<セカンドロマンス>


「ぜひ、彼に勧めてやって頂けませんか。」

参事官室。
ロココ調の部屋の中で、涼子はいつになく神妙に、受話器から流れる声に耳を傾けていた。

「きっと彼は、良い警察官になる男だと思います。」
「そうですわね。」

電話の相手に答えるその口調に、いつもの毒はない。

「もう自分の手を離れた部下のことで、警視のお手をわずらわせるのは、
大変申し訳ないのですが。」
「いえ。」

「では、どうかよろしくお願いします。」
「はい。かしこまりました。では。」

「ありがとうございました。警視もお体に気をつけて。失礼します。」

涼子は静かに電話を置くと、大きなため息をついた。

電話の相手は迫田(さこた)警視。
階級は自分と同じだが、年は二周り以上も上だ。

苦労人で人格者、慕う人は多い。
仕事ぶりも見事で、名刑事と言われた人。

そして泉田警部補の元上司。

――善人って困るわよね・・・弱みの握りようがない。――

実直で温かな声。元部下を、そして涼子を労る、偽りのない思い。

涼子は、迫田警視から送られてきた紙をもう一度眺めた。
それは履歴書の一種・・・と言えなくもない、いわゆる見合い用『釣書』の写し。

迫田警視は、泉田にこの見合いを勧めてくれるよう、涼子に電話をかけてきたのだった。




美人とも言えなくないし、かわいいとも言えなくない普通の女性が笑っている写真。
年は27歳。

――あれ?同い年だ。――

某女子大文学部を出て一部上場企業にお勤めの彼女は、迫田警部の同僚のお嬢さんらしい。
父親が警察官なら、夫の仕事にも理解がもてる。

非の打ち所のない良縁とは、こういうことを言うのだろう。
善人パワーによって引き出された、日ごろは心の奥底に眠っている残り少ない涼子の良識がそう告げる。

『いいご縁じゃないか。』
『安定した家庭を持ってこそ、男は一人前だよ。一層仕事に打ち込めるってもんだ。』
『それとも何かね?誰か他に意中の人でもいるのかね?』

世間一般の上司が言うように、自分も言うべきだとわかっている。

しかし。

この憂鬱な気分の正体をわかりたくなくて、涼子は苛立たしげに万年筆を机にコンコンと打ちつけた。

――仕方ない。約束したんだから言わなきゃ。――

涼子はインターコムの呼び出しボタンに手を伸ばした。

「泉田クン、ちょっと来て。」




「失礼します。泉田、参りました。」
「入りなさい。」

入ってドアを閉めるなり、
泉田は上司のデスクに広げられた釣書のコピーに目を止めた。

「今、迫田警視から電話があったわ。」
「そうですか。」

低い声。落ち着いた表情は心なしか少し曇っている。

「こんな話が来ていたことを上司に黙っていたワケ?」
「いえ、あの。ご遠慮させて頂いた話ですので、報告の必要もないと思っておりました。」

「ご遠慮させて頂いた、とは?」
「婉曲にお断りした、ということです。」

「なぜ?」
「自分にはもったいないご縁だと思いましたので。」

真意の見えにくい回答に、涼子の頭の中で何かがぷちんと切れた。
人がせっかく上司らしくしてやろうと思ったのに。

「偽善者ぶるのもいい加減にしなさい。何が気に入らなかったの?」
「は?」

「この女の何が気に入らないの?顔?それとも学歴?趣味?」
「いえ、ですから・・・。」

「ですから?そんな理由だから、迫田警視もあきらめきれず連絡してこられたのよ。
先方に伝える真実はオブラートにくるんであげるから、上司と元上司にははっきりと理由を言いなさい!」



泉田は表情をこわばらせ、うつむいた。
涼子はともかく、迫田警視には育ててもらった大恩がある。その名を出されると弱い。

泉田は小さなため息をつくと、意を決して顔を上げた。

「・・・申し訳ありません。前の彼女のことを・・・いえ、正確には
彼女とつきあっていた時のことをまだふっきれていません。ですから結婚はまだ早いと思います。」

「はあっ!?」

涼子がくわっと目を開いて泉田の顔を見ている。
何か変なことを言っただろうか?

「あんたまだ前の彼女に未練があるの!?」

「いえ、だから、そうではなく。」

頭からぼりぼりとかじりつきそうな勢いで迫ってくる涼子に、じりじりと下がりながら泉田は必死で答えた。

「彼女、ではなく、彼女とつきあっていた時のことを、と言っているでしょう。」

涼子の美しい眉がきゅっと寄って、不審げな表情を作る。
泉田はあわてて言葉をつないだ。

「これでも本気で好きだったんですよ、将来も描いていたつもりでした。
でも・・・うまくいかなかった。」

泉田は苦笑いを浮かべた。

「次の相手ともそうならない保障はどこにもないでしょう?もしそうなってしまったら、また同じだけの痛手です。
二度目はさすがにもう勘弁願いたい。ですから、もう少し考えたいと思います。
こんな迷っている自分では、相手に失礼だというのが真意です。ご理解いただけましたでしょうか。」



こほん。

泉田の表情に、涼子は一つ咳払いをして気持ちを落ち着けた。

なるほど。
そういうことなら、ここで胸倉をつかんでとりあえず見合いを「うん」と言わせるのも、
じゃあこんなめんどうなもの破いてしまえと、この釣書をびりびりにしてしまうのも簡単だ。

しかし、迫田警視に頼まれた以上、穏やかにもう一押しする必要があるだろう。
涼子は、とりあえずさっき頭の中をめぐっていた上司らしい台詞を口に出してみることにした。

「何を言っているんだ、いいご縁じゃないか。」
「は?」

いきなり棒読みになった涼子の言葉に、泉田が怪訝な顔をする。

「色々あるだろうけど、安定した家庭を持ってこそ、男は一人前だよ。
一層仕事に打ち込めるってもんだ。」
「あの・・・警視?」

泉田にも、涼子が必死で迫田警視の善意に応えようとしているのがわかったのだろう。
さっきまでの暗い顔が、温かい微笑みに変わっている。

涼子は大真面目に最後の台詞を棒読みした。

「それとも何かね?ほかに誰か他に意中の人でもいるのかね?」

泉田はふいをつかれたように目を丸くして、そして笑いながら大きく頷いた。

「はい。我ながら懲りないと思っているのですが。」



「ええっ!?」

次は涼子が目を丸くする番だった。
今何て言った?意中の人がいるって?!

こほん。
涼子はもう一度咳払いをして気持ちを落ち着かせた。

「誰かね、それは。」

また棒読み。泉田はとうとう吹き出し、笑いながら答えた。

「それはまだ申し上げられません。」
「なんでっ!?」

涼子がつかつかと泉田の前に来て、ネクタイをぐいっと掴んだ。
泉田は両手を挙げ、穏やかに微笑み返した。

「・・・口に出して壊れてしまうのは怖い。二度目ですからね、臆病にならせてください。」

涼子はきっと泉田をにらみつけると、ネクタイを離し、また手にとってきゅっきゅっと直す
・・・というより、ぎゅうぎゅう締め上げる。

「バッカじゃないの!?口に出しただけで壊れるようなものなら壊しちゃいなさいよ!
踏み潰したって、ちゃんと残るべきものは残るのよっ!」

「け、警視っ!苦しいです!」

涼子はどんっと泉田を突き放すと、くるりと背を向けた。

「あーもうっ!休憩よ、休憩。せっかく上司顔してがんばったのに、理解のない部下だことっ!」
「私事でご心配をおかけして、本当に申し訳ありません。」

泉田は深く頭を下げた。
こうして上司たちが自分の心配をしてくれる、それは本当にありがたい。

涼子は机の脇のバックを肩にかけると、泉田の腕を掴み、ドアを開けた。

「コーヒーを飲みに行くわよ。お供なさい。」
「はい。あの・・・警視。」

「何っ!?」

勢いよく振り返った涼子の目に、いたずらっぽく微笑を浮かべた泉田が映った。

「・・・そのうち必ずご報告します。」
「何を?」

「今の意中の相手を。」

涼子はまじまじと泉田を見つめた。泉田も目を逸らさずに、じっと涼子を見つめている。

「ぜひ、ご協力下さい。」

ダメ押し。
その目は何か言いたげで・・・いやいや、期待してはいけない。涼子は自分に言い聞かせた。
こういう妙に年上の余裕を前面に出した泉田は、なぜかいつも涼子をそわそわさせる。

「・・・わかったわよ。でも言うなら早く言いなさいよね!もう少しでクリスマスなんだから。
何とかしなきゃ、泉田くんは今年も一人ぼっちよ。」

「仕事がありますから平気ですよ。あせらせないで下さい。」
「自分勝手ね。」

少しむくれながらそう言う涼子をエスコートして、泉田はドアを支えた。

二度目の恋は臆病に。そして慎重に。
少しずつ距離を縮めながら。

泉田は左腕につかまった涼子の横顔に、愛しげに微笑みかけた。

(END)




*こんな上司がいたらいいのにな、捏造の迫田警視。お涼さまに勝てるのは根っからの善人だけのような気がします。
泉田クンもそうだもんな。