―汝、その女を愛するか?―


泉田は夢うつつのまま、考えた。

愛するとかと言うのは少し違う(全く違う?)気がするが、
守るべき人であることは確かだと。


―笑止、その程度か。それならば私がもらっていこう。―


もらっていく?…いや、引き取ってくれるなら渡してもいい、
というか、むしろ持って行ってくれ。

そう考えると、目の前の影が不審そうに揺れた。

影…?
いったいこれはなんだ!?

泉田は慌てて起きた。




<危険な恋を>



どうやらまたDVDを見ながら寝込んでしまったらしい。
カウチから立とうとして、膝の上に涼子の頭があることに気が付き、動きを止める。

狭いカウチに丸くなって眠っている涼子の姿は、しなやかなネコを思い起こさせる。

泉田は下に落ちていた毛布を拾い上げると、そっと涼子の体にかけた。
もうすぐ夜明けだ。

眠る涼子の髪をそっとなでる。
その時、涼子が何かをつぶやいた。


『永遠?まあ、あたしが誓っているわけじゃないわ。』


???
意味不明。どんな夢を見ているのだろうか?
夢と言えば…さっきの夢は一体何だったのだろう?

泉田は白み始めたカーテンの向こうの窓を見て、あくびをしながら、やがてまた浅いに落ちていった。





マリとリューに見送られて、部屋を出る。
もう一緒に出勤することに、泉田も、何より周囲も慣れた。

詮索してもろくなことにならない、かかわり合いにならないことが大事、という点が、
より浸透してきた結果だとしたら少し悲しい、と泉田は思った。

しかし今朝は。

「涼子さん、お迎えにあがりました。こちらへ。お送りいたします。」

すらりと高い、泉田よりまだ高い日本人離れした身長。
いや、エキゾチックな東欧系の顔立ちから考えても日本人ではない。
後で束ねられた長い黒髪、色の薄い眼、少し灼けた色の肌。
細身のスーツを見事に着こなしている。

涼子が一瞬眉をひそめたので、泉田は涼子をかばうようにすっと前に出た。

「警視、御存じの方ですか?」

涼子の言葉を待たずに、男は滑らかな口調で話した。

「あなたの花婿になるお許しを得た男ですよ。お忘れですか?」

父親の選んだ婚約者候補か?泉田は涼子を見た。
涼子は少し目を細めると、泉田の腕を放してその男の方へ歩み寄った。

「名前は何て言うんだっけ?」
「お心のままに。ああ、出来ればジミーだのディックだの、年不相応なアメリカンネームは止めて頂きたい。」

「…面倒ね、後でいいわ。泉田クン、あたしの車に乗って行って。駐車場、いつものところに停めておいてね。」
「はい。」

キーが投げられる。
泉田がそれを受けるのを見届けると、涼子は男の腕を取った。

2人が乗った車が去っていくのを、泉田は敬礼で見送った。

…あの男の声、どこかで聞いたことがあると思いながら。





「出勤など、もういいだろう?私としてはこのまますぐ共に快楽を貪りたいのだがどうかな?私の花嫁。」

首都高速を縫うように走る車の中、鼓膜に響く魅惑的な声。
しかし涼子はふっと笑い飛ばした。

「あたしは嫌よ。仕事も嫌いだけど、会ったばかりの男と快楽におぼれる気はないわ。」

「おや、この国でも『明け方の夢は正夢』と言うと聞いたが?今朝の出来事をもう覚えていないと?」
「覚えているわよ。でもあたし花嫁になるなんて言わなかったでしょ?」

「あの男と永遠を誓ったわけではないと言っただろう?そして…。」
「ああ、そう言えば言ったわね。『あなたの羽根と角はキスしたいほど素敵だけど』って。」

涼子が男のこめかみに、助手席から人差し指を当てる。
CGのように、曲がりくねった角がすっと一瞬浮かびあがり、すぐに消える。

「自慢の角と羽根を褒めてもらったんだ、愛の告白だと思ったのだが?」

「全然、女を口説くにはまだタイミングがちょっと早すぎるわよ。南国の血をひいているわけじゃないでしょ?
あなたは確かペルシャあたりの生まれよね、魔王ルシファー。」

涼子がその名を口にした瞬間、窓ガラスがぐにゃりとゆがんだ…ような気がした。
空間そのものが揺れたような衝撃だ。
さすがの涼子も息を飲んだ。

「おやおや、みだりにその名を口にしないでくれ。ここへ上がってきているのもお忍びでね。
他の人間たちに害を及ぼすわけにはいかないだろう…おや?」

今や目も吊り上がり、爪も長くなり、ずいぶんと悪魔らしい様相を呈してきたルシファーがミラーを見ると、
真っ赤なジャガー、泉田の運転する車がぴったりと後をついてくる。

「あれはあなたの何だ?夢で尋ねた時には、ずいぶんといい加減な答えをしていたが。」

不審そうな顔でミラーを見るルシファーの隣で、涼子はくすくすと笑った。

「そうねえ…あなたたちのわかる形で言うなら、彼はあたしと離れられない契約になっているの。
またその契約に彼自身がびったり縛られちゃって、あたしの命令ならな〜んでも聞いちゃうの。
そういう関係ってむしろあなたたちの方がお得意でしょ?」

「まあ…わからなくもないが…彼はその見返りに何を得るのか?地上の富か?名誉か?」
「あ・た・し。」

「…なるほど。我々好みの関係だ。」

ルシファーは溜息をついて肩をすくめると、高速を降り、やがて車は桜田門前に滑り込み停まった。

「悪魔の素質高い美女の香りがしたので立ち寄ってみたが、二重契約は何かとややこしそうだ。
残念だが帰るとしよう。またぜひ会いたくなったら呼び出してほしいものだ。小物などになど任せず、
私が自ら出向こう、愛しの花嫁。」

「ありがとう。それよりも小物たちに、ほどほどに暴れてあたしを退屈させないように言っておいて。」
「わかった、伝える。」

ルシファーは微笑むと噛みつくように涼子の唇を奪った。





ちょっと待て〜っ!!
ここは天下の警視庁の門前だぞ、しかも早朝だぞ!!

前の車のキスシーンを見て、後に車を停めた泉田はたまらずドアを蹴り開け、
つかつかと歩み寄った。

その瞬間。

車の窓をすべて破って大きな黒い翼が一面に広がり、泉田の視界を遮った。

「な、何だ!?」

そして車の屋根を突き抜け曲がりくねった山羊のような角が伸びる。

「じゃあね。」

いつの間にか涼子は助手席のドアから歩道に降り、軽く車に手を振っている。

そして、車は一瞬にして泉田の目の前で消えた。

後には黒い羽根が、ひらひらと舞っているばかり。






「さあ、泉田クン、遅刻しちゃうわよ。車、早く入れてきて。」
「へ?」
「何をほおけているの、早く!」
「は、はいっ。」

今見たものは何だったのか?泉田はもう考えることを止めていた。
体が指示通りに勝手に動く。
慣れというのは恐ろしいものだ。怪奇事件の数を伊達にこなしていない。


そして涼子は、高く澄んだ冬の空を見上げた。

「悪魔好みの関係…か。ちょっとくらっときたな。ぼやぼやしてると乗り換えるぞ!」

そして思い切り伸びをすると、くるりと踵を返して庁内へと進んだ。


いつもの朝が始まろうとしていた。

(END)



*魔王の嫁さんですからね。小物魔導師とはわけが違います。いっちゃってもよかったかもしれませんね、お涼サマ。
ルシファー、ルキフェル、ルシェフ、ルチシェール…と呼び名は色々ですが、由来はメソポタミアの悪魔の名前。
いつの間にか、上級天使から堕ちた悪魔の貴公子の名前となりました。
個人的なイメージとしては、黒髪、薄いアッシュグレイの瞳、真っ赤な唇かな?もちろん細面の妖しい貴公子(笑)。
設定詳細はお許しください。それぞれのイメージにお任せいたします。
お涼サマの相手ならこれくらいの大物をと思って引っ張ってきました。泉田クン、どうか取られないように。