<Overwrite>
昼休み、公園で焼き芋をほおばる貝塚の隣に座り、泉田は空を見上げていた。
高い高い抜けるような秋の空。
「ほぉんといいお天気ですねぇ。」
もごもごと口を動かしながら、貝塚がつぶやく。
泉田は、ベンチにもたれう〜んと背伸びをすると、貝塚を見て笑った。
「食欲の秋、だな。」
「ん〜まあ秋だから、旅行にも行きたいんですけどねぇ。」
貝塚は隣に置いた手提げかばんから、ごそごそとガイドブックを取り出し、泉田に差し出した。
「ほら。京都ってきれいなんでしょうね、秋。」
泉田は『京都の旅』と書かれたガイドブックをパラパラとめくってみた。
あちこちの駅でよく見る『そうだ、京都に行こう』のポスターが、
何種類も一面、あるいは両面広告になっている。
一面の紅葉が敷き詰められた御堂。落ち葉舞散る散策の小道。
秋らしい色彩の写真が、そこここにちりばめられて美しい。
「いいなあ、行きたいなぁ。」
「行ってこいよ、このところ暇だし、週末なら休暇を取らなくても泊ってこれるだろう?」
「う〜ん、一緒に行ってくれる友達がいないんですよねぇ。泉田警部補は行かれたことがありますかぁ?」
泉田は一瞬はたと考えた。
学生時代に一度行ったような気がする、そう言えば元カノとも…いや、あれは奈良だったか。
「…行ったことはある、でもあまり印象に残っていないんだ。」
「ええ〜っ?それはどうしてですかぁ?」
なぜと言われても。
泉田は首を傾げた。
「きれいだった…という記憶はあるんだけど。あちこちまわったせいかな。」
焼き芋を食べ終わった手をハンカチで拭きながら、貝塚はふむふむと頷き、ガイドブックを受け取った。
「誰と行ったかなんて野暮なことは聞きませぬがぁ・・・まあその程度だったってことですねぇ。」
貝塚は折り目をつけたページをいくつかめくりながら、溜息をついた。
「ああ、誰か一緒に行ってくれないかなぁ。・・・泉田警部補はだめですよねぇ?」
なんだとっ!?
泉田はぶんっと音がしそうな勢いで、貝塚の方へ向き直った。
「あのなあ、男と女が一緒に旅行するってことは!…。」
「わかってますぅ。言ってみただけですけどぉ。」
泉田の言葉に、貝塚の拗ねた声が重なる。
「言ってみただけって…よそで言うなよっ!誤解されるぞ。」
泉田の説教めいた言葉にも、貝塚は小さな溜息をつくだけ。
そう、まったく深い意味などないのだ、このお嬢さんは。ただ遊びにいきたいだけ。
そう思うと急に不憫になって、泉田はぽんぽんと貝塚の頭をなでてやった。
「まあ、誰か一緒に行ってくれる人が見つかるさ。参事官室で声をかけてみたらどうだ?」
阿部あたりが反応してくれないだろうか。
いや、部下の婚前旅行の推奨はどうか、といろいろ泉田が考え、油断しているところに。
「いいですよねぇ、泉田警部補はどこに行くにも薬師寺警視とご一緒で。」
反論する気力もなくすほどの無邪気な攻撃、クリーンヒット。
泉田は言葉を失ったが、ガイドブックを閉じる貝塚に向かって、これだけは言っておかねばと懸命に口を開いた。
「こ、こっちは仕事だぞ、それも誤解するな。」
「仕事かぁ・・・。」
貝塚はすっくと立ち上がると、秋の空にこぶしを突き上げた。
「よしっ、あたしも偉くなりますぅ。そんで警視みたいに部下を連れてあちこち行くんだっ。」
「・・・やめとけ。」
はああ。
泉田はひんやりとした空気に、深い深いため息をついたのだった。
「来週、京都だから。」
「は?」
「今年4月の官僚恐喝事件の捜査。日程表そこにあるから、資料出しておいてね。」
指さされた机の上にある日程表…その隣には『京都の旅』と書かれたガイドブック。
貝塚が持っていたものと同じだ。
まさか。
いや、しかし。
「ずいぶん急な話ですね。我々の担当ではなかった件ですが、何か進展があったんですか?」
疑念いっぱいの泉田の声に、涼子は不機嫌そうに顔を上げ、意地の悪い笑みを向けた。
「ははぁん、あたしが遊びに行きたがっているとでも?」
「決してそのようなことは。」
計算どおりに答えた泉田のポーカーフェイスを木っ端微塵に砕くように、涼子はけろりと言い放った。
「まあ未解決半年以上だし、もう急がないけど、どうせなら紅葉の時期にね。
担当じゃなかったものを取ってくるにはそれなりの苦労が必要だったのよ。感謝してほしいわ。」
泉田は唖然と涼子を見詰めたが、瞬時に我に返った。
いやいや、こういう人だ、わかっているはずじゃないか。しかし、ここは一言言わねばならない
「あの・・・警視、お言葉ですが、出張旅費は国民の税金です。」
「そうよ、血税よ。だから有能な人間が有益に使うべきよね。」
違う・・・何かが違う。
だが詭弁だとわかっているのに、引きずり込まれる。
「あたしが行って解決の糸口を掴めば万事落着。
で、泉田クンはその捜査の途上、古都の紅葉が目に入ることすらトガメダテするわけ?」
それを公務にして心苦しくありませんか?と問いかけようとしたが、それは全く無駄なことだと悟る。
泉田は、ぎゅっと唇を結んだ。
貝塚に後で散々色々言われそうだが、さっき精一杯返した言葉で国民・公僕としての義務は果たしたとしよう。
「…お供いたします。」
「よろしい。参事官室に来る前はどこかに紅葉を見に行った?京都は混むけど、ここは穴場みたいよ。」
紅葉・・・。
ガイドブックをめくる涼子を見ながら、泉田はこれまでの秋の記憶を思い起こそうとしていた。
しかし考えれば考えるほど、出てこない。さっき貝塚に聞かれた時もそうだった。
「ここなら捜査途上だし、少しくらい立ち寄ってもいいわよね。」
涼子の言葉が頭の中を流れていく。
泉田はその場所の名前に確かに聞き覚えがあった。しかし、どんな場所だったのか思い出せない。
そして気づく。
紅葉のことだけではない。
この参事官室に来る前の出来事は、どこかみんな遠くのことで、今やはっきりと思い出せなくなっているのだ。
代わりにここにきてからの事件や出来事は、一つ一つが鮮やかに詳細まで記憶に刻まれている。
考え込みながら自分を見つめる泉田に、涼子は不思議そうな瞳を向けた。
「どうしたの?」
その澄んだ強い光を放つ瞳に、泉田は納得する。
そうか。
この人と共にいる時間は、歩いてきた季節を強引に過去に変えぼやけさせてしまう、強烈なOverwrite(上書き)なんだ。
そうわかった途端、妙におかしくなり、泉田はクックッとのどで笑った。
「何よ、気味が悪いわね。」
涼子が唇をとがらせる。
泉田は微笑んで、涼子の手からガイドブックを取り上げた。
「今晩、お借りしてもよろしいですか。勉強してきます。」
「いいけど…。」
涼子はまだすっきりしない顔をしていたが、泉田が興味深げにページをめくる様子に、まあいいか、とパソコンに目を落とした。
人生のステージが急展開して新しい幕を開けた時、
それまでの記憶はすべて曖昧なものになってしまう…喜びも感動も、痛みも悲しみさえも。
だから今年の秋はきっとあざやか。
2人で行こう、色とりどりの木の葉の真ん中へ。
(END)
*そして京都においでませ(笑)。この1週間ほどで混み合ってきましたが、まだ小高い程度の山ならもみじもほぼ緑です。
今月末〜来月頭くらいが見ごろかと。観光地のど真ん中に住んでいる管理人からの紅葉案内でした。
貝塚は怒る(拗ねる?)かもね。そうしたら一緒に連れて行ってあげてください、お涼サマ。管理人的には阿部巡査同行でもOKです。
いっそ皆様でいかが?