<紅玉石をあなたに>


泉田は、宝石店のショーケースに見入っていた。
普段じっと眺めるのは気恥ずかしいが、平日閉店間際、天気が悪く人も少ない。

店員も気を利かせて黙っていてくれているようだ。

こういう時、
「彼女にプレゼントですか?」などと聞かれては、狼狽して店を出るしかない。
泉田はその種の体験者であるだけに、店員の温かく見守ってくれている視線がありがたかった。

もっとも一説によると、男性客は宝石店で一度目で購入することは少なく、
逆に一度行って感じのよかった店にほぼ7割が帰ってくるらしい。
店員は今は逃しても次、とそれを実践しているにすぎないのだが、そんなことは泉田は知るところではない。

一通り見て、ため息をつくと、「また来ます」と律儀に店員に微笑みかけて外に出る。
まだ春浅い冷たい夜風が泉田を包む。

あと1週間でホワイトデーだ。



それは今朝の出来事だった。
出勤してきた泉田は、すぐ涼子に呼ばれた。

「総監が勲章をもらったんだって。でね、昼から特別に見せてくれるって言うんだけど、行かない?」

「・・・珍しいですね。お祝いに行くんですか?」
「何言ってんの。あたしが取らせてあげたようなものじゃない?見るくらい見せてもらわなきゃ。」

ああ、あなたがおとなしくしていたから取れたという話ですね?
そんな言葉は賢明に飲み込んで、泉田は穏やかに応えた。

「お供いたします。」



昼、総監室のドアをノックした涼子を、さすがに今日ばかりは警視総監も満面の笑顔で迎えた。

「薬師寺警視、忙しいのによく来てくれたね。」
「おめでとうございます、総監。」

涼子もいつになく素直に敬礼でお祝いを述べる。
室内には既に何人かが来ており、皆壁にかけられた大きな額に見入っていた。

泉田が敬礼を解き、そのまま部屋の入口に張り付いていると、涼子が総監に微笑みかけた。

「総監、部下がどうしても拝見したい、警察官としての誉れであり手本にしたいと殊勝なことを申しますので、
連れてまいりましたの。同席させても構わないでしょうか?」

「おお、それは感心な心がけだ。キミも入りたまえ。特別に許可しよう。」

「ありがとうございます。」

言ってない。手本にしたいとも思わない。
しかしめったに見られるものでもなく、反抗することも出来ないのであれば楽しむのみ。
泉田は涼子の後に従った。

泉田は大きな額に入った賞状の、巨大な菊のご紋に驚いたが、まあこんなものかというのが率直な感想だった。
もともと縁のないものだし、一生のうちに見ることもないだろうと、小市民的にしげしげと眺めてみる。

そしてちらりと涼子を見ると。

その頬はいつになく紅潮し、瞳が大きく見開かれている。
その瞳が、涼子の目の前にあるものを映して赤く光っているのを見て、泉田ははっとした。

涼子が見ているのは、勲章の真ん中の紅玉石・・・ルビーだ。

それは登る朝日を象った大きなもので、もちろん傷一つなく磨かれ輝いている。

そうか、これが見たかったのかと泉田は初めて気づいた。

涼子の形の良い唇が小さく「きれい」と動いた。



宝石店を出て駅まで歩く道すがら、泉田は今日のあの涼子の輝く瞳を思い返していた。

そう、だから柄にもなく、宝石店などのぞく気になったのだ。
あの赤い石は、まるで涼子の命の炎の色のようだ。
そんなロマンティックなことを考えてしまったから。

あそこまでの大きさのものはなくても、涼子のことだ、宝石などきっと腐るほど持っているだろう。
そうも思ってみる。

それに・・・。

泉田は、何年か前のホワイトデー、
前の彼女にねだられて、小さなダイヤがついた指輪を買ったことがある。

あれはどうなっただろうか?

あの指輪の値段に未練があるわけではないが、そう考えると宝石なんて空しい気もする。

はああ、と大きなため息をついた泉田の隣で、突然コンコンと窓を叩く音がした。

通りに面した喫茶店の中から貝塚が手を振っている。
そしてその向かいでは、阿部が真面目な顔で敬礼していたのだった。



「めずらしいな、2人でこんなところにいるなんて。もしかして俺は邪魔者か?」

隣に座ったからかうような口調の泉田に、阿部は真顔で否定した。

「捜査の帰りです。そのまま帰宅してよしとのお許しが出たのですが、
腹が減っていたので貝塚巡査の知っている店につれてきてもらいました。」

「ケーキがおいしいんですよ、警部補もいかがですか?」

「いや、俺は遠慮しておくよ。ブレンドを。」

阿部がさっき泉田が腰掛けた椅子に置いていた紙袋を貝塚に渡し、
貝塚の隣の席に置いてもらった。

みなれない店の名のロゴマークが入っている。
泉田の視線に気づいて、阿部が説明する。

「あ、ホワイトディの職場の女性へのお返しであります。
丸岡警部から頼まれて、参事官室全員の分をまとめ買い致しました。
自分だけではわかりませんので、貝塚巡査に選んでいただきました。」

「ああ、そうなのか、ご苦労さま。ありがとう。」

バレンタインに、丸岡と泉田と阿部は、参事官室の女性陣からチョコをもらった。
そのお返しを阿部がまとめて買いに行ってくれたのだ。

「すると中身は?・・・っと。」

泉田は正面に座る貝塚に話しかけようとして、ふと彼女の耳に下がっている小さなピアスに目が行った。
さっき見た宝石店にも似たデザインがあった。繊細な金チェーンの先にトルコ石が揺れている。

「どうかしましたかぁ?泉田警部補。」
「あ、いや、そのピアス、よく似合うと思って。」

「ああ、ありがとうございますぅ。これ・・・高校の時つきあってた先輩にもらったんですよ。」

「えっ、高校の時にそんな高いものを?!」

阿部が驚く。
言うほど高くないのかもしれないが、高校生が贈るアクセサリーにしては洒落ているのは事実だ。

「すっごくかっこいい人で、趣味とかも良くって。でもすぐ別れちゃいましたけどね。」

泉田はさっき気になっていたことを聞いてみた。

「その・・・別れた彼氏がくれたものをそんな風に持っているものなんだな。ちょっと意外だ。」

貝塚は小首をかしげた。

「泉田警部補は、別れた彼女のものとか、全部捨てちゃうタイプですか?」
「・・・そうだな。」

全部捨てた。セーターやマフラー、もらった本も。
罪はない、大人気ないとは思ったがもらった鉢植えも、公園に植え替えた。
そうするのが相手に対する礼儀のように思った。

「私も捨てたほうがいいかなと思いながら、気に入ってずっとつけてたんですけど、
迷っていたら警視が教えてくださったんですぅ。もらったもので好きなものは堂々と使い続けるといいって。」

「お涼が?」

「はい。もらえたのはその時の自分にもらう値打ちがあったからで、正当な報酬であり、いわば戦利品である、と。
だから気に入ったなら使って何が悪い?って。・・・結構、真理だと思いません?」

「・・・思うな。」

泉田は運ばれてきたブレンドに口をつけると、そうつぶやいた。
物に罪はないなどと、ありきたりなことを言わないところが涼子らしい。
贈った方も、意外とそれが本望なのかもしれない。

「なるほどな・・・。」

そうつぶやくと黙ってしまった泉田を、阿部と貝塚が不思議そうに見つめ、顔を見合わせた。
外はいつの間にかぽつりぽつりと春の雨になっていた。



そして。

3月14日、当日。
阿部の買ってきたお菓子を手に皆が退社した後、泉田は涼子の部屋をノックした。

「入ってよし。」
「失礼します。」

捜査資料に埋もれ、ページを繰っている涼子の前に立つと、泉田は小さな包みを差し出した。

「今日はチョコのお返しの日です。」

その言葉に、涼子はがばっと姿勢を起こすと、まじまじと泉田を見つめた。

「・・・なんですか?」
「いや・・・キミがこんなことをするとは思わなかったから、すごく驚いたわ。」

「変ですか?」

少し拗ねた泉田の声に、涼子はかっと耳が熱くなるのを感じた。
なぜこの男は、こういうことを突然にやってのけて、人を狼狽させるのか。

とにかく気の変わらないうちに受け取ろう。
そう判断した涼子は、立ち上がって泉田の手からその包みを受け取った。

柄にもなく鼓動が早くなるのが分かる。

「開けて・・・みていいい?」

絞り出した声はまるで女子高生のような声で、涼子は自分で情けないと思った。
しかし目の前にいる泉田を見上げると、泉田もそれに気づくどころではなさそうだ。
仏頂面を装っているのは、明らかに照れているから。

涼子はそれを見て少し安心して、包みを開く。

赤いリボンをほどくと、水色の箱の中に小さな白いケース。
そして。

「うわぁ。」

涼子はケースを開くと、そっとネックレスを指にかけて引き上げた。
銀色に輝くチェーンの先には、プラチナの花台に包まれた紅く光る小さな石。

「ルビーだ・・・。」

涼子はそっとそれを指に乗せて、瞳を寄せた。
泉田はその横顔をじっと見つめていた。

あの時と同じ・・・とはいかないが、たしかに小さな紅い光が涼子の瞳に宿っている。

涼子が満面の笑顔で、泉田を見上げた。
泉田はほっとため息をついて安心したように肩を落とした。

「すごいじゃない?」
「店員が台にお金をかけていいものにと力説するので、石は小さくてすみません。先に謝っておきます。」

「あたしは、す・ご・いって言ってるのよ。」

涼子は泉田の鼻をピンと弾いた。
そしてくるりと泉田に背を向け、ロッカーを開けて、扉についている大きな鏡に向う。

そしてネックレスをかけた指を、すいと泉田に差し出した。

「つけて。」

泉田は苦笑いしながらそっとネックレスを受け取ると、涼子の後ろに立った。
そして鏡の中の涼子に向って言った。

「やはりあなたを飾るには、安物過ぎますよ。」
「いいのよ。」

涼子は鏡の中の泉田に向って、フフンと微笑む。

「女にとって宝石は勲章なの。もらえるってこと自体が自分の値打ちの証なんだから。」

「あなたの値打ちなら、もっと大きな石が似合います。」

「いいのっ!これでなきゃいやっ!」

涼子が、照れて紅くなった目元をごまかすように、鏡越しに泉田を睨む。
泉田は慎重にネックレスの留め金を外した。

「嫌になったら捨ててください。」
「捨てないっ。」

泉田は首に手を回すと、涼子の胸元に石が来るように鎖をたぐりながら、留め金を止める。
そして鏡を見つけた。

得意げに微笑む涼子と鏡の中、目が合う。
その白い肌に紅の一粒。
それは言葉を失うほどの美しさ。

「似合うでしょ。」
「とても。」

泉田は涼子を後ろから抱きしめると、そっとその鎖の上から首筋に唇を寄せた。
涼子がくすぐったそうに肩をすくめて笑う。



『大好きな人からもらう宝石は、恋する女の子の誇りだよね。』

胸で小さな紅い石がそうつぶやいた・・・ような気がした。

Happy White Day♪


(END)



*甘甘ホワイトディでございます。
バレンタインの時に、「ホワイトディはもっと甘甘にしてください」とリクエストを頂いていたので、
がんばったつもり・・・です。力不足はご容赦下さいっ。