<地球温暖化>
バンッ。
勢いよく参事官室の扉が開かれる。
・・・出てきたその部屋の主の姿勢からして、蹴り開けられたらしい。
「ああああっ、もうなんなのよ、この不快感は!!」
麗しき絶叫。
泉田はパタパタとファイルで顔を扇いでいたところだった。
阿部は腕まくりをして、額の汗をぬぐいながらPCの入力作業をしており、丸岡は机に顎を乗せ、濡れハンカチを額にあてていた。
「呂芳春(ルイ・ファンチュン)!アイスクリーム!」
「はいっ。ただいまっ!」
すっかり警視のお気に入りになった人気のアイスクリームは、常にダース単位で参事官室に買い置きされている。
「みんなにも配って。このままじゃひからびるわよ。」
「はい。」
貝塚はぐったりとしている室内のメンバーにも、お盆に乗せたアイスを配っていく。
「ああ、ありがたいねえ。警視、いただきます。」
「うん。水分取ろう。こんな冬場に熱射病じゃ笑い話にもならないわ。」
丸岡と乾杯のようにカチンとアイスのカップを合わせた後、涼子はスプーンを口にくわえ、天井のエアコン吹き出し口を見上げた。
「今年も最後の出勤日だってのに。何だって壊れるかなあ。」
今朝出勤したら、参事官室のある建物は、入口から既にもわっと生暖かい空気が噴出していた。
自動温度調整付きのはずの館内暖房が全く制御されず、全階最強風で運転されている。
このビルの管理会社は元警視庁上層部との癒着・不正価格での契約が問題となり、変えたばかりだった。
結果、昼前になる現在、勝手がわからないせいか未だ原因は突き止められず修理の目処も立っていない。
「暑いのとは違うんですよね・・・乾燥しきってるからとにかく気持ち悪い。」
「外の気温も12月にしては高いみたいですからね。」
貝塚のつぶやきに、阿部がよく晴れた窓の外を見ながら応える。
「さっき阿部くんと外に出てきたんだが、コートがいらないくらいに暖かくて、おまけに乾燥していてね。疲れてしまったよ。」
丸岡は心底うんざりしているようで、口調もぐったりしている。
貝塚はアイスを食べ終わると、せっせとふきんを水にぬらしてあちこちに干し始めた。
とても執務室とは思えない状況だが、実際肌がカサカサになりつつあり、贅沢は言っていられない。
「温暖化なんですかね、やっぱり。」
泉田はアイスカップを回収に来た阿部が持つ袋にほおりこむと、首をかしげた。
「小さい頃は東京でもよく雪が降っていたように思うけど。」
「今年は夏の暑さも尋常じゃなかったからなあ。」
涼子は、そう話す泉田と丸岡の間に入り泉田のデスクに腰をかけた。
「確かにこれからどんどん冬は寒くなくなるから、館内の暖房はいらなくなるわね。
あ、そっか。じゃあもう用無しの中央監視室のエアコンコンピューターを破壊すればいいのよ。なんだ、簡単じゃない。」
涼子はぽんと手を叩いて、机から下りようとする。泉田と丸岡はあわてて止めた。
「警視、それはいけません。あのエアコンは冷暖房の制御が一つのコンピューターになっています!」
「冷房が効かなくなったら、夏になったら死んでしまいますよ!」
「ああもう、いい案だと思ったのにっ。」
涼子はふんと鼻をならした。
「温暖化で得をするお仕事ってなんですかねえ?」
貝塚が首をかしげた。
「さしあたってこれだけ乾燥すると、風邪は早くから流行しますよね。医者は儲かるんじゃないですか?」
阿部の言葉になるほどと皆納得する。
「いいわね、医者。どう?呂芳春。香港スターと大金持ちのお医者さんならどっちに嫁ぐ?」
「うわわ、今年最後最大の悩みですけれど・・・お医者さんです。」
「どうして?」
「お金持ちのお医者さんなら、また香港フリークするだけのお金もあるからで〜す。」
「あら、よく考えているわね、偉い偉い。」
涼子に頭をなでられて喜ぶ貝塚。
偉いか?
泉田は苦笑を浮かべて、机に座る涼子を見上げた。
そして気づいたのだが、冬だとは思えぬ薄着だ。
今ほぼ目の前にある足は腿半分・・・いやそれより短いか?の丈のところまでしか布で覆われていない。
上半身は大きく襟ぐりの開いたシャツ。下着とパンスト以外、身にまとっているものはそれだけ。
――この人の場合、多分中身が原子炉並みに熱いからきっと平気なんだな。――
泉田は刺激的な視覚によるものか、乾燥によるものか、無意識に目を2・3回しばたいた。
「衣料品は冬物が売れなくなると困りますよね。スキー場は営業そのものが危うい。」
「氷屋とかアイスは儲かりますよね。あと飲料水。」
「もうちょっと大規模なところで、電力会社はどうかな?」
「冬暖房をつけない分は、夏の冷房ですごい消費をしていますからね。」
「意外と世の中の商売って、裏表でちゃんと採算が取れるようになっているのね。
暑ければ暑いなりに、寒ければ寒いなりに。人間ってたくましいわ。」
めいめい勝手なことを言い合いながら、どうやらお昼の時間待ちになっている。
まあ警視庁内がこれだけ平和なのは、世間もどうやら平和だということで、よいのだが。
「でも温暖化で沈んじゃう島があるんでしょう?そっちは儲けの問題じゃなく深刻ですよね。」
「まあね、海面は確かに上昇しているみたいだし、他にも竜巻や豪雨、旱魃への影響・・・。」
涼子が長いしなやかな指を折る。
阿部がため息をついて胸元で小さく十字を切りながら、きっぱりと言った。
「やっぱり皆が少しずつ努力をして、地球を救わなければなりません。」
「電気の消費量や車を減らすってことですか?」
貝塚が涼子を見上げた。涼子はにっこりと笑って答えた。
「そうね、それも方法。温暖化は温室効果ガス・・・二酸化炭素やメタンが原因だって言われているの。
これらの発生を防げばいいわけよ。でもね、原因には注目しておいた方がいいわよ。犯人は違うところにいるかも。」
「犯人・・・ですか?」
温暖化に犯人?泉田は驚きの表情を浮かべた。
丸岡が首をひねりながら答えた。
「実は温暖化自体は騒ぐほどたいしたことはなく昔からあった現象で、軍事産業に代わる産業を育成するための政府陰謀だとか、
火力発電所を壊して原発の建設を促進する為のデータ操作の結果だと言っている団体もあるらしいですなあ。」
「へえ。」
「そう。得をする奴が犯人ってのは捜査の定石。さすが丸岡さん。」
涼子が拍手を送る。その時、ちょうど昼を知らせるチャイムの音が鳴った。
「さ、お昼お昼。泉田クン、食べに出るわよ。おともなさい。」
「はい。」
涼子がひょいと机から立ち上がる。泉田もそのあとに従った。
「外の方が風が冷たくて気持ちいいってのは、年末としてはどうなのかしらね。」
「まったくです。」
涼子はブラウスの上に、ジャケットをはおってきただけだ。
泉田もコートを持って出てくる気にはならなかった。
「丸岡さんの答えも一つの正解だけど、あたし実は真犯人を知ってるの。」
「地球温暖化のですか?」
「そうよ。知りたい?君にだったら教えてあげるけど?」
涼子が上目遣いに泉田に微笑む。腕が腕に絡められる。
「やっぱり得をする奴ですか?」
「ん〜、ちょっと違う。愉快犯ね。」
「愉快犯?」
経済合理性も怨恨もなく、ただ犯罪を楽しむことが動機の犯罪者。
割り出し捜査が一番難航するタイプの犯人だ。
「参りました。誰ですか?」
泉田が白旗を揚げると、涼子は微笑んで告げた。
「悪魔よ。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・は?」
「だから、あ・く・ま。人間界にわけのわからない現象を発生させて楽しんでいる奴なんて、悪魔しかいないわ。
無力な人間たちが、必死にほれ雪が溶けたとか、海面が上がるとか騒いでいて、またそれを誰のせいだとか、
どこの国が悪いとかってもめているのを見るのは、きっととっても楽しいわよ。その気持ちわかるわ。」
涼子はうっとりと共感のため息をつく。
泉田は改めて悟った。そうだった、お涼は人より悪魔に近いのだ、と。
やれやれといった表情の泉田に、涼子は唇を可憐にとんがらせた。
「なによ、せっかく教えてあげたのにイヤな態度ね。」
女王様のご機嫌斜めの口調に、泉田はあわてて言葉を継いだ。
「いえ、ショックなんですよ。この夏はクールビズにも完全協力したし、徹夜明けのきつい時に警視庁前でやった打ち水運動にも参加したじゃないですか。
小市民なりに大変だと思うから出来るだけのことをしてきたのに、陰謀説とか悪魔とか。むなしいなあと。」
「なんだ、そんなこと?」
涼子はきょとんと目を丸くすると、ころころと鈴が転がるような声で笑って、腕にじゃれついた。
「いいじゃない、君は君の出来ることをすれば。所詮人に出来るレベルは、精一杯考えたことを、
その場その場で信じて、自分の納得のいくように実行に移すことなの。みんな太古の昔からそうやって命をつないできているわけよ。」
「まあそうですが・・・。」
「命をつなぐ、か。あ〜あ、あたしも来年は卵で子供を産んでみようかな。」
「!?!?!?!」
思わず足を止めた泉田の顔を、涼子のどこか悪魔的な光を宿した瞳がのぞき込む。
「手伝ってくれる?」
「た、卵ですか?」
「つっこむところ、そこじゃないでしょ。」
泉田の額をピンとはじくと、涼子はぷいっと腕をほどいて前を歩き出した。
泉田は不意をうたれた不覚とあせりで、思わず涼子の手を掴んだ。
涼子が振り返った。日差しの中に、艶やかな微笑みが浮かぶ。
「なあに?手伝う気になった。」
「いえ、あのですね・・・こんな昼日中にその話題はどうかと・・・。」
「ああら?夜ならいいの?」
たたみ掛ける瞳の強い輝き。
泉田はやれやれと苦笑いを浮かべた。勝てるわけがないんだ、この人に。
「降参です。」
「いじめがいのない男ね。まあいいわ、許してあげる。その代わり、お正月の間会えなくてもあたしのこと忘れないでね。」
「忘れようにも忘れられないと思います。」
ええ、これは色々な意味をこめてきっぱりと。自信のある答えですとも。
泉田の即答に、涼子はごきげんに微笑んでまた腕を絡ませた。
「ね、いい一年だったわよね。たくさん悪者退治も出来たわよね。」
「はい。」
何度も死にかけたし、本当にひどい目にあったが、とりあえず家族に不幸もなく、自分も五体満足でいるというのは幸せなことだ。
「あたしのおかげよね?」
「・・・はい。」
――あなたがいなければもっと平穏だったと言ってしまえばそれまでですが、あなたがいたからこそ、難事件が解決され、
かつ我々が数々の危機から脱出できたことは紛れもない事実です。だからあなたのおかげ、かも。――
そんなことを心でつぶやきながら歩いていたら、ふいに涼子が立ち止まった。
どうかしたのかと歩みを止めれば、真剣な表情で涼子が問いかける。
「来年も一緒にいよう、ね?」
らしくないその少し揺れた口調に、泉田は軽く敬礼しながら笑顔で答えた。
「はい。」
涼子の頬がさっと紅潮する。
それは冬の女神の白い肌に薔薇の雫が加わったような美しさ。
思考停止。
12月の風の中、泉田は涼子を理屈抜きに愛おしいと思ってしまったのだった。
これからも人は、愉快犯の悪魔に振り回されるのだろう。
なにより参事官室には、凶悪な色々なものと戦ってもらわねば。
でも多分、この2人がいれば大丈夫。
来る年がどうか、良い年になりますように。
(END)
*長くなってしまった・・・しかも薀蓄満載で退屈だったらごめんなさい〜。
副題「参事官室の面々環境問題を考える」でした。
地球温暖化については、ウィキペディアを参考にさせていただきました。
皆様どうぞよいお年を。来年もよろしくお願いいたします。