
<嘘は罪>
「泉田クン、君は書面内容の他に上司に報告すべきことがあるでしょう?」
「・・・?」
会議の報告書を打ち上げた泉田は、PCを終了させる手を止めて、
隣の席で、彼の書いた報告書をチェックしている麗しい上司へ体を向ける。
が、報告すべきことなどこの報告書以外に思い当たらない。
それより休日を返上して、しかも上司の代理に出席した長い会議で、
とっぷり日は暮れ、おなかも減ってきたというのが本当のところである。
「警告しておくけれど、隠すというのは一つの嘘よ。」
「いえ、隠し事などしておりません。」
涼子は組んでいた足をおろし、ぐっと身を前に乗り出した。
「いい?聖書にも、仏教経典にも嘘の罪の重さについての記述はたくさんあるわ。
そして世界で一番罪の重い嘘は、上司につく嘘よ。」
・・・それこそ嘘だろう。
泉田は心でそうつぶやいたつもりだが、全部顔に出ていたらしい。
涼子の美しい眉がぴくりと上がり、柔らかな唇が彼の罪を告発した。
「今日の会議で、お由紀と昼食を食べたでしょう。」
「・・・ど、同席させていただきましたが・・・。」
あれか。
そして密告者は岸本、奴しかいない。
頭の中で岸本の首を締め上げながら、泉田は努めて冷静に返した。
「あれはあくまでも会議の合間にご一緒させて頂いただけです。
報告させて頂くような情報も収集できませんでした。」
涼子はふぅんと一言発すると、体を引き足を高々と組み上げた。
「あくまでも隠し立てをするのね。」
「ですから、隠すようなことは何もありません。」
「やましいことも?」
「・・・やましいことってどんなことですか?」
逆に問い返すと、涼子はぐっとつまった様子で恨めしそうに泉田を見る。
もう少し問い詰めて自分の苛立ちを伝えたい気持ちと、
しつこく問い質すのは嫌だという美学が、思い切り葛藤しているのがはっきりと見て取れる。
こういうところはほんとかわいいんだけどなあ。
そんなことを思ってみても、上司は上司。泉田は笑いをこらえ神妙な顔を作ってみせる。
涼子がたまりかねて口を開こうとしたところに、呼び出しが鳴った。
2人の表情がさっと変わった。
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このところ都内を騒がせている、原因不明の自殺はこれで3人目。
その現場には必ず『ユア・ドール』と呼ばれる精巧な人形が残っている。
2件目の発生の際、同じ人形を見つけた捜査員は、報告を「関連性は不明」と結んだ。
しかしそれを聞きつけた涼子は、次は必ず現場を見せてくれと刑事部長にねじ込んだ。
『次』があると断定する涼子にある種の不気味さを感じながらも、刑事部長がしぶしぶ受諾したのは一昨日。
そして3件目の発生。もはやお手上げの所轄は刑事部に連絡を入れてきたのだった。
「他殺なら完璧な密室殺人。ありえないわ。
これで自殺じゃなきゃありがちな怪談話かホラーね。人形にたたり殺されるって?」
現場を見回しながら忌々しげに言葉を吐く涼子の隣で、泉田は床に残っていた人形を見た。
「精巧ですね。子供の頃、女の子たちが持っていたのとはずいぶん違う。」
明るい茶褐色の髪に澄んだ鳶色の瞳。そしてすらりと伸びた手足に美しい肌。
泉田はじっとその人形を見つめた。そして振り向き、涼子を見る。
なるほど、血が通うとこうなるわけか。
そう改めて納得できるほど、人形と比較してさえ涼子の美は完璧だ。
これで凶暴性さえ付属していなければ・・・。
考えを振り払って、泉田はもう一度人形に向き直った。
「熱心ね。ユア・ドールに興味があるなら、専門家に相談すれば?懇切丁寧に教えてくれるわよ。」
「専門家・・・遠慮します。」
涼子が言わずとも、泉田にはそのチャボのような専門家の姿が浮かび上がった。
今日二度目の岸本。あいつが出てくるとろくなことがない。
眉をしかめる泉田と並んで膝をつき、涼子は人形そっくりの横顔でほうっとため息をついた。
「全く・・・この子たちには罪はないでしょうに。」
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現場を出ると、もうすっかり夜中だった。
パトカーの無線で報告を入るべく、泉田は涼子を振り返った。
「警視、報告を致します。ご指示を。」
涼子は厳しい目で、軽くため息をつきながら言った。
「もう少し奥が深いかと思ったけれど、何もないわ。
鑑識には念入りに自殺者のメールやサイトの閲覧履歴を調べてもらって。」
「はい。」
「同じところから、自殺を勧めるメールやメッセージが届いていればそれで終わり。
あるいは自殺に関連する同じ都市伝説の閲覧記録があるとか、ね。」
「自殺教唆・・・ですか?自殺を勧める、あるいは強制する何かがあったと?」
自殺は自殺であり、その字のとおり自ら進んで死に到ることであるが、
脅迫などの心理的な強制を与えて、死ぬ以外に道はないと信じ込ませたような場合には、
相手に自殺教唆、即ち殺人罪が適応される。
「まだわからないわよ。でも年齢もバラバラ、職業もバラバラ。
現場検証から他殺の線はなし、明らかに自殺となれば、共通点の人形を保有していることを逆手に取った
自殺教唆が一番簡単な結論なだけよ。」
なるほど。
自殺教唆なら相手は人間。化け物魔物の類でもなさそうなことに泉田は少しほっとする。
2人は警備にあたっている警察官の敬礼を受けながら、少し離れたところに止めてあるパトカーへと歩き、
泉田はその無線を借りて報告を終えた。
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パトカーにもたれて泉田の報告を聞き終わった涼子は、深いため息をついた。
「人形にも、人形のことを大切に思う人にも決して罪はないはずなのにね。
でも都市伝説にはたまに出てくるのよ。
人形と一緒に死ねば、その人形が天国に導いてくれるっていう類のものがね。
『あなたの罪はまもなく裁かれる。その前にこの子と一緒に別の世界に生まれ変わるのだ、
悩みも苦しみもない美しい世界に・・・』って。今回もそんな話じゃないかと思うわ。」
「裁かれる前に自殺しなきゃいけないような罪って、いったいどんな罪なんでしょうか。」
自殺した人間すべてが過去に殺人を犯しているとか?
ありえない。泉田は涼子の隣に並んで立ち、首をかしげた。
「自覚している罪の重さは、しばしば実際に犯した罪の重さとは一致しないものよ。
殺人を犯してもたいしたことないと思っている人はいるし、
自転車を盗んだだけでも死にたいくらいの慙愧の念に駆られる人もいる。
また裁かれるというのも、必ずしも法廷での裁きを意味しないわ。
例えば嘘なら『ばれる』というのは、最大の裁きかもね。」
「・・・なるほど。」
嘘の例えは納得できる。
学歴や職歴詐称、浮気、金銭貸借・・・そんな重いものに特定しなくても、日常に嘘はいくらでもある。
それらがもしばれたら、社会的に信用を失うかもしれない。それは大きな裁きだ。
「でも・・・生きていればつぐなえることだってあるはずなのに。」
そうつぶやいた泉田のすぐそばで、涼子は小さく笑った。
「どうかしら?」
「警視!」
涼子は泉田の腕に、腕を絡めた。そして夜空を見上げる。
「あたしも泉田クンと同じように、生きているに勝ることはないと思うけどね。
罪をつぐなおうと思わない人もいる、つぐなうのに疲れてしまった人もいる。
だから都市伝説が生まれるの。人形は彼らにとっては本当に救いなのかもしれない。
救いは・・・ないよりある方がいいわ。」
確かに。
泉田も小さくため息をついて、涼子と一緒に空を見上げた。
「それでも・・・命を断ってはいけません。」
そうつぶやいて泉田は目を閉じた。
この人はどこまで優しくて、強いのだろう。
涼子は泉田の横顔に感嘆のまなざしを向けた。
他の罪を受け入れる広さをかねそろえた優しさ。時にそれを断罪する強さ。
涼子も死者たちの冥福を祈るように、空を見上げたまま静かに目を閉じた。
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どれくらいそうしていただろう。
涼子はぱっちりと目を開くと、泉田に小さな声で、しかしきっぱりと告げた。
「泉田クンにはあたしがいるから大丈夫よ。」
「は?」
「あたしがいるから、大丈夫って言ったの。」
なにがどう大丈夫なんだかさっぱりわからない。
泉田は深いため息をついた。
泉田とて、官僚世界で生きる為に嘘も覚えた。ずるいことをしなかったとは言わない。
でもそのことを悩み後悔するほどには、まだまっすぐなつもりだ。
一方涼子は平気で嘘をつく、隠し事をする。
しかし一番大切なところで道を間違えない。決して逃げない。いつもまっすぐに煌いている。
一緒なら、嘘も罪も消し飛んでしまうほどに。
そう思った時、泉田の口をついて言葉がこぼれた。
「そうですね、あなたがいてくれればそれでいい。」
涼子は少し頬を赤らめながら、大きく頷いた。
「そうよ。わかってるじゃない。だから嘘はつかないのよ、いいわね。」
「はい。」
「本当ね、嘘をついたり隠し事をすると大変なことになるわよ。」
「はいはい。」
街灯が映し出す影が、歩道に長く伸びる。
決して闇に飲まれることのない強い輝きを放つ互いの目を見交わしながら、
2人はじっと夜の中にたたずんでいた。
(END)

*パトカーに乗って帰りたい人がいたらかわいそうだな(笑)。早くどいてあげてください。
あまり甘くなくなってしまいました・・・それよりは信頼とか絆とか、ちょっと重いものが盛り込まれたような。
暗くなってしまったらごめんなさい。人形の都市伝説はもちろんフィクションです。