<熱帯夜>



「うう…うう〜ん…。」

泉田はタオルケットをはねのけ、それでも抱き枕にしがみついて必死に目を閉じた。

が・・・・。

「あ、暑いっ!」

がばっ。

耐えかねて、真っ暗な部屋の中、汗びっしょりの顔をぬぐって半身を起こし、枕もとの蓄光時計を見る。

午前3時10分。
確か寝たのは1時すぎ。一晩つけて寝ては体によくないだろうと、エアコンのタイマーは2時間でセットした。

「切れると同時に目が覚めたってことかよ・・・。」

泉田は頭をかきむしって起きだすと、冷蔵庫を開けミネラルウォーターをラッパ飲みした。
汗になるのだろうが、我慢できない。シャワーを浴びようかとも考えたが、それでは完全に目が覚めてしまう。

「やっぱり朝までつけておくか。」

泉田はリモコンを手に取り、もう一度エアコンのスイッチを入れた。

ガガガガ。

少し妙な音がしてから、エアコンはゆっくりと動き出した。

「おいおい、壊れてくれるなよ…。」

このエアコンも使い始めて長い。その上に官舎自体が古いのだ。熱は籠るし何がいつ壊れても仕方ない。

泉田はとにもかくにも動き出したエアコンに向かってパンパンと手を合わせ、電気を消し、もう一度ベッドに転がった。





「うちはいつの頃からか一晩中つけっぱなしだねえ。カミさんも息子もそうしているよ。」
「体に悪いって聞いたんですけどね。」

「でも眠れないと困るだろう?」
「それはそうですね。仕事にもさしつかえますし。」

なんとなく体がだるいという泉田を囲んで、昼時、参事官室の面々は出前のそばを食べながら冷房談義に花を咲かせていた。

「自分は扇風機をつけて寝ていますが。」
「それかえって体によくないらしいですよぉ。」

「え???」
「風が当たるところばかり冷えるじゃないですかぁ。」
「なるほど。」

「私も扇風機派なんですけどぉ、できるだけ自分が動くようにしているんです。気が付いたら寝がえり励行!」

…寝がえり励行…器用だな。
3人の男性は笑顔で力説する貝塚を、微笑んで見守った。





「なるほどねえ、みんな考えているんだ。」

グラスを片手に涼子が笑う。玉の転がるようなとはまさにこんな声だろう。
並んで座るバーのカウンターで泉田は、睡眠不足の心配などまるでなさそうな色づく頬を見つめ、ため息をついた。

「まあ、張り込みで車の中や外で寝ることを考えれば、贅沢な悩みではありますけれどね。」
「ここんところ、そういう事件もないわねえ。刑事の頃が恋しい?」

「恋しいってことはないですが、まあ、職業病でしょうね、ああいう時間があるほうが仕事をした気になります。」
「職業病っていうより、貧乏性ね。」

涼子は肘をついたまま泉田の方へ顔を向けた。

「だけど、そんなに暑いならうちに泊ればいいのに。」
「…警視、部下の弱みにつけこんだ誘惑は止めてください。」

冷静に言葉を返す泉田に、涼子は頬をふくらませた。

「あたしはただ、仕事の効率が落ちると困るから言っただけよ。」
「それは…ありがとうございます。」
「上司なんてむなしい存在よねえ、部下に愛情は理解してもらえず。まあ、せいぜいここの冷気を体にため込んで帰るのね。」

憎まれ口をきいてあかんべえをしてみせる涼子に苦笑しながら、泉田はグラスに口をつけた。

唇に触れる氷の冷たさに、涼子の言うとおり、この店のよく冷えた空調に気がつく。
長袖のワイシャツの袖が冷たくなるほどの冷房。

泉田は椅子の背にかけていた上着を、肩を大きく出したワンピース姿の涼子の肩に着せかけた。

「確かにちょっと空調が効きすぎているようですね、女性の体には良くない。」

すっぽりと泉田の上着に包まれた涼子は、一瞬おどろいて目を見張り、そしていたずらっぽく笑った。

「よく冷えた体を抱けば、きっとぐっすり眠れると思うけど?」
「ですから、部下の弱みにつけこんだ誘惑は止めてくださいと…。」

どちらからともなく笑いだした二人の声に弾かれるように、カウンターのグラスの中で氷がカランと音を立てた。




「うう〜ん…!!」

汗びっしょりになって泉田はがばっと顔を上げた。

「あ、うわっ!」

その瞬間、椅子がぐらりと揺れて、自分がひどく不安定な場所に座っていることに気がつく。

「あれ?ここは…。」

若林の店の中だ。
涼子に2軒目、3軒目とお供をし、そしてここに最後転がり込んだところまでの記憶はあるが、
どうやらカウンターにうつぶせたまま寝てしまったらしい。

泉田はじっとり汗ばむほどの温度になった店の中を見回した。

後ろのソファ席に涼子が、その下の床にドレス姿の若林が転がっている。
同じく酔っぱらって寝てしまったのだろう。

若林は暑いのかすでに無意識にドレスは膝の上までまくりあがり、汗びっしょりの惨状。
涼子は、まだ泉田の上着を肩にはおったままうつぶせに寝ている。

泉田はあわてて涼子に駆け寄ると、そっと上着をはがした。
その拍子に短い髪がふわりと揺れる。

その姿に、泉田は目を見張った。
汗一つかいていないやすらかな寝顔。
暗闇に浮かびあがる白い肌は陶磁器のようで、思わず触れたくなる滑らかな清涼感を漂よわせている。

『よく冷えた体を抱けば、きっとぐっすり眠れると思うけど?』

涼子の言葉がよみがえり、泉田はぶんぶんと首を振って、とにかくその場から離れようと窓に近づき、静かに開けた。

ビルの隙間を縫って、少しひんやりとした風が入ってくる。
もうすぐ夜明けなのだろう。空が少し白んでいる。腕時計を見ると4時を少しまわったところだった。

今日は休日ではない。2人を起こして帰らねば。

泉田は意を決してもう一度部屋の中に戻り、涼子の頬を軽くつついた。

「警視、起きてください。警視。」
「ううん・・・。」

涼子が、寝ぼけて泉田の腕をつかむ。
泉田が床に膝をついて、その手を離してゆり起そうとしたその時。

「…うごごごごごご…うぅん♪」

泉田の足ががっちりと大きな腕につかまれた。
ぎくりとしてふりむくと、若林が寝ぼけてふくらはぎに頬ずりし、さらにそこに頭を乗せる。

さらに涼子が無意識に泉田の手のひらに頬を寄せ、微笑んでまた眠りに落ちる。

泉田はまったく身動きがとれなくなった。
窓からの風が少しはあるとはいえ、蒸し蒸しとした熱気と二人の体温が伝わり、
背中に汗が流れるのがわかる。

泉田はたまらず思い切り叫んだ。

「ああっ、もうっ、暑い〜っ!!!!」


(END)




*本当はあと2週間ほど早くアップするはずのものだったので、ちょっと季節外れになったことをお許しください。
今年は本当に夏が短かったですね。
お涼サマはきっと体温調節をある程度自分で出来ちゃうんだと思います。泉田クンは体温思い切り高そうですよね(笑)。