<予測不能>


泉田は病院の前でタクシーを降りると、わき目もふらず時間外通用口に向かった。
噛みつくように早口で用件をまくしたてると、警備員はその口調にやや困惑した様子だったが、
警察手帳を出す泉田に逆らえるわけもなく、目当ての病室番号を口にした。

非常灯のみがついている長い通路を、走りだしたい気持ちを堪えて歩く。
やっと通路の一番奥にあるエレベーターにたどりつき、最上階のボタンを押す。
圧迫感のある四方の無機質な壁が、いらだちをつのらせる。

到着を知らせる小さな音とともに、泉田は飛びだした。



「今日は何をされているんですかねぇ。」
「エステにショッピングじゃないのか、女王さまは。」

「いや…仕事かもしれないですよ。」
「ここのところご執心のヤマかい?あれにはさすがに手せないんじゃないか?」

「…失礼するよ。」
「あ、部長!!」

一日休暇を取っていた上司のことを、参事官室のメンバーであれこれ話していた退社前、
突然、ドアが開き刑事部長が現れた。全員が立ち上がる。

「薬師寺クンだがね、警察病院に緊急入院することになった。しばらくキミたちの指揮は私自らが取る。
といっても、しばらくは何もない。溜まった仕事を片づけていってくれ。」

一瞬、4人は顔を見合わせた。
そして丸岡が静かに口火を切った。

「部長、少し教えて頂きたく思います。緊急入院とは…自分たちはまったく聞いておりませんでした。
何か薬師寺警視の体調に重大な変化があったのでしょうか?」

刑事部長は口をぎゅっと結びしばし言葉を選んでいるようだったが、短く答えた。

「話すことはできんな。それでは。」

「ま、待って下さいぃ!部長。」
「よせ、貝塚巡査。」

阿部が制止しようとしたが、貝塚は、背を向けていた部長の背広の裾にすがった。

「教えて下さい。警視は、警視は大丈夫なんですか?」

部長は貝塚の手を静かに払うと、顔をそむけたまま答えた。

「面会謝絶だ。関わるな。」

ひくっと貝塚が息を飲んだ。阿部が貝塚の肩に手を置いて、そっと部長から離した。
ドアが閉じられ、コツコツという足音が小さくなると、貝塚はぺたんと床に座り込んだ。

「どういうことですかぁ・・・。」

そんな貝塚を阿部が助け起こし、丸岡と泉田の方を振り向く。
丸岡は椅子に腰を下ろし、コツコツと机を叩いた。

泉田はそんな丸岡の隣に立って、考えを巡らせる。

「襲われたか、潜入か捜査に失敗したか…。」
「相手は?」

「怨恨となると絞り切れませんが、捜査に失敗して負傷したとなると…。」
「今のヤマだな。」

泉田は大きく頷いた。
密輸がらみ、政治家がらみ、宗教がらみの大ヤマだ。

「とにかく様子を見に行ってきます。」

泉田は自身の机に戻り、鞄とコートを持った。

「泉田警部補ぉ…。」
「大丈夫。あの人がそんな簡単にどうにかなるわけないだろ。誤報だ、誤報。」

「お気をつけて。」
「そっちもな。怨恨だったら俺達も危ないぞ。」

涙ぐんでいる貝塚と思いつめた顔でじっとこちらを見詰めている阿部の肩を叩き、
丸岡に軽く頷くと、泉田は夕暮れの街へ向かったのだ。





病院の最上階、エレベーターの扉が開くと、目の前のナースステーションから警備員が出てくる。
警察手帳を出し、通用口と同じやりとりを繰り返す。

指し示された部屋は、扉で仕切られた通路のまだ向こう。かなりの警戒レベルだ。

カチン、と扉の鍵が外される。泉田は絨毯が敷き詰められた通路を歩き出した。

ほどなくロビーと思しき場所が見え、そのソファーに腰をおろしていた人影が立ち上がった。
深く頭を下げる年配の男性には見覚えがある。

「あなたは…。」
「泉田さまでいらっしゃいますね。JACESの秘書室次長でございます。」

「ああ、あの折にはどうも。」

新宿御苑が枯れ野原になった時に、涼子の命令で喫茶店を借り切ってくれた次長さんだ。

「わざわざお運び頂き恐縮です。
しかしこちらにはお越し頂かないようにと警察にはお願いをしたのですが・・・。」

「参事官室を代表して参りました。部下として上司の容態が気になるのは当然のことです。」
「そうですか。しかし、残念ながらお嬢様とは御面会頂けないのですが・・・。」

「どんな容態なのですか?」
「今はお眠りになっています。それだけです。」

控え目なものの言い方だが、何一つ譲らないがんとした意志を伝えてくるその態度に、
泉田はえも知れぬ圧迫感を感じた。だが、ここで引くわけにはいかない。

「正直に申しあげますが、私は警視が単独捜査中に何かあったのではと考えています。
それならば、上司に代わって出来ることがあれば部下の我々が引き継ぐべきでしょう。
それを確かめにきたのです。」

「…お考えのようなことは何もありませんよ。」
「いや、しかし…。」

「泉田さま。」

秘書室次長が穏やかな顔はそのままに、ぐっと目で泉田を制する。

「薬師寺家が何もないと言えば、何もないのです。」

泉田は大きくため息をついた。こうなれば、残る手は一つだ。

「それでも確かめたいと申し上げたら…。」
「警備員は山のように待機しておりますし、JACESの精鋭もこの階には10人はおりますよ。」
「…それでは急がねばなりませんね。」

泉田はぐっと拳を握り締めた。
2人の間に一瞬緊張が走ったが、やがて秘書室次長がやれやれというように肩をすくめた。

「…わかりました。私の一存で入っていただきましょう。」
「あ、ありがとうございます。」

泉田は嬉しさのままに深く頭を下げた。

「いえ、昔からお嬢様にお叱りを受けるのは慣れておりますから。ただ私に出来ることは、病室の中に
ご案内することだけです。病状についても、事情も何も一切お話出来ませんが、それでもよろしいですか?」

「結構です。」

勢い込んで言った泉田に微笑みかけて、秘書室次長は釘をさすように大きく頷いた。

「では、驚かれませんように。」





奥にある病室の、重厚な木のドアがゆっくりと開かれる。
入った途端、泉田はその冷気に思わず身をすくめた。

灯りを最低限まで落とした冷たい部屋。
その奥のビニールシートに仕切られた一角にベッドがあり、人が横たわっている。

まさか。
泉田はすくみそうになる足を一歩一歩前に踏み出し、シートのすぐそばまで歩みよった。

何枚かのシートの向こうに横たわっているのは、顔を大きな酸素吸入マスクで覆われた涼子だった。
泉田はその姿をじっと見つめた。
機械の唸りが低く部屋を包み込んでいる。

やがて、涼子の頬がいつもより少し赤く色づいていることに気づき、泉田は体から力が抜けるのがわかった。
静かに見つめていると、真っ白なリネンに覆われた体が呼吸に応じてかすかに波打っている。

とにもかくにも、生きていてくれた…。
そう思った時、泉田は自分が最悪の想像をしていたことに気が付いた。
かすかに震えている自分の膝にも。

「…泉田さま、そろそろ。」
「あ、はい。」

もう一度涼子を見る。
そこに命があることを確かめるように。

まだ遅くはない、希望があると今は信じたい。
泉田は意を決して身をひるがえし、ドアを出た。





深夜の参事官室に戻ると、泉田は涼子の部屋に入った。
机の上のパソコンを起動させる。
机の鍵の在りかと、ネットワーク接続程度のパスワードは、毎日あれだけ呼びつけられていれば自然に覚えてしまう。
もちろん、彼女が持つハッカー行為すれすれの重要情報網まではたどりつけないだろうが、
今手がけているヤマの途中経過までがわかれば十分だ。

泉田は腕まくりをし、涼子がいつも腰かけている恐れ多い椅子をどけて、
隣の執務室から持ってきた自分の椅子に腰かけると、パソコンに向かった。

涼子が集めた情報がごろごろと出てくる。
泉田は追いかけている事件の涼子なりの推論を、概略ながら理解することが出来た。
しかし決定的な事実をつかむには、あまりに現役政治家に関わりの深い事柄であり、
直接家宅捜索か事情聴取でもしなければ、立証できない犯罪ではある。
もちろん家宅捜索の末何も出てこなければ、警視総監の首だって飛ぶであろう。つまり許可は初めから下りる見込みがない。

涼子は昨夜も相当遅くまで仕事をしていたようで、泉田は最後に保存されたファイルを開いた。
そこには、最も疑わしい政治家の自宅地図と、そこにあるであろう書類の一覧が記されていた。

涼子はこれを知ったことで、あんな目にあったのだろうか。

泉田は少し躊躇した後、印刷ボタンを押した。
プリンタに向かおうと立ち上がると、窓の外が白み始めている。

印刷されたペーパーを取ると、ホッチキスを探して、泉田は一番上の机の引き出しを開けた。
そこには、お気に入りのチョコレートが一箱と、
その隣には黒のコートに茶色のセーター姿の泉田の写真が置かれていた。

「こんな写真、どこから…。」

泉田はぱたんと引き出しを閉め、次の段の引き出しから目当てのものを見つけ、ペーパーを綴じる。

その時には、もう覚悟は出来ていた。





泉田が準備を整えて涼子の部屋を出ると、参事官室には、丸岡と阿部、そして貝塚が揃っていた。

「ここだろうと思ったよ。一人で行こうったってそうはいかないからな。」
「お供いたします。」
「補足の情報が必要なら、何でも引き出しますですよ。」

成功しても失敗してもクビだ。
皆を巻き込むわけにはいかないと思いながら、しかし皆も同じ気持ちだと思いなおす。
泉田は頷くと、ペーパーを開いて、乗り込む先の説明を始めた。





出勤時間の同僚たちを避け、目立たぬよう電車でばらばらに移動した泉田たち4人は、
目的の豪邸の前に立っていた。

「まずは正面から行きますか?」
「いや、これなら追い返されるのがオチだな。」
「では警備の薄そうなところを狙って…。」

丸岡と泉田が視線を走らせていたその時、キキキキーッと通りの向こうからタイヤが鳴る音がした。
と同時に、角を曲がって、真っ赤なジャガーが突っ込んでくる。

「危ない!」

4人はその場から飛びのいた。ジャガーは、門の前に横づけに停まる。
荒々しく開けられたドアから降りてきたのは、涼子だった。

「警視!」
「け、けいし〜っ!!」

すがりついてくる貝塚を受け止めて、涼子はぜいぜいと肩で息をしながら、ギロリと残りの3人を睨みつけた。

「…勝手なマネを…。」

「警視、お、お体は…。」

丸岡が狼狽を隠せずわたわたと問いかける。泉田と阿部も目を見合わせ、そして涼子を恐る恐る頭からつま先まで見つめる。
どこにも包帯も何もない。完璧なプロポーションはいつものごとくにスーツ包まれ、凛とした輝きを放っている。

「あんたたちの早とちりよ。全く…出勤して部屋がもぬけの空だった時には驚いたわよ。情報はさんざんひっかきまわした跡があるし。」

涼子が泉田を睨んだ。泉田は思わず肩をすくめた。

「ここは、スキャンダルで追い落とす準備が一昨日の夜やっと出来たの。今手を出しちゃダメ!」

厳しい涼子の声に、4人がしょんぼりとうなだれる。貝塚がぽろぽろと涙をこぼしながら、涼子を見上げ尋ねた。

「でもぉ、刑事部長はしばらく面会謝絶だって言うし、泉田警部補からは昨夜、警視は特別室で人工呼吸器をつけて眠っているって連絡があって…。
だからぁ、あたしたち警視がこの捜査の過程で何かおケガをされたんなら、その…弔い合戦をしなきゃって。」

「弔い合戦って…人を勝手に殺さないでちょうだい。部長はあたしが休むって言ったら、嬉しそうに『何日でも』って言うから、
じゃあお言葉に甘えてって社交辞令を言っただけよ。」

涼子が貝塚のおでこをぴんと弾く。

「面会謝絶ってあれほどいったのに、腕力に任せて押し入った誰かさんのおかげで、誤解があったみたいだったけれど、
あたしは単に、低温療養中だったの。」

「低温療養?」

阿部がオウム返しに聞き返す。

「そう、度重なる徹夜で肌はぼろぼろ、集中力もなくなってきたから、温度の低い場所で、思い切り新鮮な酸素を吸いながら熟睡して、
体を早く回復させていただけ。1日で終わるかと思ったけど、起きたらまだ肌が冴えなかったから、捜査のメドもついていたし、もう一日寝ることにしたの。」

「寝る?…肌が冴えなかったから?」
「死活問題よ。荒れたお肌でいい考えがまとまるわけがないでしょう?」

阿部が目を丸くしながら聞いていたが、はあぁとため息をついた。
泉田もこめかみを押さえながらつぶやいた。

「普通、そんなことで入院しないし、そんな治療があるとは知りませんよ…警視の行動はまったく予測もつかない…。」

涼子は心外だと言うように、くちを尖らせた。

「予測不能なのは、あなたたちの行動の方でしょ。」


言い終わって安心したのか、ほっと涼子が肩の力を抜いた。
それを見た丸岡が、ゆっくりと重みのある声で言った。

「警視…僭越を承知で申し上げますが、もう少し我々を信頼して頂きたい。
我々がどれだけ警視を心配申し上げているか、事件の進捗を気にしているか、御理解いただけませんか。」

それを聞いて、貝塚はそうだとでも言うように、ぎゅっと涼子にしがみついた。
涼子はその頭を軽くなでながら「そうね」と素直に眼を伏せた。

それを受けて丸岡が深く一礼するのを押しとどめ、涼子はやっと満面の笑みを見せた。

「さ、戻りましょ。まだまだ事件(おもちゃ)はあるのよ。お望みどおり山ほど仕事をさせてあげようじゃないの!」
「はいっ。」

貝塚が涼子から離れ、皆が顔をあげたところで、涼子は車の方に向き直ろうとしてふらついた。

「おっと。」

泉田がその体を後から支える。

「警視…やはりまだ本調子ではいらっしゃらないのでは?」
「寝てばっかりで食べてないからよ!出勤して一休みしてから食べに出ようと思ったのに、それどころじゃなかったでしょ?」

「じゃあ、ごはん食べて来てください。泉田警部補も、徹夜してたんですよぉ。」
「我々は先に帰っています。」
「ごゆっくり。」

3人は、泉田と涼子に手を振ると、駅の方向に歩きだした。

「じゃあお言葉に甘えて、どこかおいしいモーニングでも食べに行こうか。」

ゆっくりと体を起こして、涼子は泉田を振り返り微笑んだ。
泉田は改めて涼子を背中から抱きしめた。

「こらこら、勤務中よ。」
「…心配させないで下さい。生きた心地がしなかった。」

「心配してくれたんだ?」
「あたりまえでしょう。」

嬉しいな、とつぶやく涼子をよりいっそう強く抱きしめる。



何をしでかすかわからない上司に、何をしでかすかわからない部下たち。
それはそれでまたよし、の結末。

朝の光の中で、泉田は腕に伝わる涼子の規則正しい鼓動をしっかりと確かめていた。


(END)



*長くなり、遅くなり申し訳ありませんでした。
遅くなったお詫びに、おまけを書いてみました。お楽しみ頂ければ幸いです。
おまけSSS『今年の連休は…』。

やっぱりお涼サマは体力がないと書けません。
私もしようかな、低温療法。温度が低い方が肌は活性化するそうで、こういうことをやっているエステもあるようですが、
効果が得られるかどうかは定かではありませんので、真似はされないようお願いします。お涼サマだから効果があるということで(笑)。
なおお涼サマが持っている写真は、アニメで泉田クンのいとこからもらうアレです。
私はまだいとこが手元に持っていた、犬を抱きあげて笑っている泉田クンのがほしかったです。
「お涼さまに何かあってあわてる(心配する)泉田クン」のリクエストを下さった方々、力不足申し訳ありません。
ネタ集めにご協力本当にありがとうございました。