――嘘でしょ…。――

ぴったりと寄り添う女性の背にそっと手を回してタクシーに乗せる、見慣れた後ろ姿。

にぎわい始めた金曜日の宵。
仲睦まじく微笑み合いながら車に乗り込む泉田と、自分より少し年下に見える長い巻き髪の女性を、
涼子は10M後ろの歩道からしばし呆然と見つめた。




<天命>




エステの帰り、まだ仕事をしているなら呼び出そうかと思いながら手の中で弄んでいた携帯電話を、
ぎゅっと握りしめる。

――誰よ、あの女。――

涼子ははっと我に帰った。呆然としている場合ではない。
歩道の柵をひらりと乗り越えて、タクシーを捕まえて飛び乗る。

座席に滑り込み反射的に警察手帳を出しかけて、ふと泉田の声が耳元で聞こえたような気がして手を止める。

『プライベートですよ、警視。』

――こんな時にまで、なんであいつのお説教を思い出さなきゃいけないのよ!――

そこまで魅かれている自分に嫌気がさす。
ああ、あたしってけなげ。それなのにあいつは!

だがそれも一瞬のこと。

「前のタクシーを追って。気づかれないでね。」

涼子は有無を言わさぬ口調でそう告げると、じっと前の車をにらみつけた。




ほどなくタクシーはおしゃれなエリアの目抜き通りに新しく出来たビルの前に、滑り込むように停まった。

前の車から二人が降りるのを慎重に見届けてから、少し離れて車を降りる。
二人はビルの前に待っていた、年格好のよく似た数人の仲間と合流した。

たちまちのうちに泉田は別の女性からも挨拶を受けるが、一緒に車に乗っていた女性は、
以前からの知り合いなのか、妙に親しげに泉田の腕を取り、離れようとしない。

――合コンか・・・。――

泉田がよく誘われているのは知っている。
だがそのたびごと、この手の飲み会は嫌いだと、少し困った顔で言っていた。

――結局誘われると来ちゃうんじゃないっ。――

心でそんな悪態をついている間もなく、
全員揃ったのか泉田たちはぞろぞろとビルの外側にあるテラス階段を上り始めた。

どうやら2階にある店に入るらしい。
見上げると、お値段もお手頃そうな少しおしゃれな居酒屋だが、かえって涼子には入りにくい店だ。

現に目立たぬように立っているつもりでも、通り過ぎる人々はちらりちらりと涼子に眼を向ける。

『警視は潜入と尾行には向きません、それは仕方がないじゃないですか。』

また泉田の言葉が耳に蘇る。いつもおだやかな深いあの笑顔まで。
離れていてさえ、こんな状況でさえ、一番近い愛おしい存在。

――このあたしが、なんで週末の夜にこんなことをしなきゃいけないのよ!――

涼子は入っていった店を、じりじりしながら見つめた。

何か、何かいい方法はないだろうか。


その時。



リリリリリリリリリリリリリリ!!!!!!!!!!




夜空に響き渡る非常ベル。

まさに涼子が見つめていたビルからだ。
道を歩いている人たちも、ベルの音に足を止めてビルを振り仰ぐ。

風が強くてはっきりとはわからないが、まだどの窓からも煙らしきものは上がっていない。

ボヤか、誤作動か。
いずれにしても。


勝った。


涼子は腰に両手をあて、ビルを見上げた。

高笑いしたい気分をなんとか抑え、瞳を輝かせてヒールをカンと鳴らす。
天命、我にあり。

「さあ、行くわよ!」





テラス階段を駆け上がると、涼子はざわめいている2階の店に飛び込んだ。

そして店員が圧倒されている間につかつかと店の中心に歩くと、冴えた声で叫んだ。

「火事よ!係の指示に従って落ち着いて避難して!」

小さな悲鳴が上がり、何人かの客が立ち上がる。
あわてて飛び出してきた店長らしき男に微笑みかけると、涼子はぐるりと店内を見回した。

「け、警視…。」

目当てのまぬけ顔はすぐに見つかった。
座敷に上がっていたらしいが、すでに立ち上がって靴を履こうとしたまま、
こちらをまるで幽霊でも見たかのように唖然と見詰めていたかと思えば、
はっと我に返り、前に出ようとしてはきかけの靴がひっかかってよろめく。

「な、なぜこちらに!?」

よろしい。
それくらいアタフタしてくれないと踏み込んだ甲斐がない。
涼子は満足げに頷いた。

ただその手に女物のバックを持っていて、
そのバックの先にさらに女性が寄り添っているのが気に入らないが。

涼子はキッと泉田を睨みつけた。

「何をしているの、泉田クン。
警報から3分以上過ぎているわ!早く避難誘導!煙に巻かれたらどうするの!?」

「は、はいっ。」

煙という言葉に、泉田の腕にぎゅっと女性たちがしがみつく。

「怖い・・・」
「大丈夫だから、行って。他のみんなも急げ!」

しがみつかれた時にさりげに相手の手を振り払う技は、護身術の一種だ。
泉田も体が覚えているその動作で手を払い、誘導を繰り返すうちに少しずつ動揺も収まってきた。

「おいおい、泉田、すんげえ美人!知り合いか!?」
「紹介しろよ。」
「あ、泉田さん、メアドだけでも教えて。」

「そんなこと言っている場合じゃないだろ!!早く行って!」

周囲を出入口の方へ押しやる泉田の背中に、妙に生き生きと涼子の指示が飛ぶ。

「一般市民の誘導が終わったら、警報器の作動内容確認!各署通報確認!」
「はいっ!」

ザッ。

「うわっ!」
「きゃあっ!」

自動作動したスプリンクラーによって、ビル内にまるで夕立ちのように水が降り注ぐ。
半信半疑で右往左往していた客たちも、あわてて出入口に急ぎ出す。

もう完全に警察官の顔に戻った泉田は、おろおろする従業員たちから火元を聞き取り、
各階の避難が一段落したこと、そして消防自動車のサイレンが聞こえてきたのを確認し、店内に駆け戻ってきた。

・・・しかし、泉田の冷静な職務遂行もそこまでだった。





「警視!行ってまいりました。」


「・・・ふっふっふっ。気持ちいいわねえ。」


飛び込んだ店内。
誰もいなくなった大テーブルに、スプリンクラーの水を全身に浴びながら涼子が腰かけている。
その口元には妖艶な笑み。

泉田はじりじりと下がりたくなる気持ちに負けず、ぐっと前に出た。

「あの・・・警視・・・。」
「濡れちゃったわねえ。どうやって帰ろうかな。」

「必要であればパトカーを呼びますが…あの警視、今日はその、大学の後輩たちに頼まれてどうしても…。」
「あの一緒にタクシーに乗ってきた女性?」

やっぱりその辺りから気付かれていたかと思わず天を仰ぐが、もはや嘘はつけない。

「はい。」
「彼女かと思っちゃった。」
「違います!」

涼子がすっと手を差し出す。
このシチュエーションは、もう何度も教え込まれているから泉田も間違えない。
恭しくその手を取って、テーブルから床にすとんと着地させる。

「ま、その話は帰ってからゆ〜っくり聞くことにするわ。
悪いことってできないものねえ。神様はよくすべてご存じよ。恐れ敬いなさい、おーっ、ほっほっほっ。」

この場合たぶん、恐るべきは神ではなく悪魔、
それより何より薬師寺涼子。

その美しい高笑いは、消防車のサイレンと相まって、このうえなく泉田を憂鬱にさせた。





その日の深夜ニュースで、
火元は6階のフィットネスクラブのロッカー、幸いボヤでけが人はなし、
各店舗が水浸しと売上減少の被害にあった・・・という旨が報じられた。


しかし、約1名のその後の生活についてはもちろん何の報道もない。


ま、想像はつきますが。



(END)





*リクエストを頂きました、「合コンの現場を押さえられてアタフタしている泉田さんを見たいですっ!! 」でした(^^)v。
力不足ご容赦。ご満足頂ければ幸いです。楽しいシチュを頂いて本当にありがとうございました。書いていてもなんだかワクワクしました。
泉田クン、ほんといいキャラだ。