<愛しい人>
「かわいいと言われ、悩んでいるところであります。」
阿部は大きな体を揺らして、居心地悪そうにつぶやいた。
「誰に?」
丸岡が阿部にビールを注ぎながら、問いかける。
泉田も阿部のどことなくしゅんとした、たとえるなら食あたりのセントバーナードのような様子に、
気がかりそうな目を向けた。
だからこそ、たまには男3人で飲もうと丸岡と示し合わせ誘ったのだが。
「貝塚巡査にです。」
阿部の答えに、丸岡と泉田は顔を見合わせた。
どう見ても高校生、いや中学生にしか見えない貝塚。
その貝塚に「可愛い」と言われれば、そりゃショックだろう。
「それはどんな状況でだね?」
丸岡の質問に阿部はぽそりと答えた。
「寝る前であります。」
「寝る前!?」
丸岡と泉田は、小さな飲み屋中に響くような声を出し、かつ思わず身を乗り出した。
阿部と貝塚はそういう関係だったのか?!
周りの視線と2人の反応に、阿部は必死に弁解した。
「誤解でありますっ。ご想像のようなことではありませんっ。」
「「じゃあどういうことだ!!?」」
丸岡も泉田も、元(?)は第一線の一級刑事だ。ハモって問い詰めるとかなりの迫力になる。
「せっ、先日の香港出張の時でありますっ!」
「香港出張・・・ああ、クレオパトラ号か。」
あの悪夢のような事件の後も、船は香港まで航海を続けた。
明日は入港という夜、阿部がパジャマに着替えてから自室で聖書を持ち夜の祈りに入っていた時、
部屋のドアがノックされた。
開けてみると貝塚が立っていた。
「男の部屋を訪ねるには遅い時間だよな。」
泉田が生活指導の教師のようなことを言う。
「いえ、貝塚巡査は、翌日香港に入国する際の手続きの確認に来てくれたのであります。
自分は中国語が出来ないので、不自由してはいけないと。」
「それはまた親切なことだな。」
丸岡がからかい半分に言うが、説明に懸命な阿部にはあまり通じていない様子だ。
「はっ。その時に言われたのであります。『眠そうな阿部さんの顔ってかわいいですね』と。」
う〜ん、微妙だ。
丸岡と泉田はうなった。
貝塚のことだ、何も考えず無邪気に言った可能性が高い。
だが若干の好意は間違いなく含まれているようだ。
「まあ、愛情表現だな。親近感が湧きましたって。」
「そうだな。気にするな、あの子は誰にでもいいそうだ。こんなおじさんにもな。」
はははと笑う2人を前に、阿部は憂鬱度を増してぽつりとつぶやいた。
「誰にでも言いますか・・・。」
へっ?
2人は同時に阿部を見つめた。
「お前・・・もしかして。」
「いや、あの、その、決してそのような深い意味はありませんが、誰にでもと言われると・・・。」
隣に座っている丸岡が、ぽんと阿部の肩を叩いた。
向かいに座っている泉田が、阿部にビールを差し出す。
「まあ飲め。じっくり聞かせてもらおうじゃないか。」
男の宴は、まだまだ続きそうだ。
「泉田クンの言うとおり、親近感が入っているからこその発言よね。」
次の日、車で捜査に出かけた帰りに渋滞に捕まり、手持無沙汰で退屈気味の上司に、泉田は昨日の阿部の話を提供した。
「かわいいって愛しいに通じるかな。」
涼子はおもしろそうに話を聞き終わると、そう言って鈴の転がるような声で笑った。
「そうでしょうか?」
「その状況じゃ言う方も、言われる方も、お互い憎からず思ってるってこと。愛しい相手にはスキも見せるわよ。」
「そういうもんですかねえ。」
「だって、マリちゃんの寝ぼけ顔なんて見たことないわよ。相当気を許してるからこその表情だと思うけど。」
「うーん。」
泉田はハンドルを手に唸った。
「しかし、男にとってやはり『かわいい』は褒め言葉ではありません。
好意を持っている相手なら、もっと表現に気をつけた方がいいと思いますが。」
「あら、珍しいわね。泉田クンが男女のことに意見するなんて。」
助手席からいたずらっぽい目が泉田をのぞきこむ。
泉田はコホンと咳払いをすると、その視線を振り切るように前を見据えた。
早く進まないか、この渋滞。
「あーあ、いいわよね。若者たちは愛だの恋だのって。」
涼子はうーんとのびをすると、窓の外に視線を移した。
若い者・・・そう言われて泉田はふと気づく。
阿部巡査と涼子、涼子の方が年下である。
27歳。
普段は見えないし、感じない。
これは涼子が隙を見せない、年不相応の仕事を見事にこなしているからだろう。
「薬師寺警視も…かわいいですよ。」
思わずつぶやいた泉田の声に、ふいをつかれて涼子がぴくりと反応する。
その反応に泉田の方も狼狽する。
「いえ、申し訳ありません。何を言ってるんだ、俺は。」
泉田のその言葉の後も、なんとなく気まずい沈黙。
「…ずいぶん不遜な言い回しじゃないの?」
時間が流れて、ようやく体勢を立て直した涼子が言った。
「決して侮るという意味では。」
「わかってるわよ、ほら、車進んでる。」
「あ、すみません。」
やっと流れだした渋滞に、泉田はほっと安堵の溜息をついた。
そんな泉田を横目で見ながら、涼子はまだおさまらない顔の火照りを隠すようにふんとそっぽを向いた。
「あ、警視、おかえりなさいませ、お疲れさまですぅ。」
戻った2人を、貝塚が満面の笑顔で出迎えた。
そして泉田に何やら得意げに差し出す。
ふと目をそちらに向けると、貝塚の同期の総務担当の女性が2人、
貝塚の隣に立ち期待いっぱいの目で貝塚と泉田を交互に見つめている。
「・・・なんだ?これは。」
「総務から支給の尾行用のサングラスです。」
涼子が冷蔵庫の中をのぞいて飲み物を探しながら振り返る。
「あたしが頼んでおいたのよ。泉田クンの自前、安物なんだもの。」
安物で悪かったね。
泉田は半分自棄になりながら、貝塚の手からサングラスをとると無造作にかけてみた。
次の瞬間。
ほおっ、という溜息が周囲から漏れる。
涼子も冷茶のグラスを手に、思わず動きをとめた。
「・・・すんごく、似合ってますぅ。」
「・・・そうか?」
泉田は、無造作にサングラスをとった。皆がまだ泉田の顔をじっと見ている。
泉田は照れをごまかすように言い放った。
「なんだよ、もらっておいていいんだな、これ。」
少しあわてたその様子に、貝塚がふき出した。
「泉田警部補、かわいい〜!!」
「かわいい、素敵。」
「似合ってるのに〜もったいないです、外さないで。」
貝塚たちが、泉田を囲まんばかりの勢いで口ぐちに話しかける。
…それを押し戻そうと必死の泉田の耳に、近寄ってくるヒールの音が妙に大きく響きわたった。
「…かわいいってさ。よかったわねぇ、泉田クン。」
泉田の肩をぽんと叩き、涼子が横を通りすぎる。
変わらぬあでやかな微笑み。
しかしまったく笑っていない瞳の輝きに、泉田は冷水を浴びせられたようにぞっとした。
「警視!」
「…そんなスキ、見せてんじゃないわよ。」
泉田だけに聞こえるように、とどめの囁き。
参事官執務室のドアが開いて、そしてバタンと閉じた。
「どうしたんですかねえ?警視。」
「ね、ね、泉田警部補、もう一回かけてください!」
泉田は座り込みたい気持ちをなんとかこらえて、貝塚たちに怒鳴った。
「大の男に向かってかわいいって言うのはやめろっ!」
参事官執務室から、ガツッとダーツの矢が扉に刺さる音が聞こえてきた。
(END)
*貝×阿推奨(笑)?さとみちゃんにはすでに誰か保護者がいそうな気もしますが。
泉田クンは、お涼サマがかわいくてかわいくて仕方ないと思いますよ。
田中先生の書かれるお涼サマは、本当にかわいいです。垣野内先生の描く表情がまたかわいい。
6月発売の短編集、楽しみにしています。