<隣で眠りたい>



捜査の打ち合わせ資料を前に、涼子が小さなあくびを繰り返すのを見て、泉田は報告の手を止めた。
涼子がやりたいと言って取ってきた捜査の打ち合わせとしては、非常に珍しい。
いつもは欲しかったおもちゃをやっと買ってもらえた子供のように、興味津々の笑顔で聞き入るのに。

「警視、お疲れなら少し休憩しましょうか?」

泉田の言葉に、涼子はぼんやりとさまよわせていた視線を瞬きで戻すと、首を軽く左右に振った。

「ごめん、ごめん。ちょっと、う〜ん、寝不足でね。」

また遅くまで捜査資料を読んでいたのだろうかと推測をめぐらせる泉田の耳に、
想像だにしなかった言葉が飛び込んできた。

「どうも夢魔か獏にとり憑かれたみたいなんだよね。」

夢魔?そっちは想像もつかないが、獏って・・・バク?
あの豚というか、象というか、熊というか…中途半端に鼻の長い、あのバク?
確か夢に関係する動物だったが・・・夢を食べるんじゃなかっただろうか?

「毎晩、夢うつつになるとベッドに入り込んでくるんだよね。」

続く涼子の言葉に、またもや泉田の頭は???でいっぱいになった。
あのバクが、ベッドに入り込む…大きさは大丈夫なのかとか、肌ざわりはどうなのだろうとか、
暑苦しいだろうなとか、埒もない疑問が次々浮かぶ。

それが表情に出たのだろう。

「あ〜、泉田クン、その想像、多分違うから。」
「え?」

涼子はあくびでうるんだ眼をこすり、立ち上がって大きく伸びをしながら言った。

「魔物は、たいがいみんな人の形を取って夢に入り込んでくるんだよ。」






夕方、少し手の空いた泉田は貝塚に頼んで、ユウユウ(貝塚のPC)から夢魔とバク(獏)の資料を出してもらった。

バクは実在する動物の写真や生態はともかく、色々な言い伝えがあるようだ。
悪い夢を食べてくれるというものはもちろん、悪い夢を見る人のところに寄っていくというところから、
西洋では夢魔とともに行動する妖魔、あるいはそのものと同一視されているケースもあるとのこと。

夢魔?
泉田は手元にある次の資料を繰る。

夢魔は、人の不安や弱みにつけこんで、夢の中に入り込みそれを拡大させる。
または人の隠れた欲望や願望を暴きたてて淫夢を見せ、つかのまの快楽に浸らせて現実の絶望感を煽り、
自ら命を絶つよう仕向けることもある。

淫夢って・・・。

いやいや。
泉田は全力で妄想を振り切った。まだ日も高い。しかもここは職場だ。

問題は命を奪ってしまうくらいの強大な力を持つことだろう。
続きを読むと、涼子が言ったとおり、バクすなわち夢魔は、夢に潜り込む時には人の形を取ると書いてある。

欲望に関する夢に引き込むことが多いだけに、異性の姿になることが多いらしい。
資料についていたイラストでは、物語に出てくる昔のインドの王子のようなエキゾチックな風貌の夢魔が、
いかにも高貴な家の奥方らしき人のベッドに腰掛け、眠る彼女の頬をなでている。

振り切った妄想が戻ってくる。
その女性の顔が涼子の顔に変わり・・・。

いやいやいや。

熱さと同時に湧き上がってくる何とも言えないどす黒い感情。

泉田は資料を閉じると、邪念を追い出そうと、阿部から声をかけられたのを幸いに
別の仕事に集中しようと努めた。






就業時間が過ぎ、泉田はいつものとおり退室の挨拶に涼子の部屋をノックした。

「…come in.」
「失礼いたします。」

ドアを開けると、そこには朝よりもさらに眠そうな涼子の顔があった。

「これで失礼させて頂きますが、警視はどうなさいますか?」
「ん〜眠いんだけど、なんだか嫌な胸騒ぎがするのよね。誰かがあたしの仕事の邪魔をしようとしてるのかも
しれないから、もう少しだけ色々確認していこうかな。」

泉田ははっと涼子を見詰めた。
寝る前に妙な胸騒ぎがするのは、既に夢魔に魅入られている兆候だとさっきの資料に書いてあったのを思い出したのだ。

「警視…本当におつらそうですが・・・。」
「ん〜眠れないわけじゃないのよ。むしろベッドに入るなり眠りに引きずり込まれるんだけどね。」

「うなされるんですか?」
「そういうわけでもなくて・・・悪い夢じゃないのよ。むしろいつまでもひたっていたいくらい、
幸せと言えば幸せなんだけどね。」

「夢魔の姿は見えるんですか?」
「そりゃあもうはっきりと。触れることもできるのよ。キスの感触も、目が覚めてもはっきりと残っているわ。」

うっ。
振り払っていた妄想が、今度は一気に押し寄せてくる、
資料の挿絵のエキゾチックな夢魔が涼子にキスしている図が浮かぶ。

「だから別にいやな気分じゃないんだけど…。」
「わかりました!警視、そこまでで結構です。」

泉田はあわてて涼子の話を止めた。自分でも制御できない苦い塊が胸に残る。

これは嫉妬か、それとも正義感か。

涼子は狼狽している泉田には興味を示さず、心底辛い様子で溜息をついた。

「でも、あ〜ほんとにまずい、頭がすっきりしない。マリとリューは、ビザの関係で
一旦フランスに返しちゃったしなあ。明日起きられなかったらどうしよう。」

涼子の玉の肌には相変わらず一点の曇りもないが、眼光はいつもよりも少しとろりとしている。
思考のスピードも遅くなっているのかもしれない。

小さなあくびを繰り返す涼子を見て、泉田は決心した。





「警視、夢魔を退散させる方法は、守り刀を枕もとに置き、それで切りつけることです。」

さっき資料に書いてあった撃退方法をきっぱりと言い切る泉田を見ながら、
涼子は眼をぱちくりさせた。
そしてしばらく考えたあと、首をかしげた。

「やだ。」
「え?」

「やだ。切りつけるほどの恨みはないもん。キスした後は、優しく添い寝してくれるもん。
ちょっと眠いだけならこのままでもいいかも。」

もう完全にとり憑かれている・・・。
泉田はぞっとすると同時に、毅然と涼子の腕をつかんだ。

「帰りましょう。」
「え?」
「私が寝ずの番をします。夢魔が出てきたら、守り刀で切りつけます。」

「ふ〜ん。」

涼子は泉田の腕に支えられてゆっくりと立ち上がった。

「わかった、帰ろう。ちょっと安心したわ。本人が来てくれたら、夢魔もどこか行くでしょう。」

え?

呆然とする泉田の前を、大あくびしながら涼子が通り過ぎる。

「車まわしてくるから、通りに出ていて。」

バタン。
参事官室の扉が開く。

「本人って…。」





夢魔の姿は、見る人によって違うそうな。

今夜彼女の隣で眠っているのは、さて、いったいだぁれ?



(END)




*夢魔ってそもそも他人には見えないかもしれませんが・・・がんばれ、泉田クン。

なお獏、夢魔については諸説あります。異説あってもどうかご容赦ください。