<商売繁盛>



「わあ、なんだかかわいい。」
「福笹って言うらしいよ。色々ついてるわね。」

涼子が関西出張から持って帰ってきたのは、神社で買ってきたお守りだった。
笹に、「福」と書いた白銀の小袋や絵馬、お札など、色々なものがついている。

「意外です、警視がお守りなんて。」

阿部は差し出されたその笹と涼子の顔を交互に見ながら、不思議そうにつぶやく。

「あら、あたしの野望に加わってくれるなら神様でも悪魔でも歓迎よ。」

こらこら。相手は信仰を集めている神様だぞ。そんな不遜なことを言わないように。
そう心でつぶやきながら、泉田は阿部の隣でせっせと報告書を作っていた。

「この神棚に飾りますか?」
「そうね。よく見えるところにしよう。」

阿部が手を洗って戻り、恭しくその笹を涼子から受け取ると、机に上り神棚の隣に飾る。
正式なお奉り方法がこれでいいかどうかは不明だが、なかなか様になっている。

「ほう、なかなかですな。で、あれはどこの神社のお守りなんですか?」

丸岡が、両手を腰にあて満足げに笑う涼子に尋ねる。

「関西のなんとか言う神社。すごく古くからある商売の神様なんだって。
レオタード戦士の設定でもそうなってたわよ。」

「は?商売?」
「レオタード戦士?」

丸岡だけでなく、皆一様に見えない大きなクエスチョンマークを頭に掲げた。
警視庁刑事部参事官室に商売のお守り??しかもなぜここにレオタード戦士?

そういえば巴里に行った時に、コスプレでいたな、そんなのが。
なんだったか、大阪商人(なにわあきんど)の孫娘で『世の中銭と根性や』という設定のレオタード戦士。
泉田は頭を抱えた。
きっとそこに出てくるアイテムの元になったか、何か関連のあるものなのだろう。

「つまりあのお守りは・・・その・・・身体や社会の安全を祈るものというよりは・・・。」

口ごもる丸岡の声に、涼子の声が重なる。

「そ、もちろん商売繁盛!」

参事官室は水を打ったように静まり返った。

警察が商売繁盛。それはまずいだろう。
泉田はたまりかねて口を切った。

「警視、あの、仮にも警視のお立場にある方が、犯罪増加を祈願するのはいかがなものかと・・・。」

「・・・おあいにくさま、増加なんか祈っていないわよ。」

涼子は、ちっと舌打ちをしながらちらりと横目で泉田を睨む。

泉田は一瞬ひるんだものの、なんとか気力を奮い起こした。
まめに大犯罪が起こってくれないと困ると、常日頃豪語している上司を改心させるには至らなくても、
少しくらいは思いとどまってもらわなければ。

「ではなぜ?」

泉田の必死の反撃は、涼子のにやりと笑う濡れた唇が開くと同時に、見事に玉砕する。

「総犯罪量は減少してくれて結構。でもあたしの仕事は増やして欲しいって祈ってるの。」

涼子はあでやかな笑顔で部下たちの顔を見渡す。

「自然死以外の理由で神のみもとに召された人たちの謎が、ぜ〜んぶあたしのところに回ってきますように。
特に日ごろエラそうにしている奴が絡んでいる、難解なヤマは独り占めできますようにって祈っているのよ。
それこそが商売繁盛!どう?公僕にふさわしい仕事熱心な願いでしょう?みんなもそう思わない?」

そ、それは、難解で凶悪な犯罪は全部ここに集まるようにってことですかぁ?・・・。
泉田の隣で貝塚がつぶやいた。
多分その通りだ。しかしそんなことは考えたくない。

神棚に向って敬虔に手を打ち祈る涼子の背中に向って、助けてくれ〜と皆心の中で叫んでいたのだった。





結局手がけていた報告書は、時間内には打ちあがらなかった。

泉田は休憩を兼ねて10階にある自動販売機のコーナーへ向った。
すっかり人気のなくなった廊下を抜け、小さな休憩室を兼ねたコーナーに入ると、
奥に置かれた長椅子に一人座っている人影が目に入った。

室町由紀子だ。
手にコーヒーの紙コップを持って、窓の外を眺めている。
こんな時にまでぴんと背筋が伸びているのが、彼女らしい。

泉田は缶コーヒーを購入した。
その缶が自販機の中で落ちるゴトンという音に、由紀子が振り返る。
泉田は缶を拾うと軽く敬礼し、頭を下げた。

「泉田警部補。」
「ご休憩中のところ、申し訳ありません。」

由紀子はにっこりと微笑んで、泉田に声をかけた。

「遅くまでお疲れ様です。よろしければどうぞ。」
「では、おことばに甘えて。」

泉田は由紀子の向かいに腰掛けた。

窓を背にした由紀子は、高い襟の深緑のシャツに、上質な布のチャコールグレーの上着姿。
手首には真珠のきれいなカフスがのぞいている。

正義と法を守るキャリアのあるべき姿とは、こういう外見のことを言うのであろう。
泉田は上司の今日のいでたち・・・超ミニの黒のワンピースに腰までの銀光沢の上着姿・・・を頭に浮かべ、
懸命に消した。美しさに全く遜色はないが、あれは例外中の例外。

「お仕事はお忙しいのですか?」
「いえ、ええ、そうですね。」

あたりさわりのない問いにあいまいな答えを返した由紀子の苦笑いを見て、
泉田はある噂を思い出した。

それは警備部の上席から、由紀子が強く叱責されたという話。
次の首脳会議の警備をめぐっての案を、出すぎた意見と評されたという内容だったが。

「・・・最近、もっと経験を積みたいと痛感しています。
やはり仕事の報酬は、次の仕事なのだと。」

ふいに由紀子がつぶやいた。
泉田は、先が話しやすいように肯定する柔らかな視線を由紀子に向けた。

「早くたくさんの仕事をこなしたい、もっと現場のことがわかるようになりたい・・・
そうでなければ、なかなかいい指揮は取れないものですね、いい仕事も来ない。
がんばってくれている岸本警部補やみんなに報いるためにも、
もっともっと経験を積み、早く多くを学ばねばならない。それが今の私の課題です。」

由紀子はそう言って小さなため息をつくと、手の中の紙カップへと視線を落とした。

その姿は懸命に背伸びをしている少女を連想させる。
彼女は今の立場に責任を感じているのだろう。
それでもその立場に相応しくあろうと努める姿は、凛々しくそしてどこか痛々しい。

泉田は缶コーヒーを、由紀子の持つ紙コップに、乾杯するようにこつんと当てた。
ふいを突かれて、由紀子が顔を上げる。

「警視はよく努力していらっしゃいます。あせらないことですよ。」

泉田は穏やかな微笑みで告げた。

「仕事の報酬は次の仕事・・・とはいい言葉だ。やってみなければ次も来ない。
例え一つ失敗しても、それが一つの経験です。私なんかはそんな経験でいっぱいですよ。」

泉田が浮かべる苦笑いに、由紀子がつられてかすかに微笑む。

「室町警視、経験不足は他の人の話を聞くことでも補うことができます。部下に、そして先達に心を開いて、
色々な話を聞くことです。私も失敗談でよければいくらでもご協力しますよ。」

その言葉に由紀子が花がほころぶように笑った。肩からすとんと力が抜けたのが見てとれる。

本当に素直で、まっすぐな人だ。
泉田はその笑顔に、大きく頷きを返した。






部屋に戻ると、参事官室からはまだ明りが漏れている。
もしやと思ってドアをノックすると返事がない。

「失礼します。」

そっとドアを開くと、机にうつぶせている涼子の姿が目に飛び込んでくる。

やっぱり。
泉田は足音を消してデスク横に立った。
このところ涼子はよく参事官室で残業をし、こうやって眠り込んでしまう。
おそらく大きな調べものをしているのだろう。デスクも法令関係の書や紳士録で完全に埋もれている。

「警視、起きてください。帰りますよ。」

涼子はぼんやりと頭を上げ、眩しげに目を細める。
泉田を見とめると、いぶかしげな顔をして、時計を見た。

「もうこんな時間?みんなは帰った?」
「とっくに。」

「そう。あ〜あ、もうちょっとオンラインを使って調べたいことがあったんだけどな。
しょうがない、続きは家で出来ることをするか。」

まだやるのか?
泉田は目をみはった。
出張から戻ってきて休む暇もなく現場に飛び出して、その上これだけの本に埋もれて。

「泉田クン、悪いんだけどこの本、車に運ぶの手伝ってくれない?」
「何を・・・調べていらっしゃるのですか?」

泉田は涼子の隣から動かず、固い声で尋ねた。
涼子は顔も上げずに本を片付けながら、ひらひらと左手を振り、軽くその問いを切り捨てる。

「まだキミには関係ないわ。」
「・・・それなら、ご指示には従いかねます。」

泉田の言葉に涼子が怪訝そうな顔を上げる。眉が見事なカーヴを描いて吊りあがる。

「正気?」
「話せないとおっしゃるのであれば、せめて理由をお聞かせくださいませんか。」

自分の行く手をふさぐように立つ泉田への苛立ちを表すように、
涼子のヒールがカツンと床に打ち付けられる。

「時期ではないからよ。これでいい?」
「では時期ではないと言いながら、急いでいらっしゃる理由は?」

涼子はきっと泉田を睨みつけると、それきり口を閉ざしせっせと本を詰めると、
かけてあるコートとずっしり重い鞄を取った。

「帰るわ。」
「待ってください。」

泉田は涼子の動線から動かない。

「どいて!」

次の瞬間、涼子が泉田をどかそうと上げた手を、泉田は見事に受け止めた。

「・・・少し休んで頂けませんか?手伝いますから。」
「離してよ。」

「今月に入って残業で寝込んでしまうのは何日目ですか?それは体が鳴らしている警報です。
肝心な時に動けなくなったらどうします?」

「動けなくなったことがある?見くびらないで。」

涼子が泉田の手を振り切った。
鞄が手から落ち、本がバサバサと音を立てて床に落ちる。

「・・・失礼いたしました。」

泉田は涼子の足元に散った本を拾い上げ、元の鞄に詰める。
そしてそれを持ち上げ、涼子の方へ手を伸ばした。

「お送りします。車の鍵を。」

涼子がバックから車の鍵を出して渡す。
それを敬礼して受け取ると、泉田は退室し、自分たちのスペースの戸締りを見回った後、
コートを取って参事官室の入口で待っている涼子のところへ戻った。

「お待たせしました。」

涼子はそっぽを向いて動かない。

「警視・・・。」
「・・・どうしても尻尾を掴みたいの。」

涼子は拗ねた口調でそうつぶやき、伸びをして泉田が抱える資料の中から紳士録を引っ張り出す。
そして付箋を貼ったページを泉田の前にパカっと広げる。そこに現れたのは、現役大臣だった。

「なっ!?・・・」
「生半可なことじゃ、このオヤジ口を割らないわ。公安や内調に引っ張られる前にあたしが挙げたいの。
そうすれば次にこいつが引っ張れるわ。」

涼子は次の付箋のページをまたパカっと広げる。そこには現与党OBである大物政治家の写真があった。

「・・・危ないことだってわかってやっているんでしょうね。」
「危ないからって逃げていちゃ仕事にならないわ。大丈夫、成算はあるから。」
「どんな?」
「それは状況次第ね。」

それは成算とは言わないのでは。
泉田はキーを握った右手で額を押さえ、目を閉じた。

「反対するだろうから言いたくなかったのよ。」

涼子はため息をついて泉田に背を向け、天井を見上げた。
そこには夕方に飾ったお守りの笹がある。

「せっかく悪い輩を一斉に蹴散らしてやれる気持ちのいい仕事だと思ったのにな。
間に合わないかな、やっぱり。ちぇっ、ご利益ないの。」

そのつぶやきに、泉田はさっきの由紀子の言葉を思い出した。


『仕事の報酬は、次の仕事』。


ああ、そうか。
涼子が祈っていたのはこういうことだったのかと思い知る。

凶悪で不可思議な犯罪は、涼子にとっては最高のおもちゃ。
そこが由紀子と大きく違うだけで、やっていることも望む結果も同じ。

そして犯罪を熱意を持って解決防止すること自体は、なんといっても警察の本業であり、正義である。
・・・正義ならば神も涼子に味方するかもしれない。そうか、そんな最強タッグのお守りか、あれは。
とても勝てない。
泉田はふっと息を吐いて言った。

「わかりました。お手伝いさせてください。」

涼子は泉田を振り向いた。そしてにっこりと微笑んだ。
その顔はどこか確信犯めいていて、それでいて本当に嬉しそうで。

「それでこそあたしの忠臣!」

涼子は泉田につかつかと歩み寄ると、伸びをしてその右頬に軽くキスをした。

「ちょ・・っと!!」

涼子は、狼狽して本を取り落としかけた泉田の上に、
さらに手にしていた分厚い紳士録を容赦なくばさっと置くと、ご機嫌で携帯を取り出した。

フランス語だ。とすれば、相手はメイドのどちらかだろう。
断片的に聞き取れた単語をつなげて、泉田は背中を汗が伝うのを感じた。

『今晩から泉田くんが泊まるから、料理と部屋の用意を頼むわ』

文法の間違いがなければ、今『今晩から』と言ったような・・・いったい何日かかるんだ!?
積み上げられた本が一層重みを増す。
パチンと携帯を閉じた涼子は、颯爽と告げた。

「さあ、やるわよ!」

泉田は、複雑な思いで飾られたお守りを見上げた。



商売繁盛で笹もってこい!


(END)



*ありがとうございました。泉田クン、2人の女性キャリアを育成するの図(笑)。がんばってもらいましょう。

福笹とは、西宮(兵庫県)や今宮(大阪府)に代表される戎神社において1月初旬に行われる大祭、通称「えべっさん」で頒布される、
商売繁盛のお守りです。
文中の通り、笹(最近はプラスティック製)にお札や小袋、絵馬、吹流しなどをつけたもの。色々サイズがあります。
お囃子は一番最後にある『商売繁盛(で)笹もってこい』です。
節回しをご存知の方は、両脇のクマの揺れるリズムに合わせて口ずさんで頂ければより楽しいかと。