<さくらさくら>
昼休み、近くの公園まで足を伸ばした涼子は、一本の木の下で足を止め微笑んだ。
「よしよし、咲いてる。」
そこには小さな薄桃色の桜が一輪、日差しを受けほころんでいた。
その頃、東京都心から北へ約400Km離れた山の中の県道。
逃げる車と、それを追いへアピンカーブを抜けていくパトカーが一台。
「ちっ!止まれっ!」
泉田は躊躇なくアクセルを踏み込む。
体の揺れを押さえ、前の車をしっかり見据える。
「・・・事故ってくれるなよ、早く観念してくれ。」
そうつぶやくと泉田は、さらに深いヘアピンに突っ込んだ。
スローイン、ファストアウト。
道が凍結していないことをひたすらに祈りながら、果敢にコーナーを攻め、山道を走りぬける。
前を走る犯人も相当の運転の腕前だ。
東京から応援に駆り出され、3日がかりで追いかけ、やっと追い詰めた殺人犯。
「今日は何がなんでも東京に帰らなきゃならないんだよっ!」
ヤケ気味に怒鳴り、長い下り坂に突っ込んだ泉田の目に、
検問という大きな文字と点々と並ぶ赤いライトが飛び込んできた。
地元警察の応援だ。
「よしっ、勝った!」
検問を強行突破しようとした犯人の車を、地元県警のパトカーの群れが囲んで走り出す。
車は左右の車に2,3度体当たりをし、停まった。
わっと警官たちがドアにかけより、被疑者の身柄を確保する。
泉田はその騒ぎの少し手前で車を停めた。
県警の責任者である刑事が満面の笑みで近づいてくる。
「捜査にご協力ありがとう、泉田警部補。あとは我々に任せてください。」
泉田は軽く敬礼を返すと、握手に差し出されたその刑事の手をぐっと握った。
その様子はどこか鬼気迫るもので、思わず県警刑事が一歩下がる。
「頼みがあります!」
「な、なんでしょうか?」
その交渉が終わらないうちに、ちらちらと白いものが空から落ちてきた。
雪だ。
さすがにここまで北に来ると、まだ季節が変わるには時間がかかるらしい。
泉田は相手に要件を呑ませると、急ぎ足でパトカーに向かいながら、空を見上げた。
――間に合わせなければ!!――
「う〜・・・もうそろそろ戻っていいですかあ?」
「まだだめよ、閣僚全員が退去されるまで交通整理。」
「でもお、もうすぐ4時ですう。応援は4時で終わっていいって言われましたあ。」
ぐずぐず言う貝塚を、先輩婦警が睨みつける。
「日ごろデスクワークでたるんでるんじゃないの!?ぴしっとしなさい、ぴしっと。」
「はぁい。ううう・・・。」
貝塚は、政府関連の建物前の交通整理の応援に駆り出されていた。
国会会期延長、与野党攻防の折柄、連日要所要所に、大勢の警察官が配備されている。
貝塚とて、普段なら生き生きと誰よりも元気に走り回って職務を全うしているところなのだが。
「今日は特別なんですう・・・。」
貝塚のつぶやきは、出てきた総理の車を誘導するパトカーのクラクションにかき消され、
誰も聞いてくれてはいなかった。
丸岡と阿部は、参事官執務室で仕事に没頭していた。
ふと阿部が顔を上げた。
時計の針は午後5時前。
「間に合うでしょうか、泉田警部補。」
「電話があったのが、2時過ぎだからぎりぎりだねえ。それより貝塚クンもまだ戻っていないが。」
「応援が長引いているんでしょうか。心配であります。」
阿部は不安そうに眉をしかめる。
丸岡はも心配そうに、壁のカレンダーを見た。
今日の日付が桜の花形で囲んである。
「そろそろ女王様が帰ってくるな。おい、出る準備をしておけよ。」
「はいっ。」
丸岡は立ち上がり、ゴミ箱のゴミをシュレッダーへと運び始めた。
涼子はちらりと時計を見ると、カタンと椅子を引いて静かに立ち上がった。
資料を説明していた刑事部長が話すのを止め、驚いて涼子を見つめる。
「続けてくださいませ、部長。私、所用あって中座させていただきます。」
中座?警視総監まで臨席の会議を中座?
沈黙が支配する会議室に、びりびりと緊張感が走る。
その時、小さなノックとともに婦警がメモを持って入ってきた。そのメモが刑事部長に回される。
「なんだね?」
隣の公安部長が険しい目で刑事部長と、涼子を交互に見る。
刑事部長はため息をつき、姿勢を改めて総監にメモの内容を報告した。
「都内港区発生の殺人事件被疑者、本日午後岩手県内で逮捕、自供を得たそうです。」
「まあ、確かウチの泉田が応援に行っておりましたが?」
涼子の驚いた口調がわざとらしい。
そんなことは先刻承知の茶番であることが、悪意とともに透けて見えている。
「・・・その泉田警部補のお手柄だそうだ。」
苦々しくとはまさにこのこと。刑事部長は絞り出すように答えた。
「まあ、そうでしたのホホホホホ。やっと指導の甲斐が出てまいりましたわ。
今後も職務に励むよう申し伝えます。では私はこれで。ごめんあそばせ。」
刑事部長は表面は傲然としながらも、いたたまれなく冷や汗をかいている。
が、誰も止め立てできない。それがドラよけお涼なのだ。
涼子はヒールの足音も高く扉に向かい、優雅に敬礼すると、一礼し廊下に出た。
そして晴れやかな笑顔で思い切り伸びをすると、廊下を駆け出した。
泉田の乗った新幹線は、やっと東京都内に入ってきた。
徹夜続きで朦朧とする頭をゆすり、降りる支度を始める。
思いもかけない応援要請でひっぱりだされた貸しは、
パトカーに全速力で最寄の新幹線駅まで送ってもらうことで返してもらった。
とにかく遅れるわけにはいかない。
今日は東京都、桜の開花予想日。
そしてドラよけお涼主催の、参事官室の花見の日なのだ。
普通はきっと、もっと満開に近くなってからやるものだろう。
しかし『やるならどこよりも早く、絶対開花の日』という女王様の主張には、もちろん誰も反論できない。
その上、間の悪いこの応援要請。
昨夜、事件が解決しそうになく、最悪の場合東京にまだ戻れない旨を涼子に電話した際、
『キミには執念と根性が足りないのよ。それともあたしがキライなの?』
と、全く合理性のない指導と質問を受け、泉田は半ば自棄になった。
そして今朝から鬼気迫る勢いで虱潰しに捜査の手を締め、とうとう昼前に犯人が動いたのだ。
・・・それもお涼の指導の賜物と言われれば、もう本当に泣くしかないのだが。
ともあれ、走ればなんとか間に合いそうだ。
泉田はタイを緩め、コートを手に、扉が開く瞬間に備え、席を立った。
「すみませええん!ただ今戻りました!」
5時半過ぎ、貝塚が参事官室に駆け込んできた。
阿部と丸岡は、まさに出発しようとしていたところで、勢いよくゴミ箱に躓いた貝塚を、阿部が軽く片手で支える。
「お疲れさん。警視も戻られたから、一足先に準備に出ようと思っていたところだ。警視の案内を頼むぞ。」
丸岡が貝塚の頭をぽんと叩きドアに向う。
貝塚は敬礼でそれに応えた。
「任せてくださいっ!」
午後6時28分。
泉田は最寄駅に着き、ひたすら走っていた。
一つ目の交差点を右、次の信号をまた右。
新幹線の中で暗記した道順をたどる。
完全に住宅街の中に入り込み、そしてその左手先には・・・。
「あ、あった!」
かすかにライトアップされ、夜空にそびえる十字架!
「開宴時間ちょうど!」
「泉田警部補ぉ〜お疲れ様です!!」
教会の門をくぐり、建物の裏手に回りこむと、そこはぽつりぽつりと咲いた桜・桜・桜。
その下にビニールシートが敷かれ、皆が座っている。
街灯の明かりに加えて、手作り設置の巨大懐中電灯の照明が2箇所。
そして携帯型コンロには鍋がおかれ、徳利がぐつぐつとお湯に中で揺れている。
阿部がビール缶を開けて、泉田に渡す。
泉田が、それを受け取ってとにかく座る。
「それでは東京の桜開花、参事官室の花見を祝って、乾杯っ!」
「乾杯〜っ!!」
丸岡の先導、皆の唱和とともに缶ビールがカチンと合わさり、後はあおるだけ。
貝塚が早速に、おつまみの袋を開いていく。
泉田はやっと治まった息で、ビールを勢いよく飲み干した。
「うまいっ!」
「お疲れさんだったねえ。お手柄だって?」
丸岡が執務室から持ってきたのか、いつも使っている湯のみを泉田に渡し、
徳利を差し出した。
「あ、いただきます。いや、運がよかっただけです。間に合ってよかった。」
「お疲れさまでしたぁ。桜もここはちょっと早くから咲いてたみたいですねぇ。」
貝塚が泉田にポテトチップスを勧めながら、枝を見上げた。
「よく貸してもらえたな、こんな場所。」
泉田が阿部をに笑いかけた。
阿部が熱燗の入った湯のみを律儀に両手で持ちながら、応える。
「はっ。花も誰かに見てもらった方が嬉しいであろうとの、牧師様のご厚意であります。
ご近所の方もこの季節日替わりで場所を借りに来られるとのことですが、我々がこの春一番乗りであります。」
「貸切が嬉しいわよね、ありがと、マリちゃん。」
「はっ。喜んで頂けて嬉しいでありますっ。」
涼子は、長い脚を横に流して桜を見上げている。
まだ一枝につき数輪しか開いていないが、確かに春の息吹だ。
泉田は徳利を取り上げて、隣に座る涼子に差し出した。
涼子もいつも使っている高級茶器を1個持参していて、それで酒を受ける。
「遅くなりまして申し訳ありませんでした。」
「お疲れさま。ね、人間努力と根性、それにこの人の側に帰りたいってエネルギーよね?」
「・・・ご指導どうりです、ありがとうございました。」
泉田は苦笑いとともに深々と頭を下げた。
それ以外に何が出来る?
ほころび始めた花の下で、涼子が鮮やかに笑った。
戻ってこられてよかったね、泉田クン。
この春も、花の下、お涼サマはじめ参事官室のメンバーが皆元気で、幸せでありますように。
――初桜 折りしも今日は佳き日なり (芭蕉)――
(END)
*泉田クンの幸せは、お涼サマのそばにいることということで。
ええ、本人がどう思っていようともそういうことでお願いしますとも(笑)。
アニメ化も進んでいるようで、楽しみですね。