<湖面>


袋小路に追い詰められた犯人は、振り向きざま銃をこちらに向けた。
あたしは手近な曲がり角に頭から飛び込んだ。
続いて泉田クンが飛び込んで来る。

1発、2発、3発・・・。銃声が響き渡った。

「まったく相手も自棄になると容赦ないなあ。」

拗ねたあたしの口調に、真剣な泉田クンは小さく頷いただけ。
相手にしている暇はないって、ぴりぴりした緊張感が告げる。

泉田クンは、相手の気配を確認しつつ残り弾を数えているのだ。

ちっ、愛想のない奴。
しょうがない、相手にさっさと撃たせるか。

ちらりと角から顔をのぞかせ、すぐ戻す。
ピッともキュイッともつかない音がして、弾丸が連続してすぐ側を掠め、壁に当たる。
残り2発、1発・・・。

そしてしばしの沈黙。

相手が追い詰められているのは、完全に行き止まりの壁。
ここから出ようと思ったら、あたしたちが隠れているこの角の前を走り抜けるしかない。
だから次の行動を迷っているに違いない。

よし、これ以上考えさせる前に。

あたしはバックから小さな鏡を取り出すと、廊下の向こう側へ投げた。

カシャーン。
キュイーン。

鏡が弾丸で砕かれる。
よっしゃカウント、ゼロ!

泉田クンと目があった。
次の瞬間、2人同時に飛び出す。

あ、こら待て!あたしが先だろう!!





犯人がパトカーで連行されるのを見送って、あたしたちは夕暮れの街へと歩き出した。

「こんな事件ばっかり続くと、穏やかな生活が減ってきてるんだなと思ってしまいますね。」

夜空を見上げた泉田クンの言葉に、あたしは驚いて返答した。

「あら?穏やかな生活なんてもともとどこにもないわよ。」


本気であると思っているの?この世は一寸先は闇よ。
だからおもしろいんじゃない。


でも泉田クンはあたしを見つめると、困ったように額に手をあてて言った。

「いや、しかし平凡で穏やかな暮らしって、一番多いはずですよね?」

「多いかなあ?」

泉田クンはさらに困惑した顔であたしを見る。

「・・・まあ普通そうでしょう?」

あたしは大きなため息をついた。
全くこの人は、年上なのになぜこんなに世間知らずなの?
それとも年上だから、考えが落ち着いて固まっちゃっているのかしら。


「あのね、泉田クン。何の波風もない生活なんてあるわけないでしょ。
どこかでどーんとビックウェイブが来るの。
だから波は楽しむくせをつけておいた方がいいわよ。
とんでもないことが起こった時は、それをとことんまで楽しむの。
そうすると本当にどうしようもなくとんでもないことでも、絶対に乗り切れるようになるから。」


「あなたは・・・そうかもしれませんね。波乱を楽しむことができる強い人だ。」

泉田クンはかなわないという苦笑いを浮かべて、
そして少し冷えてきた風を気にしていたのか、コートを脱いであたしに着せ掛けてくれた。

「着ていてください。
向こうの通りまで出たらタクシーが拾えると思いますから、もう少し歩いてくださいね。」






泉田クンの匂いに包まれる。
コートは背の高いあたしにも少し長くて、少し重い。

その少しの重さが温かい。

あたしは隣を歩く泉田クンの横顔を見上げた。

そう、キミは稀なケースよね。

波乱が起こっても楽しみこそしないつまらない部下だけど、
おろおろするでもなく、流されるでもなく、
それを抱きとめて包み込んでしまう人がいるってこと、キミに出会って初めて知ったわ。

そうやって色々なものを包み込んでしまう澄んだ瞳は、とても深くて強い。

「世に平凡で穏やかな暮らしはなし、か。でも明日は静かな休みになるといいですね、お互い。」

ふいに聞こえてきた声に、あたしは現実に引き戻された。

「そうよ、呼び出しがあったって絶対に出ない。泉田クンも出ちゃだめよ。
もうあたしたちは十分働いたんだから。」

報告はさっき刑事部の同僚に頼んで、電話一本、明日は休みを取ることに決めた。
その場で泉田クンにも取らせることに決めた。

「そうですね。明日は一日陽だまりで本を読んですごしたいな。」

・・・。

泉田クンの柔らかな声。
胸が痛い。

あたしらしくなく、心の中でつぶやいてしまった。
いいなあ。


一緒にいたいなあ。


でもそれはもちろん届かなくて。

明日あたしは何をしよう。

あたしは泉田クンの左腕につかまった。

夕焼けがきれいだな、なんて気持ちを切り替えながら。






ふいに、泉田クンが立ち止まった。
そして顔を前に向けたままで、少し緊張した声が告げた。

「・・・警視。明日朝、銀座へ本を買いに行きます。」

何?

歩みを止めて前を向いたまま、ドキドキしながら次の言葉を待った。
そんなことはおくびにも出さない不思議そうな顔を、うまく装いながら。

「・・・一緒に来ませんか?」

ゆっくりと泉田クンを見上げる。

あたしを見つめて、少し不安げに揺れている瞳に、なぜだか安心感を覚える。
ああ、キミの心にも、波が立っているんだ。

あたしの心なんてもう、大荒れ。
でもそんなことは教えてあげない。

「・・・行ってあげてもいいわよ。」

せいいっぱい強がって、絡めた腕にぎゅっと力を込めた。

泉田クンの緊張した顔が、柔らかな微笑みに変わる。

かなわない。






いつもあたしは、キミの瞳に魅入られてしまう。

それは深い湖をのぞき込むのに似て、少し鼓動が早くなる。

あたしを見て。
その澄んだ湖面に、あたしだけが映るように。

キミのその瞳が、大好きよ。

(END)



*・・・いつも一番の大波を立てるのはあなたです、お涼さま。
でも垣野内先生が描く泉田クンの目は、本当に深くて強くてかっこいいです。
毎度毎度、静かな湖にどっぼーんと大岩を投げ込まれているのが、
不憫ででも凛々しくてついついまた読んでしまいます。泉田クン、がんばって♪