Une berceuse(子守唄)


「反応がなくなったって?」

「はい。当初は確かに感情のようなものがあったのですが、全くそれがなくなってしまいました。
ご説明したとおり、生体反応があるわけではありませんので、これでは全くの無生物です。」

「う~ん・・・。」

涼子は年配の男性研究員が示したガラスケース内の、
シャーレの中に横たわる10CMほどの黒い石・・・にしか見えない外形の物体を改めて見つめた。

捕獲したときは、もう少し大きかったように思う。
確かに動いていた。

そう、ゆっくりではあるが自ら移動し、皮膚に貼りつき、そこからなんらかの影響を与えて、
対象物を発狂させるに至る『物体』だったのだ。

目撃証言と結果を表す被害者ばかりで、メカニズムが全くわからないまま、
何とか涼子と泉田が1週間前に捕獲して、鑑識からこの研究所へ回された。

血液が流れているわけではない、そもそも生物としての細胞構成は何もない。
成分構成上は無機質結晶物質、すなわち分析不能の成分を含む『鉱物』。

ゆえに例えるなら、石に意思があって人に仇をなすようなものだ。



「何か反応の元になるようなものがあればいいのですが・・・。」
「光は?」

「当ててみました。それだけでなく、刺激は様々なものを試しつくしましたが、どれも・・・。」
「かろうじて微弱に反応する周波数があります。」

隣にいた若い女性研究員が、レポートをめくりながら言った。

「どんな周波数?」
「300Hz前後ですから、人の・・・少し低めの声に近いような音になる周波数ですね。」

「低めの・・・声。」


涼子は瞳を閉じた。

――・・・そう・・・確かあの時・・・もしかして。

涼子はゆっくりと瞳を開き、2人の研究員を見つめた。

「その周波数の音をこの中に流して。その上で、私が軽い刺激を与えます。
このケース、少しくらい叩いても大丈夫かしら?」

「それは大丈夫ですが・・・何を?」

「この石が反応していた時の条件を、再現するのよ。」

研究員たちは、不承不承準備をし始めた。
涼子は手と足で、なにやらリズムを取っている。




「薬師寺警視、準備が出来ました。」

つながれた音声コードから、音が流れ始める。
それに合わせて、涼子は一定のリズムでケースを叩き始めた。

コン・コン・コン・コン。

そのたびごとにシャーレが軽く揺れる。

コトン・コトン・コトン・コトン。


「ああああっ!!」

男性研究員が叫んだ。

物体がほのかに光を放っている。
オレンジの薄い色が、物体全体を包むように貼り付いている。

見ているうちにそれが少しずつ黄色に近い色に変わる。

「色が変わっていく・・・。」
「なんだか、喜んでいるみたいですね・・・。」

女性研究員は撮影カメラが作動しているかチェックしながら、知らず知らず微笑む。

涼子はその変化を見ながらも、変わらずケースを叩き続ける。

そのうち物体は緑へと変化した。
そして・・・・。

「・・・青?」
「あっ!う、薄くなっていっていないか!?色。」
「そうですね、あああっ。」

少しずつ色が薄れ始めた。

それはまるで別れを惜しむかのように。

最後に残像のような青白色を残し、物体は再び沈黙し、もう反応することはなかった。

涼子はケースを叩く手を止め、物体をじっと見つめた。

そしてもう二度と反応することはないだろう。そう思った。
それは言葉ではなく、感情同士の対話。

涼子はつぶやいた。

「・・・お別れにもう一度聞きたかった?会いたかった?」

研究員たちはその言葉に顔を見合わせた。






涼子が警視庁へ帰る道は、1週間前、物体を確保した時と同じ道だ。
ハンドルを握ると、その時のことがまた思い出される。

「警視!これ、どうするんですか!!」

「持っていないとしょうがないでしょう。ほら、体に直接近づけない!少し離して!」

助手席の泉田が、幾重にもタオルが巻かれたガラスケースに入れられた物体を、
おっかなびっくり腕を伸ばして保持する。

「暴れだしたりしないんでしょうか?」

「動きにさほどスピードも派手さもなかったし、力もなさそうだったけど、しっかり掴んでいてよね。
動いている?」

「動きはわかりません。ただ、微妙に・・・なんだか怒っているような感触ですが・・・。」

「人から離されて、憤りを感じているんでしょうね。
そもそも心臓もないものを生きているか死んでいるか判定できないけど・・・せめて眠ってくれないかな。」

「眠る?」

「被害を見ていても、感情レベルは幼いと思うから、子供みたいにふて寝してくれるといいんだけど・・・。
ちょっと泉田クン、子守唄でも歌ってみて。」

「子守唄なんて知りませんよ!」
「この間、フランス語の勉強に教えたでしょう!!英語版でもいいから歌ってみなさい。」

「えええっ!」
「早く!」

アクセルを踏み込みながら、涼子がキッと叫ぶ。

これ以上、怒っている物体を車内に増やしてもしょうがない。

泉田はヤケになって歌い始めた。

「♪Frère Jacques, Frère Jacques, Dormez-vous ? Dormez-vous ?♪」

歌いながら、ポン・ポンと右手で軽くケースを叩いてやる。
まるで本当に子供をあやすように。

あの日、警視庁に着くまでの間、泉田はずっと歌い続けた。
・・・そして、ガラスケースの中の怒りの感情が、少しずつおさまり、
甘えるように穏やかになっていったと感じたのは、涼子の気のせいだったのだろうか・・・。





「ただいま。」

「おかえりなさい!」
「お疲れさまです!」

研究所から戻り参事官室に入ると、皆が迎えてくれる。
涼子が手を振ってそれに応え、自身の執務室に入ると、追うようにノックの音がした。

「come in!」
「失礼致します。」

泉田が紙コップに入ったコーヒーを2つ抱えて入ってくる。

「お疲れさまでした、コーヒーはいかがですか?」
「ありがとう、いただくわ。」

涼子はロッカーにコートをかけると、ソファーに腰掛け、泉田からコップを受け取った。
失礼します、と泉田が向いに腰掛ける。

「物体について何かわかりましたか?」
「ん?うん・・・そうね・・・。」

涼子はゆっくりとコップを口にし、ほっとため息をつくとつぶやいた。

「・・・キミの善意は宇宙規模で通用するってことがわかったわ。」

「は?」

「あの子、最後までキミに会いたがっていたわよ。」

きょとんとする泉田を前に、涼子は微笑むとそっと目を閉じた。
物体が最後に残した色の残像が、瞼をよぎる。

――そう、多分あれは少しの寂しさと、感謝の色。


<END>



*え~、文中、泉田クンが歌う子守唄は、
英語版では「♪Are you sleepin', Are you sleepin' Brother John, Brother John♪」と歌われる
有名なフランス民謡です。誰が歌ってもわりとリズムの取りやすい曲ですよね。

泉田クンは地球外生物を手なずけるくらいですから、お涼サマを手なずけるくらいわけないのかもしれませんが、
地球外生物の感情を見事に読み取るお涼サマもお涼サマ。無敵コンビ?

更新が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
またぼちぼち始めて参ります。田中先生の新作を待つくらい気長に(汗)遊びに来て頂ければ嬉しいです。