<新月夜>
都心の隠れ家的迎賓館。
今宵この場所自慢のイングリッシュガーデンは、かぼちゃの中に入った幾百ものキャンドルでほのかにライトアップされ、
薄闇の中、あちこちに置かれたパーティテーブルを囲んで、人々がざわめいている。
・・・見かけ不思議な人々だが。
「お涼サマ〜、素敵です!もう最高です!」
妖精ゴブリンの衣装をつけた岸本は、カメラを手にまさにおおはしゃぎを続けていた。
そのレンズの先には、涼子。
今日のいでたちは、レオタード戦士ルンに出てくる女神ヘラの衣装らしい。
漆黒のロングドレス、首には禍々しい大粒の黒真珠に鈍く輝く大きな静脈血色の石のトップがついたネックレス。
肩から腰までを覆う漆黒の薄いマントは、胸の少し下で同色のリボンで止められている。
麗しいおみ足が隠れているのが本人はご不満かもしれないが、深く深く入ったスリットで周囲への視覚効果は十分であろう。
そして目を引くのは、新月を型どり銀色に輝く大鎌である。
岸本のみならず、色々な衣装やボディペインティングの人々が、さきほどから涼子に群がっている。
その涼子の隣で、泉田は大きなため息をついた。
その拍子に歯に差し込まれた牙が落ちそうになって、あわてて押さえる。
急な動作に、今度は獣耳がずれそうになり、反対の手でそっちを押さえる。
そのたびごと、長いしっぽがぴょこぴょこ揺れる。
ノータイであること以外服装は全く普通のタキシードなのだが、
小物類の効果で十分に狼男としてのイメージを醸し出され、
この場にすっかりなじんでいる自分の姿に、泉田はもう一度大きなため息をつく。
ハロウィンパーティは、まさに宴たけなわだ。
「のどが渇いたわ。」
ちらりと投げられた女神の視線に、泉田はすぐさま一礼すると、飲み物を探しにパーティーテーブルの方へと歩いた。
キャンドルの光が、薄赤く闇に揺れる。
なんとかテーブルを見つけてワイングラスを持つと、泉田は比較的明るい一角を通って帰ることにした。
そこは小さな噴水のある小道で、噴水の縁にずらりとキャンドルが並べられている為、
水の反射と相まって、いくぶん足元が照らされている。
そこを通り過ぎようとした時、
「あの・・・オオカミ男さん、写真いいですか?」
「え?あたしも、あたしも。」
妖精や魔女の格好をした若い女性たちが泉田の周りに群がってきた。
「え?」
「お願いします。笑って。」
強引に腕を組まれ、揺れたワイングラスを必死で支えながら、向けられた携帯に向かってぎこちない微笑みを向けた。
次から次へと不思議なコスチュームの女性に囲まれ、泉田がさすがに早く帰らねばと思い始めた時。
「うわっ!」
突然腰に何かが引っかけられ、そのまま引っ張られる。
それは大鎌の刃。
「きゃあ!」
「何これ!?」
周囲の女の子たちが引いた瞬間、突き出された大鎌が泉田を暗がりへ引きずり込む。
泉田はなされるまま、ほとんどこぼれてしまったワインのグラスを植えこみに置くと、ずるずると引きずられた。
引きずられた先には、大鎌を力いっぱい引くなんとも迫力ある美しい女神、ヘラ。
「・・・遅くなりまして申し訳ありません・・・意外と頑丈なんですね、この鎌。」
「キミの尻尾は、いつもキミが言うところの忠誠心の対象、納税者に振るためにあるの?
それとも女の子専用なのかしら?人気急上昇のその衣装は誰のお見立てだと思っているの?」
「・・・今日の衣装のスポンサーはあなたです、警視。」
「その割にスポンサーには振らないのね、その尻尾。」
―来たくてこんなところに来たのではないし、こんな格好をしたくてしているわけではない。
そう言いたかったが・・・ここはとりあえず謝っておこう。
いつものとおりそう泉田が思った時に、小さなチャイムとともに、アナウンスが流れてきた。
流暢な英語だ。
「・・・室内でのパーティ準備が出来たので、ご参加の方は正装にてお集り下さい・・・?」
予想もしていない内容の、しかも異国語のアナウンスに戸惑う泉田とは対照的に、
涼子はやれやれと肩をすくめて、そして泉田の腕を取ってひっぱった。
「これで義理は果たしたわ、行きましょう!」
「あ、待ってくださいよ、お涼サマ!」
飛んできて涼子と泉田の周りをくるくると回っている岸本は、ゴブリンというよりは白雪姫の七人の小人だ。
「チケット用意したの、僕じゃないですか〜!もう少しいて下さいよ〜!」
「あっちが始まったら行っていいって約束でしょ?ほら、かわいい妖精がこっちを見てるわよ。」
泉田を追いかけてきた妖精たちが、岸本の後にずらりと並んでいる。
「うわあ」
岸本がそっちに目を奪われた瞬間に、涼子は泉田の手を引いて走り始めた。
「何なんですか、いったい!?」
「ここまではお子様向けのハロウィンパーティ、ここからは大人の時間なの!」
しげみを抜けると、ゲストハウスの前に出た。
正面にあるのはホールのようで、庭に面した扉がすべて開け放されており、まばゆいばかりの光があふれている。
「今から始まるのは1年に1度だけ開かれる評判高い正統派パーティ。なかなか招待状を手に入れるのが難しいんだけど、
この仮装ハロウィンと共通入場できることを聞きつけて炊きつけたら、岸本が必死に手に入れてくれたわ。」
「この女神の衣装はそれで…。」
この人がサービスで岸本を喜ばせるわけがないと思った・・・
そう言いたげな泉田の問いに、涼子は少し唇を尖らせた。
「そうなのよ、アイツ生意気にも交換条件を出してきてさ!…でも、それでも来たかったの。」
涼子は背伸びをして泉田の獣耳を取り、タキシードからしっぽを抜くとにっこりとほほ笑んだ。
「10月の新月の夜だけに開かれる夜会なんて、素敵じゃない?」
泉田がその艶やかな微笑みに心を奪われている間に、涼子は胸のところにあるリボンを外し、マントを脱いで腕にかけた。
さえぎるものがなくなり、夜目にも白い肩とデコルテラインが浮かびあがる。
そして涼子はさらにするするとマントからそのリボンを抜き取った。
「はい、これつけて。蝶ネクタイ。」
「え?」
「さっき正装でって言ってたでしょ?」
こんな仕掛けになっていたのか。泉田はタイの長さを調整して襟元に付けた。
その隣で涼子は大鎌に尻尾と耳をくくりつけている。
「いいわよ、先に入っていて。」
泉田はその指示どおり、涼子を迎えるべく先にホールに入った。
暗い所にいたせいか、シャンデリアの明りがまぶしい。
涼子が、入口に特設されているクロークに大鎌を差し出している。
それを室内から眺めながら、慣れているのかプロ意識か、笑顔でそれを受け取り番号札を返す従業員に、
心で敬意を表した泉田のところに涼子が歩いてくる。
ふいにフロアが、波が揺れるようにざわめいた。
「えっ・・・?」
・・・それはまるで魔法を見ているようだった。
シャンデリアライトに照らされて、涼子のドレスの色が変わっていく。
黒がほんのりと薄くなったと見えた次の瞬間、まるで大輪の薔薇のような真紅へ。
手に掛けた黒のマントは、銀糸のシフォンショールに。
細い首にかかる真珠は黒から白へ色を変え、中心には卵ほどの大きさのジルコニアがダイヤに劣らず細かな光を放っている。
フロアのざわめきが一層大きくなる。
さっきまでの黒づくめの女神はもういない。
ここにいるのは真紅のドレスをまとった、薬師寺涼子だ。
「・・・何とか言ってほしいんだけど?」
前に立つ涼子の少し拗ねた声で泉田は我にかえった。
「あ、ああ、申し訳ありません。」
「お詫びじゃなくて!」
苛立った声の中に混じる小さな不安を感じとって、泉田は表情を引き締めると穏やかにゆっくりと告げた。
「とてもよくお似合いです。きれいですよ。」
涼子の頬がドレスよりも薄く透き通るような紅に染まる。
「本当?」
「本当です。」
「驚いた?」
「とても。」
「JACESでは逆応用なのよ。」
なるほど、もとは暗い所に入った時には目立たない行動が可能になるように、黒く変色する繊維ということか。
泉田は改めて、咲き誇る薔薇のような真紅のドレスを見つめた。
白い肌の色と相まって、本当に涼子によく似合う。
何の飾りもないなめらかな絹が、涼子のしなやかな体の線を見事に演出していた。
・・・しかし滑った視線が深いスリットに行きあたった時、
泉田の目は白い肌と、腿から一瞬ちらりとのぞいた無粋な鈍い光をとらえた。
まさか。
泉田はさりげなく涼子をホールの隅に連れていくと、耳に口を寄せてささやいた。
「何?」
「しっ!静かにして下さい。警視!その足に留めていらっしゃるのは、まさかと思いますが…。」
「どこ見てるのよ!?」
「見ているんじゃありません、見えたんです!・・・拳銃ですね。」
ひそひそ話は愛の語らいに見えるのか、周囲の人はほほえましく遠巻きに見守っているようだ。
「そうよ。これはあたしのエクスカリバー(アーサー王の剣)だって言っているでしょ?
肌身離さず持つのはあたりまえだって何回言ったら覚えるの?キミは。」
「こんなところで騒ぎを起こす気ですか!?」
「あたしが起こすんじゃないわよ、誰かが起こした時に…。」
涼子の言葉にかぶさるように、華やかな音楽が鳴り始めた。何組かのペアが進み出て、フロアの中心で踊り始める。
「もう、無粋な話をしているうちに始まっちゃったじゃない。」
泉田は涼子を見つめると、深い深いため息をついた。
そんな思いつめた顔の泉田を見て、ふいに涼子が笑った。
「ごめん、ごめん、忘れていたわ。」
白いしなやかな指が、泉田の口元を押さえ、歯に止められていた牙を抜く。
・・・牙を抜かれたなんとやら・・・か。
今さぞかし情けない顔をしているのだろうと、泉田はまたため息をつく。
こうなれば、無謀な誰かが決して騒ぎを起こさぬように祈るしかない。
「・・・絶対に使わないで下さいよ。」
「まあ、新月の夜だから何が出るかはわからないけどね。」
「警視!」
「似合うわよ、タキシード。嬉しいな。料理も、音楽も最高なんだって。ね、あっちへ行ってみようよ。」
涼子が泉田の腕を取る。
それは子供が懸命に欲しいものをねだるさまに似て、泉田は苦笑いを浮かべた。
結局いつも、この人には勝てない。
なぜならば、こんな表情を、仕草を、無条件に愛おしいと思ってしまうから。
「・・・さっき飲み損ねたワインをいただきましょうか。」
「いいわね。」
泉田に恭しくエスコートされて歩を踏み出した涼子を、華やかなパーティの音楽が包み込んだ。
今宵、月はない。
闇に生きる不思議な生き物たちのための、
そして恋人たちのための10月の夜に祝福あれ。
Happy Halloween!
(END)
*岸本も幸せですよ、きっと(笑)。アンケートご協力本当にありがとうございました。
「お涼サマに一番似合うお衣装は?」の1位、真紅のドレスでした。
頂いたコメントはどれもとても素敵なものだったので、出来るだけ織り込もうとしたのですが、力不足、どうぞご容赦ください。
アンケート結果詳細はこちら、2位〜6位のSSSがある拍手はこちらからどうぞ。
取り急ぎお礼をこめて。