<Lait>



「本当に困っているんですよ…。」
「そりゃ大変だな。あのつぶれかけたようなコーヒースタンド、偉大だったんだな。」


泉田は朝の光に目を細めながら、キッチンスペースでインスタントコーヒーを飲んでいた。
向かいでは、専用湯呑で丸岡が番茶をすすっている。


「おっはようございま〜す!あれぇ?泉田警部補、珍しいですね。どうしたんですか?」


出勤してきた貝塚が首をかしげる。

「いきつけのコーヒースタンドがつぶれちゃったんだ。あ、来客用のインスタントコーヒー一つもらったよ。」
「それはまあいいですけど…購買部の安物だから美味しくないでしょ?」
「そうだな・・・でも新しく出来たコーヒーショップのも美味くないんだ。」


「え?あの駅の向こう側のビルの1階に入った、オープンスペースのあるお店ですかあ?
あんなにおしゃれだし、いっぱい割引券配っているのに?」


「…完全に煮詰まっているよ、あそこのコーヒーは。焦げ臭い。」
「それは壊滅的だな。」


泉田はこのところ朝のコーヒー難民だ。
ビルの地下にあった行きつけのコーヒースタンドが、撤去されてしまったのだ。


スモーカーを排除しようとするこの町の中で、
今となっては珍しい灰皿付きの、ちょうどよい高さのテーブルが心地よいまさに古き良き時代のコーヒースタンドだった。
そこで少しの間、一日の予定をまとめたり気になる新聞記事を読むひと時が心地よかったのに。


「電車もあと1本遅らせると、妙に混みますしね。」
「時間つぶしするにも、庁内の喫茶や自販機コーナーでの朝の居場所ってのは、微妙に縄張りがあるもんだ。
まさに新しい巣を探さなきゃいけない状態だな。」

「まったく、困ったもんです。」


貝塚が途方にくれた泉田の背中を、元気づけるようにぽんぽんと叩いた。


「たしか捜査課の子が、美味しいインスタントコーヒーの通販があるって言っていましたあ。
詳しく聞いておきますから、毎朝奥の応接で飲んだらどうでしょうか?あそこなら警視も見逃してくれると思いますぅ。」

「ありがとう、頼むよ。代わりに毎朝お湯を沸かしておく。」
「それは嬉しいですぅ♪」


泉田が貝塚に苦笑いを向けた時、インターコムが鳴った。

「泉田クン、出かけるわよ。車をまわしてちょうだい。」





渋滞の中、『朝からにぎやかだったわね』という涼子の問いを受けて、泉田はハンドルを握りながら、
例のコーヒー難民の話をした。


「あまりに不味いので、ミルクを入れればましになるだろうと、カフェオレにしてみたんですが…それも不味くて。」

「まあ不味いものに何を入れても、美味しくはならないわね。
カフェオレでもカフェラテでもいいけど、あたしはとっても濃いミルクを入れて飲むのが好きだな。
真っ白で滑らかなミルクが柔らかく解けていくのって、見ていていも気持ちいいじゃない?」


笑いながら涼子はよく手入れされた手を日にかざした。

泉田の目に飛び込んできた真っ白で滑らかな・・・肌?
おっと、いかん、いかん、まだ日も高いぞ。
あらぬ方向に想像が向き始めた泉田は、さりげに涼子から眼をそらすと少し話題を変えた。


「確かカフェオレがブレンドコーヒーがベースで、カフェラテがエスプレッソベースでしたっけ?」
「そんなおしゃれなこと、よく知っているわね。」

「警視が教えて下さったんですよ。牛乳にも種類があるとおっしゃっていましたね?確かホルスタインの他、何と言ったか…。」
「ジャージー、ガーンジー、ブラウンスイス。」

「なんだか人の名前みたいですね。」
「ほんとね。」


2人は顔を見合わせて笑い合った。


「でも私はブラック派なので、あまりミルクには縁がありません。」
「惜しいわね、脂肪分や糖分は頭の働きを良くするのに。面倒なんでしょ?」
「それは確かに。フレッシュや砂糖を入れるとなると、ゴミが出ますからね。職場だと特に面倒で。」

「省略された粗末なものを飲んでいると、格が落ちてくるわよ。いいものを食べて、いいものを飲みなさい。」
「そうですね。」

「と、いうわけで、目的地につくまでにどこかで優雅にランチがしたいわね。極上のコーヒー付きで。
次の角右に曲がって。いいビストロがあるの。」
「はいはい。」


泉田はやれやれと肩をすくめてカーブを切った。
涼子はしばらくその横顔を見つめていたが、やかて何かを思いついたようにパチリと指を鳴らした。





それから3日後、キッチンスペースには、貝塚が頼んでくれたネット通販のインスタントコーヒー入りの、
「泉田」と書かれた缶(ザナドゥランドのホワイトラ ットが踊っている、元お土産のキャンディがはいっていた大きなもの!)が登場し た。

泉田は毎朝誰よりも早く到着し、お湯を沸かして応接室で街を見下ろしコー ヒーを飲む。
慣れてみると悪くなかった。





「さ、寒っ!」

そして、とある休日出勤の朝、泉田は凍えながら誰もいない執務室に飛び込んだ。
いつものとおりお湯が沸くころにやっと人心地つき、パカッと缶を開けると。

インスタントコーヒーの上に、メッセージカードがついた美しいパッケージが乗っている。


『Veuillez manger beaucoup de lait et sucre(たっぷりのミルクとシュガーをどうぞ)』


リボンをほどいてそっと開くと、そこにはすべすべと真っ白で滑らかなハート型のチョコレート。
入れたてのコーヒーを手に一つ口に含むと、ふわりと甘さが広がる 。


「うまいっ。」


呟きながら目を窓の外に向ければ、ちらちらと雪のかけらが舞い始めたようだ。

昼までで仕事を終えたら、気のきいた差し入れへのお礼の電話を入れてみようか。
雪の中で白いコートの 裾を翻す涼子の笑顔を目に浮かべ、泉田はまた一つチョコレートを頬張った。



…電話をかける前に、今日が何の日か、確認した方がいいですよ、泉田警部補!
Happy Valentine♪



(END)



*お涼サマの今年のバレンタインテーマを勝手にlait(牛乳)にしてしまった…恐れ多いことです、ごめんなさい。
でもお涼サマ、きっとミルクみたいに真っ白のカシミアのコート、お似合いだと思うんですよ。
泉田クンは電話をかけても、嫌味を言われてもしばらくは気付かないような気がします。

単なる休日出勤の差し入れだと思っていそう。

いつもさとみちゃんがお茶を入れている(だろう)キッチンスペースに、泉田専用缶があったらおもしろいだろうな。
それも某東京ネズミーランドのおみやげが入っていた残り缶みたいなのに、『泉田』ってマジックで書いてあるヤツ。
丸岡さんは自分でお茶を入れていそうですね(^^)。
通販のインスタントコーヒーは、もちろん売れ筋のブルッ○○でお願いします。私も宿直の時よくお世話になりました。