朝目覚めたら、枕元に一冊の時刻表が置いてあった。
<時刻表>
「ジュン、コーヒー?」
「ありがとう、頂くよ。」
燦々と日差しの差し込むまばゆい朝のダイニングで、
泉田は2人のメイドの給仕で、遅い朝食を取っていた。
こうやって捜査を理由に泊るのはもう何度目だろう。
ケジメが必要だと思いつつ、なんとなく居心地がいい。
こうやって休みの日の朝をここでゆっくりと迎えるのは、特に。
完全に状況に甘えてしまっている自分にやれやれとため息をつきながら、
泉田は手元の時刻表に目を落とした。
昨夜はなかったのに、忽然と置かれていたものだ。
「マリ、警視は?」
「オデカケサレマシタ。オヒルニハモドル?」
マリアンヌはそう答えて肩をすくめた。
どうやら部屋の主は、泉田の目覚めを待たずに出かけたらしい。
時刻表と言えば…と見るともなしにぱらぱらとページをめくる泉田は、
『英国ミステリーの読みすぎで刑事になってしまった』と涼子に揶揄されるほどの推理小説好きの読書家だ。
そんな泉田の頭に真っ先に浮かぶのは、アガサ・クリスティーの名作、「ABC殺人事件」。
名探偵ポアロのもとに送られてきた予告状どおりに、
アンドゥーヴァ(Andover)という街でAlice Ascherという人物が殺され、
次にベクスヒル(Bexhill)という街でBetty Barnardが、
そしてチャーストン(Churston)でCarmichael Clarkeが殺される。
いずれの現場にも残されていた「ABC鉄道案内」は何を示すのか?犯人の意図は?
そしてポアロは次に予告されたDoncasterでの殺人を防ぐことができるのか?…という推理小説。
泉田は、この時刻表が何か捜査の手掛かりかと考え込んでいる自分に気付き、首を振る。
「…まさかな。」
昨夜の捜査は区切りが付いている。
だとすれば、涼子はこれで何を調べていたのだろう?
次の事件か?
泉田はカップを持ったまま、ソファーへと移動した。
改めて時刻表の折り目がついてそうなところを、順に開いてみる。
…が、糸はつながらない。
地名でないなら、電車の名前にヒントがあるのかと考えてみる。
例えばAなら長野新幹線の「あさま」、確か昨日の被害者と容疑者の頭文字は…。
それともアリバイと時刻が何かリンクするのだろうか…。
どれくらいそうやって時刻表とにらめっこしていたのだろう。
泉田は、華やかな気配でふと我に返った。
「ただいま。どうしたの?難しい顔をして。」
ネイルしたての爪を光らせて、花屋にも寄ってきたのか、
涼子が両手いっぱいの色とりどりの花を持って戻ってきた。
「あ、警視。」
涼子はその泉田の声に応えて手を振ると、花束をメイドに渡し、隣に腰かけた。
そして泉田が手にしている時刻表を見て、満足げに微笑む。
「おっ、早速考えてくれているのね、褒めてつかわすぞ。」
泉田は当惑しつつも、立ち上がり頭を下げた。
「申し訳ありません、警視。まだ被疑者の足取りが追えません。
それどころかご示唆頂いていることすら、わからない状態です。
何かおわかりのことがあればどうか教えて頂けないでしょうか。」
…返事が返らない。
泉田はおそるおそる頭を上げた。
と、その瞬間、頬が思い切りつねりあげられた。
「いらっ(痛っ)!けいひ、いらいれふ!」
「まったく、悪意がないからって、なんでも許されると思ったら大間違いよ!」
涼子は手を離して、座ったままキッと泉田を睨みつけ時刻表を目の前に突き出す。
「普通、女性が男性に時刻表やパンフレットを渡したら、それは『一緒に旅行に行こうよ』っていう
おねだりに決まっているでしょうが!!」
「・・・へ?」
わざわざ目が覚めたら一番先に気付くところに置いたのに…と涼子は怒りを通り越して、
めまいを覚えた。
泉田はまだ混乱して、時刻表と涼子の顔を交互に見ながら、
「いや、ですが、ABC鉄道案内の例では…」と混乱しながら呟いている。
――まったくこの朴念仁は、どうやったら治るんだか…――
涼子は大きく深呼吸をすると、泉田の手にもう一度時刻表をにぎらせた。
「いいでしょう。クリスティ風に言うならCよ、C!あたしの希望はCだから必死で探すのね!」
「し、C?」
泉田はソファーに腰を下ろすと、必死にページをめくり始める。
涼子は額に手を当てため息をついた。
それから30分後、ランチを食べようと部屋からダイニングに来た涼子に、
泉田は不安げに時刻表のページを開いて差出した。
涼子はチラリとそのページを見て、無表情ながらも「合格」と親指を立てて見せた。
泉田は肩を落とし、『女心こそが最大のミステリー』という使い古された言葉を痛感したのだった。
今年初めての雪は北の大地で、2人で見よう。
16:20 上野発 9:32札幌着、特急カシオペア(CASSIOPEIA)に乗って。
(END)
*私はJRのまわし者ではありません(笑)。でも一度ぜひ乗ってみたい電車ではありますね。
北海道の初雪の便りともにと思ったのですが、遅くなって申し訳ありません。
この間の冷え込みのおかげで、家の辺りでも葉が色づき始めました。
どうぞ京都にもお越しください…って、やっぱりJRか旅行会社のまわし者みたいですが、違いますからねっ。