<雷鳴>


「イズミダサン、コノリョウリハ、ナントイウノデスカ?」
「これは、ちゃんこ鍋風煮込みうどんって書いてあるんだ。」

「コレハ?コレハ?」
「こっちは焼き鳥丼。・・・思い切り簡単に作れそうだな、これ。」

椅子に腰かけて本を開く泉田の両隣から、マリアンヌとリュシエンヌがのぞきこむ。
本のタイトルは『超簡単!男の手料理』。

ソファの上には涼子が準備した、微妙に大きさの違う、お揃いの4枚のエプロン。


『今度の週末は天気も悪そうだから、おうちで手料理をごちそうしてあげる』


聞きようによれば、これほど恋人からささやかれるのに甘い言葉はあるまいに、
泉田は、梅雨空を激しく呪った。

負けず嫌いの涼子のこと、
いつかはまた必ず懲りもせずトルコ宮廷料理にリベンジをかけるであろうことは、泉田も予測していた。
手をこまねいていたわけではない。返答だけはちゃんと用意してある。

泉田は年上の余裕の笑顔で、涼子に微笑んだ。

「それは嬉しいですね。でもメニューは私に選ばせて下さい。」
「え〜!?どうして?」
「どうせ食べさせて頂けるなら、好きなものがいいです。私も手伝いますから。」

作ってあげるって言っているのに生意気!とか、信じてないでしょ?とか、隣でいろいろな声が続いているが、
泉田は目を閉じ、自動的に鼓膜のシャッターをしめた。

自身の命を守るためだ。何を言われてもこれ以上の譲歩はできない。

幸い、ま横一文字に閉じられた泉田の目と口を見て、涼子はこれ以上は何を言っても無駄だと悟ったのか、
「まあいいわ、譲歩してあげてよっ。」と言いながら、思い切り両の頬をつねるにとどまった。





それから3日間、泉田がまず気づいたことは、「女性向けの料理本は難しい」ということだった。
涼子の部屋にあった、初心者向けの料理本の一番初めは卵焼きだ。ちなみに二番目は肉じゃが。

「焼く」などという、火加減が出来上がりを大きく左右するものが、初心者に出来るはずがない。
この火加減という敵(!)を排除するには、ぐつぐつとたくさんお湯を入れられるものがいいのだ。

そして初心者にとってのもう一つの関門は「皮をむく」だ。じゃがいもは無理であろう。

これを参考に泉田が決めたのは、涼子の動作を、「切る」と「煮る」の二つに限定することだった。
よく考えれば、何やら魔女にふさわしい動作でもある。

そこで泉田は、家にあった男性向けの料理本をぺらぺらとめくり、あらかじめ折り目をつけたページを開く。

「マリアンヌ、リュシエンヌ、これはわかるかな?」
「poisson grille?(焼き魚?)」

「そう、2人にはこれをお願いするよ。こっちはワカメの味噌汁と、冷奴にネギとみょうがを添えて、締めのごはん。」

純庶民、純和風だが、考えれば考えるほど、作るにも食べるにも一番安全な食事だと思える。

「魚は何にしようか…あれ?そういえば二人はいつも買い物ってどうしているんだい?」

「トドケテモライマス。」

マリアンヌがフランス語で書かれた注文用紙らしい紙を泉田に手渡す。

…泉田は、ざっと一読して断念した。語学力の問題もさることながら、豆腐やミョウガはとてもなさそうだ。

だとすれば、買いに行くしかない。

が。

「JACESの系列にスーパーはないよな…。」

涼子を連れて買い物に行くのは避けたい。

涼子ならスーパー一軒や二軒、すぐ買収してしまい、貸切で買い物が出来そうな気もするが、
あいにく今日は日曜、食材は買えても、株は買えない。

ならば涼子が起き出さないうちに、一人で買いに行くのが得策。

「じゃあちょっと食材を買ってくるから、準備しておいて。」

と、泉田が立ち上がって、2人に手を振ったところで。

「おはよう、メニューは決まったの?」

すっかり身支度を整えた、今日の首謀者、登場。

「買物は料理の前の大切なプレイベントでしょ?
少し離れているけれど、いつも車で前を通っているスーパーがあるわよ。」

泉田は、天をあおいだ。
夕食にありつけるまでは、まだまだ障害は山積みだ。





「ね、あれ何?あれ。」

休日の昼下がり。
そこそこ混み合う国道沿いの大型スーパー。
ジャガーで乗り付けた時点で十分に注目の的だったが、大柄な二人はさらに人目を引く。

そして。
涼子の好奇心はとどまるところを知らない。

「それと、これ。どう違うの?」
「こっちが絹ごし、こっちが木綿ですね。」
「じゃあ・・・これと、これとは?大きさが違うのはなぜ?」

いつもは決まったパッケージを疑問なく買っている泉田にとっては、答えようのない質問だ。

「すみません、知識不足です。」
「しょうがないわね。」

ふくれながら、まだ涼子は物珍しげに、豆腐売り場を見回している。
考えてみれば、そもそもパックに入った豆腐を見るのが初めてなのかもしれない。

カートを押す泉田は、左腕につかまっている涼子を少々強引にエスコートして、売り場から引き離した。
その間にも、当然涼子の容姿は休日のお父さんの目を引き、それがさらに連れのお母さんの反感を買う。

しかし、ここでくじけていては部下は務まらない、とにかく食材の確保という職務(?)を遂行せねば。

「警視、何か好きな魚はありますか?」
「んん…ヒラメ?」

――焼きにくそうだ、却下。泉田、瞬時の判断。

「もう少し、堅い魚で。」
「え〜?じゃあタイ。」

「いいですね、鯛。ちょっとシーズン落ちですが、まだ大丈夫。
これはおいしそうですね、塩焼きにしましょう。」

泉田が手に取った切り身2個入りのパックを、涼子は眼をぱちくりさせながら見つめた。

「え?それで食べるところあるの?一匹買うんじゃないの?」


・・・視線が痛い。もう本当に痛い。
さっきまではちらりちらりとみられている程度だったが、もはやひそひそ遠巻きに噂されている状態だ。

間違いなく、今、この場の主役は薬師寺涼子。
涼子は存在自体が騒動なのだと、泉田はしみじみ思う。


「いいんですよ、これで。さ、行きましょう。」
「そうなの?ふうん。」

泉田はとにかくその場を離れることに、全力を注いだのだった。







「日本って裕福な国なのね。」
「なぜですか?」
「こんなにたくさんのビニール袋やテープが並んでいて。」

そうつぶやきながら、涼子はせっせとレジ袋に買い物を詰め込んでいく。
せめて重いものは下へ入れてほしい、柔らかいものは上へ、とはらはらしながらそれを見ていた泉田は、
ふと涼子の爪に眼を止めた。

非の打ちどころのない完璧な色形であることに変わりはないが、
普段に比べればかなり短い。そして何より、何のネイルもつけていない。

それはおそらく、今日の料理の為の涼子なりの準備。

楽しみにしていたんだろうな、初めてなんだから仕方ないな…。
困らされてばかりだが、そう思うと泉田は、朝からの苦労も少し報われた気がした。

外に出ると、どんよりと重い灰色の空。

「車まで走ろうよ。」
「はいっ。」

荷物を抱えた泉田が、涼子の後を走る。
ぽつりぽつりと、大粒の雨が2人の背中を追ってきた。






ピカッ、ゴロゴロゴロドーン。

近い。かなり近くで雷は荒れ狂っている。

「イズミダサン、コゲテイマス。」
「あああ、もうちょっと弱火、弱火は…えっと、ちょっとどいて。
警視、ワカメはそのまま水につけておいてくださいよ。」

お揃いのエプロンがキッチンにあふれている中を、泉田が右往左往する。

日頃やらない人がやると「雨でも降るんじゃないか」とよくいうが・・・そりゃこの人なら嵐だろう。
いや、そんなことはどうでもいい。
超がつく簡単な料理ばかりなのに、この大混乱はどういうことなのか。

沸騰しかかった味噌汁をいったん止めて、
使ったことのない炊飯器を珍しそうに眺めているリュシエンヌに、絶対に蓋を明けないように言って。

泉田はバケツをひっくりかえしたような雨が降っている窓の外を見て、溜息をついた。

「ねえ、泉田クン、この豆腐はどうするの?」
「ああ、パックを開けて切ってください。手の上で切れますからね。」

何気に答えて、またネギを刻み始めて、ふと涼子を見る。


そこには豆腐を左手に乗せて、大きく包丁を振りかぶっているおどろおどろしい姿。


「待てっ!待って!動かないで下さい!」

泉田は自分が持っていた包丁を置くと、素早く涼子の後に回り、
左手を左手に添えて、包丁を持った右手をしっかりと右手で押さえた。

「警視、力を抜いて下さい!」
「包丁が落っこっちゃうわよ。」
「私が支えていますから。いいですか、そっと豆腐に下ろしますよ。」

涼子の手を包み込んで、静かに豆腐に下ろし、半分に切る。

「け、警視!引かないで!引いたら手が切れますよ!」
「あ、そうか。」

再びしっかりと右手を握り、豆腐からそっと引き抜く。

「へえ、切れた、切れた。」

嬉しそうに左手を目の高さにあげながら、涼子は胸にもたれかかったまま泉田に微笑みかけた。
泉田は色んな食材の進行を視線で追いながら、苦笑いを返したのだった。





ピカッ。
戦場と化したキッチンに雷鳴が差し込む。

ガガガドーン。


空腹に 雷響く 夏野哉 (一茶)


(END)



*多分この2人のウェディングケーキ入刀、こんな感じなんだろうな、と書いていて思いました。
食べられましたかねえ、夕食(笑)。

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