*こっちがマーチ「軽騎兵」。かわいくオルゴールバージョンで。泉田クンが聞いていたのは本格的なブラスの分でしょう。 こっちがワルツ「ウィーン気質」。いつかちゃんとドレスのお涼サマと踊れるといいね、泉田クン。 うまく鳴らない方、ごめんなさい。管理人もど素人なのでお力にはなれません。申し訳ありません。 イメージしつつお楽しみいただければ幸いです。 なおこの楽曲は、いつもお世話になっている下記サイトさまから使わせて頂いております。ありがとうございます。 それでは本編、まいりましょう♪ <行進曲とウィンナーワルツ> 地下鉄の駅を出て歩く。 官庁街へ向かう人波の中に紛れて、ちらりと見上げる、ビルに切り取られた秋深い空。 流れる音楽に励まされて、さあ・・・。 突然耳がひっぱられ、音楽がふっと小さくなる。 「上司の朝の挨拶を無視するとはいい度胸じゃないの。」 右耳から引っこ抜いたイヤホンを、胸に軽くポンと当てて投げ返す完全無欠な桜貝の爪。 「け、警視、おはようございます。」 「遅いわよ、今頃。何回呼んだと思ってんの。ったく。」 「申し訳ありません。しかし警視、今日はお車は・・・。」 その問いには答えず、涼子は泉田の左側へと回った。 そして背広の胸ポケットから携帯音楽プレイヤーを引っ張り出す。 「何を聞いているの?」 「あ、警視!」 痛いっ! 引き抜かれた左耳のイヤホンを優雅な指がすくい上げてゆくのを、泉田は恨めしく見守るしかなかった。 「あ、プレイヤーあたしとお揃いだ。で、何これ?マーチ?」 手のひらのプレイヤーのデジタル表示は、『アルバム:元気が出る行進曲』。 涼子はイヤホンを耳に、泉田にいぶかしげな表情を向けた。 「前任部署の後輩がCDを作ってくれまして・・・朝元気が出るようにと。」 涼子はプレイヤーをカチカチと触りながらつぶやく。 「ふうん、ずいぶん愛されているじゃないの。」 「後輩は男性ですが・・・。」 「聞いてないわよ。」 一通り曲目を見終わると、涼子はプレイヤーを止めてイヤホンを外し、泉田に差し出した。 もう警視庁の入口だ。 「どんな後輩クンか知らないけど、悪くない選曲だわ。あたしにもCDを貸して。 確かに行進曲って『無敵!』って気分になれるわよね。なんだか朝からエネルギーがみなぎってくる感じ。」 まずい。 泉田は颯爽とエレベーターに向う上司の後ろ姿を見つめた。 これ以上無敵になってどうするんだ、あの人は。 チーンというエレベーター到着の音とともに、泉田は早くも今日一回目のため息をついた。 会議、始末書、会議、報告書・・・内勤日の泉田のスケジュールはまさにこの繰り返しだ。 上司は大の会議嫌い。もちろん会議の主催者も、出来ればお涼に出てはほしくなかろう。 その利害の一致?で、代理出席が成り立つわけだが、とにかく会議・打ち合わせの類が多い。 そこに、先週までに解決した事件の物損、家屋侵入の始末書(全て犯人検挙の為やむをえず・・・の筋書き!)。 出席した会議の報告書。 気がつけば、当の上司の顔を見ることもなく、時刻は5時を回っていた。 ――これと、これとは、今日中に決裁をもらわないと、提出が間に合わない。―― 泉田が書類を揃えると、隣で予算を見ていてくれた丸岡が、大きく伸びをした。 「あー終わった、終わった。帰るかね。」 「お疲れ様でした。私は、これに決裁をもらって帰ります。」 「そうか、それじゃあお先にな。」 立ち上がった丸岡が身支度を整えて参事官室の前に立って、声をかけながらドアを開けた。 「警視、お先に・・・ひやっ!」 途端に丸岡が身を引き、ドアから50CMほど下がった。 「はいはい、お疲れさま。そこ閉めてね。」 「警部、お疲れさまですぅ。さ、続き、続き。」 「もう一回右足からですね、じゃあいきましょう。」 丸岡はあわててドアをしめ、額の汗をぬぐっている。 「あの、警部、中は何を・・・。」 「よくわからん・・・もう一回開けて、聞く度胸はあるか?」 泉田はぶんぶんと首を振った。 今のは涼子の声だけじゃない。この参事官室の女性スタッフ、皆の声がしていた。 「あ、ああ。はい、お疲れ様でした。」 丸岡の背中を見送って、応援に行って空いている阿部の席を見つめる。 ――どうするよ、この書類。―― 待つしかないかと思いながら、もう一度書類に目を落とした時、机上のスピーカーが鳴った。 「泉田クン、ちょっと来て!」 なんなんだ、いったい。 逆らえるはずもない泉田は、立ち上がり参事官室のドアを開けた。 「あの警視、これはいったい・・・。」 長い足を組んで机に座っている涼子の周りには、4人の参事官室の女性スタッフたちが、 2人ずつ組みになって立っている。 いわゆる社交ダンスのホールドの姿勢で。 「そこ閉めて、音が外に漏れるといけないから。で、貝塚巡査と組んでみて。」 「はあっ?」 涼子のその言葉に、女性スタッフがみんな泉田を注目する。 泉田は思わず、閉めたドアと退けられたソファーセットの方へ後ずさった。 「ほんとに泉田警部補、踊れるんですか!!」 貝塚巡査が目を輝かせて尋ねる。 「もちろんよ、ねえ?泉田クン。」 うっ。今ここでそれを言わなくても。 過去何度か上司のパーティについて行かざるを得なくなり、そのたびごとダンスは出来ないと断った。 そしてそのたびごと、心臓を抉る嫌味と有形無形の重圧をかけられ、 挙句の果てに先月渡された、銀座のホテルが主催する社交ダンス特訓教室の参加チケット。 「やむなくパーティに出なきゃいけない官僚や良家ご子息ばかりを集めた教室の特訓よ。 高かったんだから、さぞやみっちり教えてもらったんでしょ。さ、成果を見せてもらわなきゃ。 じゃあみんな下がって、はい、ホールド。」 もはや抗議の余地なし。 泉田は、わくわくしながら手を伸ばしている貝塚に、苦笑しながら言った。 「何でこんなことが始まったのかわからないが、お手柔らかにたのむよ。」 身長差30CM?懸命に伸びをする貝塚の体を支えたところで、 机の上にあるスピーカーを取り付けた小さなプレイヤーから、ワルツが流れ始めた。 思ったよりテンポが速い。 だが貝塚をリードしながら、泉田は音楽に乗った。 休日をつぶした7時間コースの特訓の成果は、さすがに体に叩き込まれている。 見学している女性陣からほおっとため息が漏れる。 何度かターンを決めて、泉田は微笑んで動きを止めた。 「よく踊れているよ。ありがとう。」 「あ、ありがとうございました。」 きゃああっという歓声。手を離された当の貝塚も、興奮して跳ね回っている。 「こら、止めていいなんていってないわよ。全く、勝手なんだから。」 ふてくされている涼子の隣に立つと、泉田はネクタイを緩めた。 「もう勘弁してください。それよりなぜ急に参事官室がダンス教室になっているのか教えてください。」 「ああ、それは今からこの子たちがダンス部の見学に行くからよ。 公安だっけ?警備だっけ?の男の子がダンス部の部長で、それがイケメンなんだって。」 「一発で気を引こうと思うとですね、やっぱりちょっと踊れた方がいいでしょう?」 貝塚が笑う。ほかの女性たちもうんうんと頷いている。 泉田はあきらめて笑うしかなかった。 「それだけ踊れれば大丈夫だ。自信を持って行っておいで。」 「本当ですか!?嬉しい!」 再びはしゃいだ声が上がる。 「ほら、遅れるよ。」 「あ、本当だ、ありがとうございました、薬師寺警視。」 「ありがとうございました。」 口々にお礼を言いながら、敬礼をして貝塚巡査たちが出て行くと、泉田は涼子を見た。 涼子は穏やかに微笑んでいる。 「彼女たちに一から教えられたんですか?」 「男性の本格的なダンスと違って、コツがあるのよ。ウィンナーワルツだけならリードがよければ踊れるわ。 あたしだってデビュタントの時はそうだったもん。」 「で、でびゅたんと?」 机を下りた涼子から、また『そうよね、こいつが知っているわけないわね』という顔をされたが、 泉田はふと思い当たった。 「あの・・・ウィーンで開かれる社交界デビューの為の舞踏会のことですか?」 美しい眉がぴくりと上がり、花のような唇がにっこりと笑う。 「よく思い当たったわね。合格。」 白いドレスと小さな王冠。王宮で踊るワルツ。さぞかし、この人には似合ったことだろう。 「お姫さまになった気分だってみんな言ってたけど、あたしはそこまでの感動はなかったなあ。 だってあたしがお姫さまなのは、あたりまえじゃない?それにウインナーワルツはあまり得意じゃなかったの。」 本当に得意ではなかったのかもしれない。 少し拗ねたようにそうつぶやきながらプレイヤーを片付けている涼子が妙に可愛く見えて、泉田は手を差し出した。 涼子が驚いて動きを止め、じっと泉田を見上げている。 「せっかくですから、一曲踊っていただけませんか?」 努めて冷静に言ったつもりだった。でも声は上ずっていたかもしれない。 「・・・もちろんよ。特訓代金を払ったのはあたしなんだからね。」 憎まれ口とともに、机から下りた涼子の体がふわりと泉田の胸の中に入る。 うつむいたその首筋と耳がほんのり赤くなっているのに気づき、泉田は、微笑んだ。 手を伸ばして、音楽を鳴らす。 軽快で、華やかなリズムとともに柔らかく腰を支えて、くるりとワンターン。 しなやかな体は、泉田が力を加えた方向に優雅に曲線を描く。 茶色の髪が、優しい香りをふりまいて揺れる。 もう少し上手ければいいのに。この人を最高にきれいに見せてあげられるように。 ツーターン、スリーターン。 重ねた手が熱くなる。 ・・・だが。 無情にも泉田の理性は瞬時に引き戻された。 プレイヤーの隣で鳴り出した内線コールによって。 腰を支えていた手を離して受話器に伸ばすと、ぴしゃりと涼子に叩かれた。 「ほおっておけばいいじゃない!」 「そういうわけにはいかないでしょう!」 空いた反対の手でプレイヤーを止め、受話器を取る。 「はい、刑事部参事官室です。はい・・・あ、申し訳ありません。すぐ提出いたします。今日中に。はい。それでは。」 電話を切って顔を上げると、そこには恐ろしく不機嫌な美しい上司の顔。 一瞬怯むが、泉田は用件を棒読みで言い切った。 「先週の事件(ヤマ)の始末書、今日までだそうです。出来上がっていますので、決裁をお願いします。」 「イヤ。」 「薬師寺警視。」 「やだ。」 泉田は大きなため息をついて、額に手をあてた。 涼子はまた机に腰をかけて、不機嫌な顔でプレイヤーをいじっている。 どうしたものか。 「・・・私としてはここで時間をつぶしているより、さっさと片付けて警視と食事をしながら、 ウィーンの話を聞かせていただきたいですね。さっきのワルツの曲名も。」 泉田は涼子の顔をのぞき込んだ。 「朝の行進曲のCDをお貸しする代わりに、このウィンナーワルツの入ったCDを貸して頂けませんか? マリアンヌたちが来ているなら、警視のおうちでお食事にしてもいいですよ。」 涼子はまだ唇を尖らせていたが、かすかにつぶやいた。 「ずるい・・・。」 「え?」 聞き取れなかった泉田が首をかしげると、涼子はその額を指でつついた。 「もういい、わかった。すぐ署名するからさっさと持って行ってきてっ!」 「はいはい。」 泉田が署名の終わった書類を持って退室すると、涼子はプレイヤーを片付けて鞄の中に入れ、 そしてそっと手を手で包む。 まだ彼の手が触れたところが熱い。 さとみたちに比べればはるかに上手でも、まだまだ慣れていないぎこちないステップ。 でもこれまでの人生で、あんなに一生懸命に自分を踊らせてくれた人がいただろうか。 ばたばたと廊下から泉田が戻ってくる足音が聞こえる。 永遠に曲が終わらなければいいのにと思ったことは、絶対に言わない。顔にも出さない。 あたしをうまくおだてて署名をさせたなんて思うのは、100年早いと思い知らせてやるわ。 君のペースばかりでは踊らないんだからね。 日常は行進曲。恋はウィンナーワルツ。 二人のステップに幸いあれ。 (END) *参事官室にあのくるくるまわるウィンナーワルツを踊れるスペースはあるか?! あることにしてください。警視庁にダンス部はあるかなあ?あることにしてください。 とにかく私はこの2人を踊らせたかった、許してくださいっ(逃)。