<夜に咲く花>
「次の信号で追い込め!とにかく都内中心部に戻らせるな!」
無線が唸る。
夕闇が迫りくる中、湾岸沿いを走るパトカーの群れは、1台のバイクを徐々に追い詰めつつあった。
「右!泉田クン、もっと右に切って!」
「右って!?ちっ!しっかりつかまってて下さいよっ!」
「何言ってんのよ…揺らさないで、しっかりハンドル握っていなさい!」
「え?け、警視!!何を!?ああっ、撃たないで!相手は火薬を背負ってるんですよ!」
「うるさいっ!」
先頭を走るパトカーの助手席から、涼子が身を乗り出しバイクに狙いをつける。
「…一発で仕留めるわよ…3…2…1…Fire!!」
「警視!!」
涼子の銃が火を噴く。
バイクがぐらりと揺れ、タイヤから火花を散らしながら蛇行し、そして橋の上から、下の海へと宙を舞った。
犯人は背負ったリュックごとバイクから投げ出され、車体と同じように海面に向かって落ちていく。
それはまるでスローモーションのような光景。
泉田はタイヤを鳴らしてパトカーをスピンしつつ急停止させた。
身を乗り出していた涼子は窓枠に頭をぶつけそうになり、のけぞってかろうじてかわす。
「こらっ!上司にケガをさせる気かっ!」
涼子の怒鳴り声を背に、泉田は車から飛び降りると、海面を確認し、そのまま犯人を追って海に飛び込んだ。
海面を照らすサーチライトが消され、犯人を護送する車が発車すると、一台、また一台、集まっていたパトカーが散っていく。
「薬師寺クン、お手柄だったね。」
刑事部長が愛想笑いをひきつらせながら、欄干にもたれて腕を組む涼子の隣に来る。
涼子は一目で不機嫌とわかる顔を上げ、ちらりと刑事部長を見て言い捨てた。
「おそれいります、部長。警視として当然の義務を果たしたまでですわ。」
「し、しかし、各地で被害の大きかった連続爆破魔を都内で未遂で逮捕できた功績は…。」
「部長の日頃のご指導のたまものです。部長のお手柄で結構。それより。」
涼子は掴みかからんばかりに、ぐっと部長を上目づかいに睨みつけた。
「私の部下を早く返して下さい。それと、パトカーを一台置いて行くようにご指示を。
ああ、そうですね、この橋に続く道の通行規制の延長もお願いしますわ、そう、できるだけ長く。・・・早く!ご指示を!!」
「わ、わかった。泉田警部補は、もう解放される、保障する。
そこの警備責任者のキミ、通行規制の延長だ、ネズミ一匹通すな、わかったな。
ええい、パトカーの鍵を!誰か早く!」
刑事部長とその部下が、パトカーの鍵を涼子の手に渡してそそくさと退場すると、涼子はさっき泉田が飛び込んだ欄干にもたれかかり、
すっかり暗くなった空と倉庫街の向こうにそびえる都心方向に眼をやった。
「早くしないと始まっちゃうじゃない…。」
そうつぶやいた涼子の耳に聞きなれた足音が飛び込んできた。
疲れているようで、いつもよりも少しテンポが遅い。
涼子はほっと溜息をつくと、ゆっくりと振り返った。
まだ湿ったワイシャツ姿で、水を含んで重そうな上着を抱えた泉田が涼子の方へ歩み寄ってくる。
「申し訳ありません、警視。待っていて下さったんですね。」
「手柄をあげた部下を置いて、上司が帰れるわけがないでしょう。
・・・ったく、飛び込んでから浮かび上がって確保まで、30秒なんて大手柄よね。
あいつが泳げなかったのもラッキー。火は好きだけど水はだめだったのね。」
涼子は憎まれ口を叩きながら泉田の方に歩み寄った…ところで、泉田が涼子を軽く手をあげて制止した。
「あの・・・決してきれいな水ではなかったので、汚れるといけません。
警視おひとりでパトカーに乗って戻られるか、できればタクシーを使ってください。」
この格好ですから、できれば私にパトカーを貸して下さるとありがたいです、と続ける泉田に向かって、
涼子は不満げに鼻を鳴らし言い放った。
「じゃあ脱ぎなさい。」
「へ?」
「脱ぎなさいって言ってるのよ。まったく、のろのろしている暇はないの。あたしが脱がせてあげるわ。」
涼子はつかつかと泉田に歩み寄ると、ワイシャツのボタンに手をかけた。
「警視!」
「気になるなら脱げばいいでしょう?どっち?このまま?それとも脱ぐの?」
いや、それは、ですから。
いつもながらの女王さまの非論理展開に、泉田が狼狽したその時。
パーン。
涼子の背中越しに鮮やかに、夜空に大輪の花が咲いた。
思わず呆然と見とれ口を開けている泉田の鼻をきゅっと一度つまんで離すと、
涼子はその右腕を取り、くるりと振り向いて欄干の方へ引っ張った。
「花火…ここからも見えるんですね。」
「そ、湾岸花火大会の隠れたスポットなのよ、ここ。」
犯人は、花火大会の夜を選んで、音に紛れて大使館に程近い要人のホテルを爆破するつもりだった。
大会開催に合わせて、都心部に相当の人数が流れ込んできている中で。
だからこそ、パトカーは必死に都心から犯人を離す必要があったのだ。
涼子は泉田の腕にもたれながら、次々に夜空に描かれる模様を見上げる。
「きれいね…。」
「本当ですね。」
光に映し出され陰影を変える涼子の横顔に、泉田はほっと息をついた。
「無茶をしますね。」
「何が?さっきの追撃?こんな夜にそんな無粋な話をする男は嫌われるわよ。」
「…じゃあやめます。嫌われたくない。」
おや?
涼子はいつになく素直なのはいいが、なんとなく元気のない泉田に、不思議そうに眼を向けた。
泉田は遠く花火を見つめながらつぶやいた。
「あなたにはかなわない…地上では爆発する可能性が高いから海に落とすなんて…あんな判断は俺には出来ませんでした。」
涼子はそのつぶやきに一瞬目を丸くした後、ふふんと笑って泉田の顔をのぞきこんだ。
「あたし、偉い?」
泉田は苦笑しながら頷いた。
「はい。」
「じゃあご褒美。」
涼子は泉田の胸の中にするりと入り込むと、戸惑う泉田を見上げて、そっと瞳を閉じた。
ワイシャツは少し湿っていて、潮の生暖かいような匂いがして、
決して気持ちのいいものではなかったけれど、
でも。
あんな勇姿の後で、かなわないなんてつぶやくような男だから、許してあげよう。
そんな思いには気づかないまま、
次に上がった大きな花火の音に合わせて、泉田はそっと涼子と唇を重ねた。
・・・この道、どうして人っ子一人通らないのだろうと、頭の片隅で不思議に思いながら。
(END)
*…それはお涼サマに脅された部長が、一晩そこを通行禁止にしてしまったからです(汗)。
東京湾の水に飛び込むと、たぶん相当の匂いがします。泉田クン、お疲れさま。
ちなみに東京近郊にお住いの方はおわかりかもしれませんが、このSS自体はもちろんフィクションですが、
舞台は東京湾花火大会を、モノレール方向の橋の上から眺めるイメージです。