。」

「警視が?」

そう言えばこれは昨日見た包みだ。
ロイヤルブルーの包装紙を開き白い箱を開けると、中からB5版ほどの大きさの真鍮の写真立てが出てきた。
鈍く錆色に輝く枠はしっくりと趣味がいい。

「珍しいサイズですね。落ち着いた感じですごくいい。」
「机の上に置けるかなあ。ちょっと整理しないとだめですね、泉田警部補。」

泉田が次に一緒に添えられていたきれいな封筒を持ち上げると、貝塚がいたずらっぽく笑って肩をすくめた。

「あ、それは帰ってからしみじみ開けた方がいいと思いますよぉ。それが今回のサプライズの目玉なんです。」
「警視の御発案です。」
「ありがたく受け取るんだな。なかなかよさそうだぞ。」

「は、はあ。」

周囲の口ぐちの言葉に、泉田はその封筒を開けることはあきらめて軽く振ってみた。
カードにしては重い。かなりの枚数の紙の束ようだ。
泉田はもう一度感謝の言葉をのべると、封筒と写真立てを包みに戻した。

そして話題は再び今日の帰りに飲みに行く場所へと移っていった。





涼子は溜息をつくと、ことんとグラスを置いてカウンターに頬をつけた。
出張帰りに直行したのは『白水仙』。
ジャッキーが心配そうにその姿をカウンターの向こうからのぞきこむ。

「・・・あたしは悪くないもん。」
「涼子ちゃん。」

「でも明日はすごく大切な日なの。伝えたいことがあるの。」
「うん、うん。」

「・・・無理かも。」

涼子はころんと、今度は反対の頬をカウンターにつけた。

「準ちゃんだってわかってくれるわよ。」
「わかってないわよ。」
「・・・かもね。」

涼子はだるそうに頭を上げて、ちろりとジャッキーを見る。

「ジャッキー、どっちの味方なの?」
「涼子ちゃんよ、もちろんじゃないの!」

思わず本音がこぼれたジャッキーが、あわてて言い添える。
涼子は空になったグラスをピンとカウンターの上で弾いた。

「おかわり。」
「涼子ちゃん、飲みすぎ。」
「まだ酔ってないでしょ。」

ジャッキーがグラスを取り上げる。

「だめよ。大切な日ならせめて最高の顔で笑わなきゃ。そんなじゃ目がはれちゃうわ。」
「・・・笑ったってもう手遅れだもん。」

「そんなことないわよ。大丈夫。最後は涼子ちゃんが勝つの。世の中そう決まっているのよ。」

涼子はまたぺたんと頬をカウンターにつけた。
ジャッキーが手をのばしてその髪をそっとなでた。涼子は切なそうにまた溜息をつくと目を閉じた。

――イズミダノバカヤロウ!!――





なんとなく寒気を感じて、泉田は首をかしげながら写真立てに同封されていた封筒を開けた。
参事官室のメンバーと鬼の居ぬ間に誕生日祝いだと騒いですっかり遅くなってしまったが、
ネクタイを緩め、官舎の狭い机に中身を広げてみる。

それは20枚ほどの写真の束だった。好きに組み合わせて写真立てに入れてくれということなのだろう。
どれも小さなサイズで、参事官室や警視庁の周囲の風景を撮ったものもあれば、泉田の身近な人物が写っているものもある。
そして人物写真は、裏に本人たちからのメッセージが書かれていた。

参事官のメンバーたちからの「末永くお幸せに」(なんだこれは!?)だの、「達者で過ごそう」だのというメッセージをめくり、
達筆な由紀子らしい「お誕生日おめでとうございます」に苦笑し…
…気づいたら1枚の写真とメッセージを探していた。


ほどなくそれは束の一番下から出てきた。
誰が撮ったのだろうか、涼子らしい凛とした自信と誇りに満ちた笑顔のポートレート。

泉田は写真を裏返してみた。

まず目に入ったのは消えそうな薄い文字での謝罪の言葉。

『Je suis desole(ごめんね).』

そして一番下には。


『―Je t'aime.』


泉田は立ち上がった。





けたたましいベルの音。
涼子は不機嫌にベッドから体を起こした。

枕もとの時計は夜中の2時を回ったところだ。
何か変事かとモニター付きインターホンの受話器に手をかけたところで、
涼子は一瞬にして酔いも眠気も飛ぶのを感じた。

返答もせずに、マンション入口の自動キーロックを解除する。
こんな真夜中過ぎにはふつりあいなスーツ姿が一瞬戸惑ったように揺れ、そのまま中へと飛び込んでくるのを確認して、
あわててガウンをはおる。

部屋の明かりを付けると、早くも今度は入口のインターフォンが鳴る。
鏡をのぞかなきゃとちらりと考えたが、それより早く体はドアへと向かいキーロックを解除する。

開いたドアから泉田が滑り込んできた。

「・・・な、なんで今日に限ってヴェルサイユ…じゃない、高輪にいないんですか!?」
「ジャッキーのお店からはこっちの方が近かったから…。」

「探しましたよ。おかげでこんなに遅くなってしまった。」

ぜいぜいと肩で息をしているところを見ると、港区内のいくつかの涼子のマンションを徒歩で探し回っていたのかもしれない。

「居場所なら携帯で…。」
「…かけたら出てくれましたか?」

泉田は伏せていた視線をまっすぐに涼子に向けた。
涼子は不覚にもその視線に狼狽した。

「出てくれましたか・・・って、だってだいたいこんな時間に上司をたたき起こして何の用よ!?」

言い終わるより早く、泉田は無言で涼子を抱きしめた。
2人の背中でぱたんとドアが閉まる。



「・・・ありがとうございます。写真立てと写真、とても嬉しかった。」

泉田がぽつりと言ったのは、早かった鼓動が少しずつおさまってきたころだった。
そっと涼子を離して、その瞳をのぞきこむ。

「そう、言いたかったんです。」

涼子はやっと平常心を取り戻した心地で、一度目を閉じると、ゆっくりと開いて泉田のネクタイに手をやる。

「今日はネクタイ、変えて出勤したのね。」
「身だしなみについては昨日ご指導を頂きましたから。」

涼子はやれやれというように溜息をついた。

「2日続けて同じネクタイだなんて、どこか別の女のところに泊ったのかと思うでしょ?」

「は?」
「わかってないんだから。まったく無自覚犯行ほどタチの悪いものはないわね。」

涼子は背伸びをして、泉田の首に腕をまわした。

「こんなに気にしている乙女心を全くわかっていないって、重大犯罪よ。」

そういうことか。
泉田は柔らかな体を受け止めて大きく肩で息をすると、素直に謝った。

「申し訳ありませんでした。しかし決してどこかを泊まり歩いているわけではなく、不精なだけで…。」
「ああ、それもわかっているんだけどね。」

だけど気になるじゃない?と小首をかしげる涼子の額にひとつキスを落とすと、泉田はもう一度涼子を抱きしめた。

「今日は1日一緒にいて下さい。どこへ連れて行ってくれますか?」

泉田のささやきに涼子はくすぐったそうに首をすくめ、腕にぎゅっと力を込めた。

「ひと眠りしたらとびきりの場所を用意してあげるわ・・・あのね?」
「何ですか?」


「生まれてきてくれて、そばにいてくれてありがとう。」



それはどうしても今日、あなたが生まれた世界で一番素敵な日に伝えたかった言葉。

…それに続く、写真の裏に書いた『Je t'aime(愛してる)』は、泉田の唇にからめとられた。


Bon anniversaire!


(END)




*リクエストありがとうございました。書いていてとても楽しかったです。長くなってしまったことと力不足はどうぞご容赦ください。
田中先生曰く、このお話はサザエさんと一緒で、泉田と涼子はずっと年を取ることはなく、かつ永遠に「上司部下」とのこと。
だとすれば本当は禁断のバースディネタなのでしょうが、そこはお許しをっ。

最新刊の若林の姿にほれぼれしてしまいました。かっこいい!!
アニメで動きしゃべるジャッキーの姿も、挿絵で見ていたよりも想像よりもリアルで感心してしまいましたが(笑)。
お涼さま、もう泉田クンじゃなくてこっちでもいいじゃないかっ!?…このサイト的にダメですね、はい。じゃあ私が若林クンの方に(違)。
ともあれ美形が増えるのはよいことですよねっ。垣野内先生、いつもありがとうございます!